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著者 | フリーツ・バーランド、ヘンク・ファンドープ | ||||
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タイトル | ヨハン・クライフ「美しく勝利せよ」 |
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出版社 | 二見書房 | 出版年 | 1999年 | 価格 | 1600円 |
評価 | ★★★ |
ヨハン・クライフ。僕の世代だと、選手時代と言うよりは、監督としての印象が強いわけですが、さすがに世界のトッププレイヤーの一人。考え方が
かっこいいです!
内容は監督時代の頃を中心にした回顧録になっていますが、とにもかくにも
かっこいいです!
もちろん、回顧録なわけで、自己弁護になっていることを差し引かなければいけないわけですが、「勝利を目指す人」というのは、こういう考え方をするんだなと感心しました。
例えば、若い選手に対してのアドバイスとして、彼はこんな風に言います。
「昔の私はこの場所で神のような存在だった。きみも、そうなりたいと思っているんだろ? しかしきみには、私の半分の能力もない。半端仕事しかできず、マークを外すことしか頭にない。それくらいなら、今の私にもできる。しかももっとうまくね。神の領域に近づきたいのなら、それなりの働きをするべきだ」
なんとも手厳しい発言です。しかも、この言葉には現役時代の実績が裏付けされているわけで、こんなことを言われた選手はぐうの音も出ないのではないかと思います。もちろん、これだけなら単なる嫌みな指導者なのですが、こうした発言をする一方で、クライフは選手の指導について、
「まず教育する側が個性に気づいてやること、それが肝心なんだ。監督が型にはめてしまってはならない。個性を見抜きそれを伸ばす場を与えてやる」
「後になってとんだ見込み違いだとわかっても、それはそれでかまわない。あらゆる可能性があるのは間違いないんだ。むしろ怖いのは選手の可能性を指導者がつんでしまうことだ」
「純金は大切に守らなきゃならない」
このように発言し、現役時代に名選手だった人にありがちな「自分のコピーを作りたがる」のと一線を画しています。
また、クライフ自身のサッカーに対する考え方も、やっぱり格好いいわけです。クライフは、こんな風に語ります。
「サッカーは頭でするスポーツだ。ここぞという瞬間に、絶好の位置に自分を置く。早すぎても遅すぎてもいけない」
「攻撃型サッカーでは、よほどの能なしでもないかぎり、フォワードの走る距離は15メートルで充分なんだ。どこのチームの監督も、もっと動け、もっと走れの一点張りだろう? そんなに走る必要はまったくないんだよ」
「私の考える理想のプロサッカーとは、まずプロであれば報酬を得るために結果を残すこと。もちろんこれは大切なことだ。しかしそれと同時に人々を魅了する美しいサッカーを目指すことも必要なんだ。(中略)たとえば4対0でリードしていて残り時間が10分。こんな時はシュートをゴールポストに当てて、観客を『おお』とどよめかせたほうが盛り上がるんだ。もう1点加えて5対0にしたってたいした意味はないんだから」
監督という役割についても、
「一回や二回の失敗で怖じ気づくようでは、監督は務まらない。それならさっさと辞めるべきだ。物事は結局なるようにしかならないのだから」
「ルール1―監督の言うことはいつも正しい。ルール2―監督が間違っていても、ただちにルール1が適用される」
「もちろん部分部分での誤りはある。でも結局自分の判断は間違っていなかったと思っている。もしミスがあったとしても、人には言ったりはしないだろうな。たとえ口が裂けても。自分の胸にしまいこむよ。私はそういう人間だからね」
このような発言は、実績がなければ、本当に「何様だ!」なわけですが、一方で、他人を黙らせるだけの実績を残すには、このくらいの強気な考え方を終始ぶれずに一貫することなのかもしれませんね。
ともあれ、現役を引退し60歳になってなお、「まだまだ現役選手に劣らないと思っている。フィールドを少しだけ狭く設定させてもらえばだが」と、ユーモアをまじえて語るクライフ。やっぱり格好いいな〜と思います。
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