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著者 | フッサール | ||||
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タイトル | 現象学の理念 | ||||
出版社 | 作品社 | 出版年 | 1997年 | 価格 | 2000 |
評価 | ★★★ |
僕がプライベートでライフワークにしていることは5つありまして、第1は落語のネタを整理すること。これは現在遅々として進まずな傾向がありますけれど、とにもかくにも「古典落語ネタ帳」という形で公開しています。第2は18世紀末から19世紀初頭にかけてのフランス史の整理。とは言うものの、フランス語が全然分からないということがネックになって、とりあえず英語の文献を中心に細々と翻訳を始めています。第3は第1とも関連しているのですが、いわゆるブラックジョークの収集。これはなんとか資料の収集が一段落ついたところです。4つ目がグローバルモデリングの構築。これは完全に何も手をつけていません。
そして最後の5つ目が知の系譜と言いますか、哲学の歴史を記述できないかという事なのですが、さて、どうなんでしょう。
ここから先、大学時代のメモを振り返りながら書いているのですが、僕が書きたいのは、人物史や個々の思想論ではなく、もう少し大きな流れで哲学史をとらえられないかということです。具体的なイメージでは、ブローデルの「地中海」の哲学史バージョンといったところでしょうか。それによって、人類が何を解決してきて、何が現在の課題として残っているのかを整理できるのではないかと僕は思っています。
ただ、一般の歴史(あえて形而下と言いますが)とは若干アプローチの方法を変える必要があるように僕には思えます。
形而下の歴史では、個々の人物・事件が及ぼす範囲は、時間的にも空間的な連続性を持ちつつ、しかしながらどこかで断絶があります。対して、哲学史の場合は、そうした時間的・空間的範囲の限定が非常に困難なのではないかと思います。例えば、現在に生きる我々が、古代ギリシャ哲学のテキストをベースにして新たな思想をうち立てることも可能なわけですが、その場合、その途中の哲学のテキストを全く考慮していないというケースも考えられるわけです。しかしながら、その場合でさえ、コンテキストにおいては、途中のテキストの影響を受けていると考えるべきなのかもしれません。
また、「哲学者」と呼ばれる人の特殊性をどのように考慮するべきかという問題もありそうです。彼の生きた社会的・文化的背景を考慮すべきなのでしょうか。それとも、あくまでも「哲学」としての問題に限定すべきなのでしょうか。そもそも「哲学者」という特殊な事例ではなく、より一般的な思想へと還元すべきなのでしょうか。
などなど考え出すと僕の手に余る問題が山積みですが、とにかくのんびりと少しずつ手をつけていこうと思っています。
今回は本書に関する感想文になっていません。あしからず。
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