その昔、江戸では火事が頻繁に発生していました。そこで大岡越前が町火消というものを組織したわけですが、最初に、「い組」と「ろ組」ができまして、その後、いろは四十八組となるわけです。中でも辰五郎のいた「め組」が有名ですが、実際には、いろは全ての組があったのではないのだそうで、まず「へ組」がありません。そりゃまぁ、「へ組」では、ちょっとなり手がなさそうです。それから、「ひ組」。これは火のところへ、「ひ」を持っていくと火事が大きくなるといったゲンカツギもあって、作られませんでした。もう1つ存在しないのが、「ら組」です。江戸っ子は、基本的に巻き舌なものですから、頭に「ら」という発音はやりにくかったのだそうです。また一説には、「ま組」が纏を上げている隣で「ら組」が纏を上げたら、ちょっと風教上好ましくないのではないかと、そういうことも考えて採用しなかったとの説もあります。その代わりに、「千」「万」「百」という組を作って、四十八組となりました。
この『火事息子』は、勘当された息子が、火消しになり、実家の火事を消し止めたという人情噺です。
オチは、火事のおかげで長い間消息不明だった息子に会えたので、年老いた母親が、黒羽二重の紋付やら、袴やらを持ち出そうとするので、何をする気だと問うと、
「だって、火事のおかげで会えましたから、火元に礼を言いに……」