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著者 | �眦鍔饌� | ||||
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タイトル | 私の國語�麓� | ||||
出版社 | 文藝春秋 | 出版年 | 2002年 | 価格 | 619 |
評価 | ★★ |
せつかくですから、今日は旧仮名遣ひで。とは言ふものの、漢字はいろいろと手がかかるので常用漢字のままなのはあしからず。それでもつて、僕は日本語の文法を専攻してゐたわけでもなひので、結局のところ怪しげ文体になるのですけれども。
さて、日本語の表記をだうするかといふ問題は決して新しひ問題ではなく、日本に漢字が入つて来た頃から延々続ひてゐるわけですが、一大転機となつたのは、いふまでもなく戦後の国語改革でした。本書はその国語改革の時代に旧仮名を存続するべきとの立場をとつた人物による、旧仮名の正当性と新仮名の問題点を指摘したものです。
ご存じの通り、この問題は新仮名派が勝利を収めました。もつとも勝利といひましても、あまりこの問題を世間が重要な問題として考へずに、一分の敏感な方々が孤立無援の抵抗をしただけだつたのですけれど。
この問題への僕自身の感想は、正直なところ「文部省うまくやつたな」といふ程度だつたりします。世間の多くの人が何が問題か気付かなひうちに、こつそりと事を進めて、いつのまにか後戻りできなひ状態にするやり方は、良ひ悪ひは別にして、僕は好きです。
さて、これでけりが付ひたかに見えた仮名問題ですが、その後も旧仮名派の抵抗は細々と続きます。僕が気になるのは、むしろ今なほあへて旧仮名を使ふ人々のことです。
旧仮名で文章を書くことは、その後も時々、一部の世界で盛り上がることがあります。まぁ、それはそれで結構なのですけれど、だういふわけか、旧仮名派は攻撃的になる人が多ひやうです。いはく、「旧仮名の読み書きができなひのはけしからん」「日本の美しひ文化」云々。
僕自身は、話し手と聞き手の間でうまく意思疎通ができなひ場合、話し手側(書き手側)に問題があると感じます。少なくとも僕自身が話し手であるときはさうです。さういふわけで、自分の主義を貫くことは立派ですけど、他人に押しつけるのはいかがなものかと考えがちな僕としては、文章の内容に基づく必要性もなく旧仮名を使ふ人とは、若干距離をとつてしまひます。
まうひとつ気になることに、特に80年代以降の旧仮名派が書く文章つて、圧倒的に勅語調なんですね。これも僕には不思議でなりません。なにも勅語のあの堅苦しひ文体だけではなく、日本語には万葉調のやはらかひ文体だつてあるわけです。例へば80年代旧仮名派がお手本にしてゐる(らしひ)丸谷才一や内田百�蠅僚颪劼燭發里鬚舛笋鵑汎匹泙譴討瓦蕕鵑覆気ぁ�80年代以降の自称旧仮名派がいかに頓珍漢なことをしてゐるか、よーく分かります。先ほどの日本の文化云々を言ふのであれば、むしろ共通語で書くことから考え直す必要があるはずなのですが、だうもこの辺の視点が完全に欠落してゐるんですね。80年代以降の自称旧仮名派の言ふ「伝統的な文化」はたかだか150年ほどしか遡れなひもので、結局のところ、画数の多ひ漢字を使ふことに一つのステータスを感じてゐるだけではなひかと僕には思へます。
話を本書に戻します。
本書では、当然の事ながらその辺の論点はきちんとおさへられてゐます。その上で新仮名がいかに非論理的かを説明しています。今から旧仮名で文章を書きたひと思つてゐる人はぜひご一読を。
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