著者 | 塩野七生 | ||||
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タイトル | 危機と克服 ローマ人の物語VIII | ||||
出版社 | 新潮社 | 出版年 | 1999年 | 価格 | 2800 |
評価 | ★★★★★ |
本書は、ネロの死から五賢帝時代直前までのローマの歴史を扱っています。
後世の僕にとって、この時代のローマの最も興味深い点は、カエサルとアウグストゥスという二人の天才によって敷かれたレールが、最初のほころびを見せた時代であると同時に、この時代の紆余曲折・試行錯誤が、続く最盛期を迎えるための準備期間であったという点です。その意味で、副題「危機と克服」は、的確にこの時代の性格を集約しています。
ネロの自死によって空白になった権力の座を巡り、内戦へと突入したこの時代のローマは、タキトゥスが嘆くまでもなく、危機の時代でした。その権力闘争によって登場した皇帝達は、そろいもそろって、平凡な人物でした。塩野氏は、ヴェスパシアヌス帝を比較的高く評価していますが、先見性や軍事的な能力という点ではカエサルに遠く及ばず、巧妙な政治的手腕ではアウグストゥスの足元にも及ばないといった人物ではなかったかと思います。塩野氏が言うとおり、「健全な常識人」というのが、おそらく最も的確な評価でしょう。
その「健全な常識人」が、混乱したローマを立て直せたところにこそ、当時のローマの強さがあったのではないかと思います。すなわち、当時のローマの統治機構は、適正な運用さえなされれば、大きな問題が発生しないまでに、ほぼ完成されていたといえるのではないかと思います。
しかしながら、まさにそこにこそ、僕が独裁制を不安視する要因があります。つまり、独裁制の場合、あまりにも多くのことを個人のキャラクターに依存しすぎているのではないか、適正な運用の保証を補填するためのチェック機能が、弱体化する傾向にあるのではないか、以上が、僕が独裁制を危険視する点です。統治が、共同体において不可欠であるとするのであれば、統治する側の資質について、多くの期待を寄せてはいけないのではないか、それが現時点での僕の統治機関に関する基本的な考え方です。