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著者 | 伊藤整 | ||||
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タイトル | 小説の方法 小説の認識 |
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出版社 | 岩波書店 | 出版年 | 2006年 | 価格 | 1760円 700円 |
評価 | ★★ |
もちろん僕は文学者でもありませんし、ましてや小説家でもないのですけれど、それでも小説ってこれからどうなるんだろうと気にかかることが多かったりします。
特に日本の明治以降の近代文学のいくつかの作品を読んでの印象として、物語としての広がりが少ないのではないかと気にかかってしまいます。もちろん、このような印象は僕の勝手な思いこみかもしれませんし、日本の小説は物語としての広がりがないと断定できるほど、系統立てて読んでいるわけではないのですが、一方で、日本の文学小説の主流が自身やその周囲の世界を描くことに偏りすぎているのではないかと感じています。
エクスキューズが多く、歯切れが悪くなっていると自分でも思うのですが、もちろん、日本の文学小説に見るべきものがないと言いたいわけではありません。ただ、小説を読んでいるとき、小説を読み終わったときに、もっと物語としてのセンス・オブ・ワンダーがあってもいいのではないかと思っています。
さて、伊藤整の『小説の方法』と『小説の認識』です。
伊藤整は、本書を書く上で次のような問題意識を持っています。
この問題意識は、僕が持っているものとかなり近いものです。
無論、伊藤整が本書を書いた時代から半世紀以上経過しているわけで、その間、日本の文学小説もずいぶん様変わりしているのではないかと思います。しかし、それでも、伊藤整の問題意識は今でも充分通用するものだと思っています。
伊藤整が導き出した結論については、僕が変に紹介するよりもご自身で読んでいただければと思っていますが、とにもかくにもこれから小説を、特に私小説を書こうと思っている方、回り道になるかもしれませんが、一度本書をお読みください。
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