著者 | C.ノーテボーム | ||||
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タイトル | これから話す物語 | ||||
出版社 | 新潮社 | 出版年 | 1996年 | 価格 | 1600 |
評価 | ★★★★★ |
本書は2部からなる短編です。それぞれの部は現実の1秒の描写になっています。そしてこの本は、ある男の死の直前2秒間の回想です。
ここまでの紹介を読んでワクワクした人は、ぜひだまされたと思って一度お読み下さい。きっと時間の無駄にはならないと思います。流れるような文体と、あちらこちらに脱線するエピソード。その一見無関係に思えたエピソードが、次第にジグソーパズルが組み上がっていくように全体の一部としてピタリとはめ込まれていき、相互の関連性が明らかになっていく構成は、読者に知的な興奮を十分与えてくれます。
本書は、近代西洋文学において重要な主題であるアイデンティティ喪失の話としてスタートします。冒頭、主人公である「わたし」は次のように語ります。
「その日、私は目覚めると、もしや自分は死んでいるのではあるまいか、そんなばかげた感じを覚えました。」
睡眠という一種の断絶から覚醒した際にアイデンティティを見失うモチーフは、カフカを挙げるまでもなく近代西洋文学の伝統的な手法にのっとっています。さらにノーテボームは、「死んでいるという感覚」だけではなく、「死んでいるらしい『わたし』はアムステルダムのアパートの一室でひっそりと住んでいる哲学者」ではあるものの、今まさにアムステルダム在住の哲学者のことを回想している『わたし』は、リスボンに住んでいるスペイン人なのではないかという、「死」と「別人の記憶」という二重の罠でアイデンティティの基盤の危うさを鮮明にします。
アイデンティティとは、つまるところ自己に対する確信であるとするのであれば、確信はあくまでも確信に過ぎず、その確信が揺らぐとき、あるいは、確信が別の確信に変わるとき、それまで絶対だと思われていたアイデンティティは急速に色あせてしまいます。
しかし、本書の本当の怖い部分は、そうしたアイデンティティの脆弱さを明らかにしていることではありません。
ラストのどんでん返し。本当に怖いです。『リング』とか『ラセン』の比じゃないです。季節はまさに夏へと投入するこの時期、サイコスリラーに食傷気味の人はぜひご一読を。