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著者 | T.R.ビアソン | ||||
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タイトル | 甘美なる来世へ | ||||
出版社 | みすず書房 | 出版年 | 2003年 | 価格 | 2800 |
評価 | ★★★★★ |
過剰な説明というか過度の饒舌さというか、とにもかくにも冗長さというものが時として非常に面白くなることをあらためて体験させてくれるのが本書です。
物語自体は、男性にありがちな見栄っ張りから犯罪に手を染め、どんどんと転落していく人物を中心に比較的重いテーマを扱っているのですが、ビアソンの手にかかると、どうも滑稽な感じが全編を覆ってしまいます。なにしろ、いきなり冒頭、
それは私たちが禿のジーターを失くした夏だったが禿のジーターはジーターといってももはや大半ジーターではなく大半スロックモートンにたぶんなっているというか少なくとも大半スロックモートンになっているとたぶん思われていてそう思われることが大半ジーターだと思われることより相当の向上ということになるのはジーターには大した人間がいたためしがないのに較べてスロックモートンたちはかつてはひとかどの人間だったからであるがただしそれも金がなくなり威信も消えてしまう前の話であって今となっては空威張りと汚名と漠たるスロックモートン的風格が残るばかりでありそんなものは全部合わせたところでおよそ騒ぎ立てるほどの遺産ではないのであるがそれでも空威張りにせよ汚名にせよ漠たる風格にせよどの一つを取ってもそれだけでジーターたちによって試みられ達成された発展総体を凌駕していると言ってよく何しろジーターたちといえば昔から地面をひっかき回してはきたものの農業で物になったわけでもなく家畜の売買に手を染めても売買もやっぱり物にならず結局鶏小屋の建設に精力を注ぐに至ったもののこの鶏小屋たるやはじめからグラグラもいいところでその後ますますグラグラになっていったのであるがそれでもこれは雌鳥や斑入りの小さな茶色い卵やアンモニアの雲と並んでジーターの発展の主たる成果でありさらにアンモニアの雲についていえばそれ自体はおそらくジーター最大の達成であろうがただし特定個人のジーターなりジーターたちの特定グループなりが積極的にその達成に貢献したわけではなく逆にその達成を阻止できたわけでもなかったのであるがいずれにせよそんなわけで禿のジーターが、デブのジーターを花嫁付添いとして、1942年6月12日土曜日にメソジスト教会の聖域においてブランクストン・ポーター・スロックモートン3世と誓いの言葉を交わしたのちにニーリーの町なかに新居を構えたとき、禿のジーターはこれで雌鳥とも鶏小屋とも頭上を覆うアンモニアの雲ともおさらばしたわけであるがアンモニアの雲についてはおそらく1942年6月にもすでに広がりはじめていたと考えられるものでありその根拠はアンモニアの雲はほぼ毎年6月になると広がり出しそのまま8月までどんどん膨らんでいって9月に至るのが常であったからで、特にこれから語ろうとしている年の前年のとりわけ8月ととりわけ9月にはアンモニアの雲が町の境界までじわじわにじり寄ってきて貯氷庫にとっては脅威の様相を呈したのであるがまあこれはこの季節には恒例かつ月並な出来事と言ってよく、なかんずく8月そしてなかんずく9月にはそうであるゆえ、かくしてその年も私たちはダーウッド・ブリッジャー氏がスロックモートン宅の外壁板に梯子を立てかけて二階にのぼり寝室の網戸に鼻を押しつけて額に手をかざし禿のジーターに呼びかけわめきどなって禿のジーターが永久に我々のもとから去ったことを確認するまでは今やごく普通となった夏を過ごしていたのである。
という一文(!)の後には、どんなに深刻な話でも、もはやどうでもよくなってしまうわけです。
あくまでも語り手は親切心から詳細に全てを伝えようとして、その結果、全くどうでもいいことを延々と生真面目に語り続けている様子は、なんとなくバスター・キートンが、滑稽なシチュエーションに大真面目な顔をして取り組んでいるような感じがして、深刻な状況なのに、ついついニヤニヤしてしまいます。
とにもかくにも、スラップスティックが大好きな人にはお勧めの1冊です。
どうでもいいことですけれど、微妙に僕の文体に影響しそう。
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