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著者 | 塩野七生 | ||||
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タイトル | 最後の努力 ローマ人の物語XIII | ||||
出版社 | 新潮社 | 出版年 | 2004年 | 価格 | 2600 |
評価 | ★★★★★ |
全15巻の『ローマ人の物語』もいよいよ13巻目。考えてみれば、第1巻を読み始めてから、もう13年も経ったわけです。歳も取るわけで……。
ともあれ。
本巻は副題にあるとおり、ローマ帝国が存続するために最後の努力をはらったディオクレティアヌスとコンスタンティヌスという2人の皇帝の治世を扱っています。
結論から言えば、多くの歴史学者が指摘するように、この2人の皇帝の時代、ローマは従来のローマ帝国とは異質な国家へと決定的に変質してしまいました。変質してしまった点を上げれば、こんな感じでしょうか。
こうした変化を塩野氏は「ローマ的なものが失われていった」ととらえています。確かにその通りかもしれません。しかし、上記の変化は統治機構として考えた場合、ある種の完成の域に達したと言えるのではないかというのが僕の考えです。
統治機構を一つの組織として見た場合、効果的な運営を行うには、
この2点が重要なのではないかと考えています。
より多くの問題に対処したり、迅速な対応を可能にするため、全ての案件を1人(ないし1つの機関)に集中させるのではなく、問題の内容、レベルに応じて処理できるように分散させる必要があります。可能になります。また、決定した内容が複雑あるいは高度専門的な場合でも、対応可能な専門的知識・技術を有したリソースを確保しておく必要があります。これらの要求を満たそうとした場合、ツリー状の指揮体系と豊富な専門集団を備えた集団が必要になってくるのではないかと思います。その一つの正しいありようが、官僚制度になってくるのではないかと思います。
一般的にはあまり評判のよくない官僚制度ですが、持って生まれた才能と経験を組み合わせた能力に応じた等級制度と、専門的な知識と技術を備えた職能制度を備えた集団として考えた場合、官僚制度は決して悪いものではないと考えます。官僚制度は、少なくとも、それが組織されるときには、現実への対応として非常に合理的な考えによって作り出されるのではないかと思います。官僚制度が非合理的になるのは、変化への適応に失敗した場合に起きるのではないでしょうか。官僚制度が変化に対応することに失敗しがちな原因が、官僚制度そのものに起因するとしても、官僚制度を組織する行為自体は合理的な判断によるものではないかと思います。
しかしながら、結局のところ、この2人の皇帝の努力によっても、ローマの没落を防ぐことはできませんでした。
この点について、塩野氏と意見が異なるところかもしれませんが、僕自身は、ローマが滅んだのは、非ローマ的な施策によってではなく、この2人の皇帝の施策に見られるようにローマ的な判断基準によって行った政策をもってしても、当時のローマが抱えていた問題を解消するには至らなかったほど、ローマが巨大化してしまったことにあるのではないかと考えています。本書を読まれた方が、どのような意見を持たれるかは、お任せしますけれど。
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