著者 | R.A.ラファティ | ||||
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タイトル | どろぼう熊の惑星 | ||||
出版社 | ハヤカワ文庫 | 出版年 | 1993年 | 価格 | 760円 |
評価 | ★★★★★ |
カート・ヴォネガットの作品は、スラプスティックなおかしさの根底に、何とも言えないもの悲しさと孤独があります。恐らくそれは、彼の戦争体験がそうさせているのかもしれません。
さて、R.A.ラファティです。
本作は、前作 『900人のおばあちゃん』 に続く2つ目の短編集です。しかも翻訳は浅倉久志とくれば、絶対に買いです。
ラファティもやはり、スラプスティックなおかしさを中心においた作家です。ヴォネガットと同じく、彼の作品もたった1つの小さな転倒から、その転倒の結果が増幅していくおかしさを描いています。ここまでは、ヴォネガット同じなのですが、ラファティの場合、最初から最後まで転倒し続けます。
例えば、「秘密の鰐について」では、管理社会の暴力を描いているにもかかわらず、実にあっけらかんと何も変わらないことが描かれています。変わったのは部分だけ。恐らく、ヴォネガットなら、何も変わらないのに、何かが変わってしまったと描くのでしょう。
両者の違いは、そのままアメリカという国の懐の深さにつながっているのではないかと思います。ヴォネガットが見たアメリカの限界に、ラファティはアメリカの可能性を見ています。
ラファティは、こう言います。
「トマス・アクィナスは、罪とは幸福をないがしろにすることだ、といった。幸福になることは、人間の権利じゃなくて義務なんだ。幸福になることは、われわれが世界とそこに住むあらゆる仲間に対して負っている義務だ。それが人生の意味であり、目的なんだ」
ともあれ、両者は僕にとって大好きなSF作家であることは間違いありません。たとえ彼が、アシモフの論理も、クラークの壮大さも持ち合わせていなくとも。