著者 | ユルゲン・ハーバマス | ||||
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タイトル | イデオロギーとしての技術と科学 | ||||
出版社 | 平凡社 | 出版年 | 2000年 | 価格 | 600 |
評価 | ★★★ |
ハーバマスは、「可能性としての近代」を擁護しつつ、「実現した近代」を批判するという、巧妙な戦略をとっています。従って、彼は、近代を肯定するグループへの対抗者となると同時に、近代を否定するグループへの対抗者でもあるという、実に複雑な立場に立っています。
本書は、科学技術の発展が脱イデオロギー化を促進していると同時に、科学技術の発展が人間疎外に結びついている点を指摘しています。
ハーバマスは、まず労働と相互行為というキーワードを設定し、前者を人間が自然に対する働きかけであると定義し、後者を人間が人間に対する働きかけであるとします。その上で、科学技術は、この両者に合理性を与えたとします。その結果、生産行為(経済行為)における合理化と、(広義の)政治行為の合理化をもたらしたと指摘します。
このことは、生産行為・政治行為ともに魔術からの脱却をもたらした反面、新たな権力関係、言い換えれば支配・被支配の関係を生み出したとして批判します。
20世紀が終わろうとしている現在、我々は現実的な解決力を持たないイデオロギー闘争から、ようやく解放されようとしている一方で、柔らかな拘束性に対するもどかしさ、閉塞感を前にして、困惑させられている時代に移行しつつあるのではないかと思います。
驚くべきことは、ハーバマスがこの問題点を指摘したのが、1960年代だということです。イデオロギー闘争が最も盛んだった時代に、イデオロギー闘争後の世界を予測していたことに、僕は敬意を表します。
ただし、ハーバマスが提示した解決策が、有効なのかどうかについては、現時点での僕には、まだ判断を下せません。