人生論ノート
著者 | 三木清 |
タイトル | 人生論ノート |
出版社 | 新潮社 |
出版年 | 1954年 |
価格 | 362 |
評価 | ★★★★ |
【感想】
これまで僕はこの種の本から、何となく遠ざかっていました。別に他人に教えてもらわなくても、何とかなるよね、自分の人生なんだからという気分と言えば、分かってもらえるでしょうか。
とは言うものの、この本は美人のお姉さま(既婚)からの紹介です。読まねばなるまいと相変わらず美人に弱い僕は、いそいそと読み始めました。
本来なら、ここで本書の感想を書けばいいのでしょうけれど、さすがにこの歳になると、ちょっとそれは気恥ずかしいので、一言感想を。
食わず嫌いだったかも。
さすがにそれだけでは、あまりにもあまりなので、もうちょっと感想をば。ただし、本書の内容そのものに対する感想ではなく、本書を読みながら思いついたことのメモランダム形式で書いていきます。なお、文体はいつもとちょっと変わります。どちらの文体が僕本来の文体なのかは、さておくとして。
- 多分、思考は持続しえないのだろう。少なくとも思考を持続すること自体を目的としない限り。その意味で、僕はヴィトゲンシュタインの例のスタイルが、結局のところもっとも正確に思考を表現する手段の一つだと思う。アフォリズムとはまた違うのだろうけれど。
- ジッドも言うように、自分の考えを公表することに、僕は後ろめたさを感じる。
- そもそも、発言という行為は、つとめて政治的行為だと思う。ここで言う政治的とは、権力関係を発生する意味である。何かを発言する場合、積極的に施与消極的にせよ、あるいは意識的にせよ無意識的にせよ、発言した内容を他者に強制する働きがある。
- 僕が主義者や宗教家に対していい感情をもてないのは、彼らが独善的であると言うよりは、単一的である点に起因する。
- 僕は多様性を好む。多様性が多様性のまま存在を許される状況を好む。
- 幸福かどうかは自分自身の問題。ただし、自分の中で基準になる物差しをもっている場合に限り。
- 怒りは人を愚かにすると言う。なるほど確かに。しかし、愚かであることが無力であるとは限らない。
- 何ができるかが問題なのではなく、何をしたいのかが問題だと思う。何をしたいのか、よく分からない状況は、たいていの場合、最悪の結果を生む。
- 人生について語れるようなことを僕は何ももっていない。僕はそれをよしとしている。
- 自分で自分をだますこと。手段としては実に有効だと思う。ただし、手段だと自分の中で認識していなければ、困ったことになるのだろうけれど。
とみくら まさや (vzx01036@nifty.ne.jp) $ Date : 2003.03.01 $