著者 | ターハル・ベン=ジェルーン | ||||
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タイトル | 聖なる夜 | ||||
出版社 | 紀伊國屋書店 | 出版年 | 1996年 | 価格 | 2200 |
評価 | ★★★ |
久しぶりに書かれている一語一句読み飛ばさないようにゆっくりと読んだ本です。
本書は、息子として育てられた人物が、本当は女性だったと父親に告白されるところから話が始まります。
父親の告白によって、これまでの偽りのジェンダーから解放された彼女は、しかしながら、これで幸福になれるわけではなく、まさにここから本来のジェンダーにもとづく苦難が始まります。
彼女が受ける様々な苦痛をイスラム社会特有の問題だと片づけることは、もちろんできます。しかしながら、ジェンダーの問題は決してイスラム社会だけにあるのではなく、言うまでもなく日本にもあります。むしろ、ジェンダー問題の攻撃的な側面があまりにもクローズアップされ、本来の問題が意識されていない日本の方が解決にかかる時間は長引くかもしれません。
もう1点、この作品を読みながら、固有の文化とグローバル化の問題について、少し考えさせられました。
現代の日本で生活している僕は、割礼という名の女性の性器の一部をカットし、それによって女性が性的な興奮を感じないようにする行為を野蛮な、あえて言えば非人間的な行為と感じます。しかし、実際にそれを行っている地域においては、それは当然の行為なのでしょう。さらに言えば、長年やって来たことにはそれなりの意義を見つけだしているのかもしれません。
こうしたある文化的視点から見た場合の非合理を、他の文化的視点から見た場合の合理をどのように調整していくのか。まさにそこに哲学の(あえて哲学と言い切りますが)課題があるのではないでしょうか。
もちろん僕は答えを持ち合わせているわけではないのですけれど。