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 昔は物知り隠居に代表されるますように、「老人」と言えば「物知り」と同義だったわけです。とは言うものの、実際にはそうそう物知りな年寄りばかりではないわけでして、周囲の期待に応えるべく、少ない知識を総動員して、妖しげなゴタクを述べなければならないと、それはそれで、昔の老人も大変だったわけです。

 こうしたナマ物識りの隠居の話は様々あり、同種の噺を付けたり削ったりすることで、内容は様々なものができます。
 やかんの名前の由来を聞かれて、あれはもともと武将の兜だったと突飛なことを言い出して、矢が当たってもカーンと弾いたことから「ヤカン」と言ってみたり、婚礼の儀式の蘊蓄をたれてみたり、宇宙の果てはどうなってるか、地獄極楽はどこにあるか等など。

 当然、それぞれに対応するオチがあるわけですが、有名なものとしては、極楽はどこかとたずねられた隠居が、仏壇を指し、それなら鶴や亀も死んだら、仏壇の仏さんになるのかと問われて、「鶴亀は、この通り蝋燭立てになっている」


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