著者 | ピエール・ブルデュー | ||||
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タイトル | ハイデガーの政治的存在論 | ||||
出版社 | 藤原書店 | 出版年 | 2000年 | 価格 | 2800 |
評価 | ★★★★ |
高校時代、ある教師が、ナチス台頭前のドイツの状況と、今の日本の状況は酷似していると言いました。あらためて考えてみると、確かに宮崎駿に代表される自然的な生活、自然の神秘を重視するといった自然崇拝、自己実現という名の各種セミナー(宗教的なものもそうでないものも)の流行、自らが大衆であることを拒否し、精神的なエリートであろうとする奇妙な欲求(「自分だけは違う」といった精神状態)、集団に属する事への嫌悪感と同時に自分を分かって欲しいというアンビバレントな感覚など、数え上げればきりがありません。
ともあれ。
恐らくハイデガーは、20世紀において最も影響力のあった哲学者の1人でしょう。彼の哲学理論に対する批判、また現実政治へのかかわり方に対する批判はあるものの、彼の哲学史における業績は、決して無視し得るものではありません。
ハイデガー哲学が、評価される理由の1つとして、彼の哲学理論が、自律的である点が挙げられます。哲学者は、同時代のさまざま問題から自律して、「本質的な問題」に対して考察を行う、言い換えれば、同時代の社会的・政治的諸問題に対して、直接的な意見表明を行うのではなく、現実の諸問題を哲学的な問いに昇華して問題を再構成し、それに対して回答を行うという立場を一貫してとることによって、同時代の社会的・政治的諸問題の本質的な(ハイデガー的にいえば徹底的な)解決を行うということが求められています。ハイデガー哲学は、その最も成功した例だと考えられています。
他方、ハイデガーには、大学自治におけるナチスの協力者であったとの批判がつきまといます。そこで問題となるのは、ハイデガーがナチスに協力したことは、ハイデガーの人間的な限界なのか、それともハイデガー哲学の論理的な帰結なのかが争われることになります。
本書は、この問題に対して、ハイデガーがナチスと結びついたことは、彼の哲学の論理的な帰結であると結論づけています。しかし、それだけでは、単純にハイデガーの哲学に問題があったとする他の多くの批判を補強するだけですが、ブルデューはさらに踏み込み、そもそも哲学が現実世界に自律的であるというのは、あくまでも相対的な自律にしか過ぎず、哲学者が生きた時間および哲学者が生きるまでの時間、哲学者を取り巻く様々な存在から相対的にしか自律できないとする点で、「哲学」に対して挑戦的な内容になっています。
ある意味では、ブルデューの主張は、マルクスの上部構造・下部構造の適用に過ぎず、新鮮さに欠ける嫌いはあるものの、それでも彼の指摘は、哲学にとって重要な意味を持つものだと思います。