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著者 | 長瀬唯 | ||||
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タイトル | 肉体のヌートピア ロボット、パワード・スーツ、サイボーグの考古学 | ||||
出版社 | 青弓社 | 出版年 | 1996年 | 価格 | 2600 |
評価 | ★ |
ROBODEXには行かれましたか? 僕は今年も行けませんでした。残念。
ともあれ、本書はサブタイトルでも分かるように、ロボットのお話です。でも、書店で見かけたとき、
「肉体のヌードピア」
だと思ったのは、何を隠そう僕です。もうすぐ31歳。いつまでも女の子のおしりを追いかけ回している場合ではないのですけれども(自戒)。
さて、ここで言う「ヌートピア」とは、ユートピアでもなく、ディストピアでもなく、
「ユートピアのごみ捨て場と、そこを生きる者たちの生活」
を指します。SFファンの方ならピンと来たかもしれませんが、サイバー・パンクでよく描かれる世界が本書のベースとなる世界観です。
長瀬氏は、ロボット、パワード・スーツ、サイボーグの歴史をこのヌートピアという世界観で解説します。この1点でお分かりになられると思うのですが、本書は今のロボット(ASIMOとか、PINOとか、AIBOとか)につながる技術的変遷、言い換えれば、自然科学的な叙述ではなく、あくまでも人文科学的に系譜を述べています。
個人的には、まさにこの点に日本のSFの限界があるのではないかと思っています。確かにサイエンス・フィクションの「サイエンス」には自然科学だけでなく、人文科学、社会科学も含まれるのでしょうが、あまりにも人文科学に引きずられすぎているのではないかと僕は思います。筒井康隆が指摘するように、残念ながら日本の文学は人文系の人がやるものという意識が強すぎ、結果的に、日本のSFでセンス・オブ・ワンダーな作品がなかなか登場してこない土壌があるように思います。
ラッカー的に言えば、ウェットではなく、ウィットな方向付けが日本のSFにもっと求められていいのではないでしょうか。もっと科学を!
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