|Home / 読後感想 | |
著者 | 塩野七生 | ||||
---|---|---|---|---|---|
タイトル | 迷走する帝国 ローマ人の物語XII | ||||
出版社 | 新潮社 | 出版年 | 2003年 | 価格 | 2800 |
評価 | ★★★★★ |
本巻は、いわゆる軍人皇帝時代を扱っています。
歴史を(もっとも、本書は著者自身、「歴史書」ではなく、「歴史小説」だと言っているのですが)親しむ場合の難しい点は、結局のところ僕たちは結果論としてアプローチせざるを得ないことに原因があるのではないかと思います。結果論とアプローチするということは、批評家としての視点にともすれば陥りがちになってしまい、どうしても犯人捜しになってしまいます。もちろん、歴史を勉強する一つの理由が、現在につながる因果関係を知ることである以上、犯人捜しになってしまうのも仕方のないことだとは思うのですが……。
ともあれ、本書を読む前にたまたま僕の掲示板で本巻に関する書評が書き込まれていました。乱暴なことを承知の上で書き込み社の趣旨を書けば、塩野氏が「マルクス・アウレリウスにローマ帝国の衰退の原因を求めるのは間違いだ」ということになるのでしょう。
ただ、どうなんでしょうね。
マルクス・アウレリウスにローマ帝国を衰退に導いた原因全てを帰すわけにはいかないとは思うのですが、しかしながらきっかけは作ったような気がします。少なくとも、第12巻までを読んだ限りでは、次のような問題を発生させてしまったのは、マルクス・アウレリウスだったのではないかと思います。
第1の問題に関しては、世襲という本来であれば最も政策を継承させ易い方法を取ったにもかかわらず、結果的にマルクス・アウレリウスは政策を継承させられませんでした。僕にとって問題だと思うのは、後継者の育成という少なくとも彼以前の五賢帝時代の皇帝達が行ってきたことを彼が行わなかったことです。無論、蛮族の対応に追われて、そのような時間を作れなかったと彼を弁護することはできるのですが、それであれば、第2の問題、少なくともローマ帝国では好ましい結果になっていない世襲を、彼があえてしてしまったことが問題になるのではないかと僕は思います。
無論、M.ウェーバーの支配の三類型を持ち出すまでもなく、伝統的支配が有効なのは確かだとは思うのですが、一方で古代ローマは比較的早い段階から合法性を重視する体質があったのではないかと思います。少なくとも、世襲の後継者による混乱を歴史として認識できる立場にあった彼が、結果的にこの轍を踏んでしまった責任は、彼に帰してもいいのではないかと僕は思います。
第3の問題については、ある意味では結果論であり、また別の面からは無理な注文だとは思うのですが、この時期の蛮族の侵入が以前とは性質が異なってしまっていることを彼が認識し得なかったことです(この部分は、塩野氏の指摘の通りなのですが)。
マルクス・アウレリウス個人の人格がどうというのではなく、この時期に最もふさわしい指導者を産み出せなかったところに、ローマの衰退の原因があったのではないかというのが、今のところの僕の結論です。
|Home / 読後感想 | |