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著者 | W.G.ゼーバルト | ||||
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タイトル | アウステルリッツ |
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出版社 | 白水社 | 出版年 | 2003年 | 価格 | 2200 |
評価 | ★★★ |
「アウステルリッツ」と言っても1805年の例のあれではなく、本書の主人公の名前です。
本書は建築史研究家のアウステルリッツが、近代の大型建造物の蘊蓄を語りながら、自身の半生を語るという内容になっています。
アウステルリッツ氏の微に入り細に入る建造物の説明と挿入された写真の数々から、まるでヨーロッパ建造物を巡る旅行を一緒にしているような錯覚におちいります。
しかし同時に、物語が進むにつれ、アウステルリッツ氏がなぜ近代の大型建造物にこだわっているのかが分かったとき、その理由の重さに発するべき言葉を失ってしまいます。
種明かしをすると、アウステルリッツ氏は、ホロコーストから逃れた一人です。幼少の頃、ホロコーストから逃れるためにユダヤ人であることを知られないよう、彼は名前を捨てさせられ、同時に幼少の頃の記憶を失った人物です。アウステルリッツ氏が近代の大型建造物に見出しているのは、人類の発展の成果という光の側面ではありません。巨大な「もの」を造り上げること、そのエネルギーがたどり着く先にある暗い深淵がアウステルリッツ氏の目には映っています。
僕らは、普通、みんなが同じ方向を向いて、何か一つのことを達成すること、そのことに高い価値を置きます。みんなが同じ方向を向いているときに、違う方向を見ている人、そういう人に反感を感じます。ともすれば、そうした違う人を排除しがちです。しかし、同じ方向に向いて何かを達成した結果、できあがったものが非人間的で、無機質なものだった場合、それに参加した自分自身をどう評価すべきなのでしょうか。さらに、その過程や、あるいは結果として排除された人々に対して、どのように償っていけばいいのでしょうか。
ゼーバルトが提示しているもの、そのあまりの暗くそして深い問題に正直、暗澹たる思いになりました。
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