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著者 | G.K.チェスタトン | ||||
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タイトル | 求む、有能でないひと |
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出版社 | 国書刊行会 | 出版年 | 2004年 | 価格 | 1800円 |
評価 | ★★★ |
「発言者」の立場は大きく分けて2つあると僕は思っています。
第1は、沈黙している多数派の雄弁な代弁者。第2は、声が届いてこない少数派の拡声器。チェスタトンは、どちらなんだろうと考えながら本書を読んでいました。
誤解のないように先に書いておきますけれど、どちらがより優れているか等という野暮なことを論じるつもりはありません。普通の人達がうまく言えずもどかしく思っていることを、ピッタリとした言葉にすること。それはやはり特殊な能力だと思います。また、多くの人達が想像すらしていないことを、多くの人達にも分かる言葉にすること。それも特殊な能力だと思います。単に立ち位置の違いであって、それ以上の違いはないと僕は思います。
ただ、時代も地域も離れた場所にいる僕にとっては、チェスタトンの発言が、どちらの立場なのかを知ることは、イギリスという不思議な国に一歩近づけるような気がしています。 例えば、チェスタトンが政治について次のように言うとき、
このごろ世間ではずいぶんヘンな思いこみがある。ことがうまくいかないからといって有能な「実務家」を待望する。しかしそういう時は、実際的でない人物が望ましいのではないか。すくなくとも理論家が必要なはずではないか。
この意見が、当時のイギリス国民の多くがぼんやりと感じていたことなのか、それともそうではないのか。こんなところに興味があるのは、少数派なのかもしれませんけれど。
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