著者 | P.ヒューズ、G.ブレヒト | ||||
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タイトル | パラドクスの匣 | ||||
出版社 | 朝日出版社 | 出版年 | 1979年 | 価格 | 1030 |
評価 | ★★★ |
論理性的な思考は、生きていく上で大切なものです。少なくとも、非論理的に毎日を過ごすより、論理的に問題を解決していくことの方が、はるかに生産的です。しかしながら、論理的であることが常に正解だと言えるほど、人間の論理性は完全なわけでもありません。まだまだ限界があるようです。
一般的には、論理的パラドクスとは「自己言及」「矛盾」「悪循環」の3つの要素を持つと定義されています。例えば、「私は嘘つきである」という表明は、もしこの表明が絶対的に真であるとすれば、そもそも「嘘つきである」ことが偽となり、この表明者は嘘つきではないとの結論が論理的に導き出されます。すると最初の「私は嘘つきである」はやはり真実であり……と無限連鎖につながるといった具合です。
本書は、こうした有名な嘘つきクレタ人から始まりゼノンのアキレスと亀の問題、白いカラスの問題など、論理性の限界としてのパラドクスの実例を、豊富に取り上げています。
無論、論理学はこうした問題について、ただ手をこまねいていたわけではなく、あらゆる命題は自己に対しては適応しないなどの回避策を考え出しているわけですが、ただ、僕の知る限りにおいては、まだ決定的な解決策を考え出したというわけでもなさそうです。
もちろん、こうした論理的パラドクスを「言葉遊び」として片づけることもできるわけですが(ある意味では、パラドクスに対する非常に健全な対応の仕方なのですけれど)、ただ、とかく最終的な解答を欲しがる傾向にある現在。たまには知的な迷路に足を踏み入れてみるのも楽しいのでは?