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著者 | ロラン・バルト | ||||
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タイトル | 神話作用 |
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出版社 | 現代思潮社 | 出版年 | 1967年 | 価格 | 580 |
評価 | ★★★★ |
バルトは「神話」を、自然の中に歴史的意図を、永遠の中に偶然性を築くこととします。その意味で、神話は決して過去のいつかに創られたものではなく、まさに今現在創られ続けていることになります。
例えば、
「貧困と暴力を廃絶し、民主主義を育てる」
とか、
「海賊版による文化の危機」
など、僕たちの周りにも、その種の「神話」は今なお見られます。
このような「神話」の怖さは、その言葉自体に反論の余地が一見しただけではないことです。
「貧困と暴力を廃絶し、民主主義を育てる」なるほど。しかし、「貧困と暴力を廃絶し、民主主義を育てる」名目で軍隊を派遣した国家では「貧困と暴力」は存在していないのかといったことは考慮されないわけです。ましてや、民主主義が本当に機能しているのか、民主主義以外の統治方法の選択肢も考慮されないわけです。
また、「海賊版による文化の危機」と言われるときの「文化」とは何かも示されることはありません。海賊版によって危機に瀕しているのは商業的価値であって「文化」ではないのではないか、むしろ「文化」を危機的な状況に陥れたのは資本主義そのものではないのか、そもそも「文化」は危機に瀕することがあり得るのか。このような疑問はやはり考慮されなくなってしまいます。
僕が怖いと思ってしまうのは、この種の思考停止が発生してしまうこと、同時に思考停止をしない人を神話が通用している集団内から排除しようとしてしまうこと、この2点です。バルトの言葉を借りれば、
小市民は他者を想像する能力のない人間である。もし他者が眼前に出現すると、小市民は盲目になり、他者を知ろうとせず否定し、またはそれを彼自身に変えてしまう。
集団の中が魔女の釜状態であること、僕自身、それは決して悪いことではないと思います。多様な人を受け入れ、そして常に疑問を持ち続けること、確かに効率性の点からは決して好ましい状態ではないかもしれませんが、集団の健全性を保ち続けるためには、大切なことなのではないかと思います。
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