著者 | 上田敏 | ||||
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タイトル | 上田敏全訳詩集 | ||||
出版社 | 岩波文庫 | 出版年 | 1962年 | 価格 | 不明 |
評価 | ★★★★ |
文化を翻訳すること、特に詩を翻訳することは、非常に難しい。特に、日本語の構造上、脚韻を踏むことが前提とされていないため、原詩が持っているリズムを再現することを難しいものにしています。
上田敏の功績の一つとして、詩を翻訳する上で、七五調等、日本語が持っているリズムを導入するという手法を用いたことが挙げられます。これにより、原詩の持つリズム感を再現することに成功しました。文化を翻訳するというのは、字句を置き換えることではなく、精神を置き換えることだという典型的な成功例です。
無論、このような手法を用いることには、超訳とならざるを得ないと言う危険性がつねにつきまといます。翻訳者の技量によっては、迷訳となってしまって、本来の意味を失うこともままあります。
しかし、海外の文化を日本に導入するときに、この手法は依然として有効です。例えば、ヒップホップにおけるスチャダラパーの果たした役割を指摘する声は多い。また、上々颱風についても、基本的にはこの戦略を踏襲していると見るべきでしょう。
ともあれ、この詩集の中で僕が一番好きなのは、ロバート・ブロウニングの「春の朝」と題された次の詩です。
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
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すべて世は事も無し。
それにしても、上田敏が海潮音を出したのが32歳。果たして僕は、3年後に一体どれだけのことができるのだろう。そんなことを考え出すと、自信を失います。もっとも僕の場合、普段から自信過剰気味なので、少しぐらい自信をなくした方がいいのかもしれませんけれど。