04.01 : 血のなせる技
04.08 : 幹事
04.09 : WindowsCE
04.15 : 笑いに関する構造的考察 または励ましのメールに対して
04.18 : 禁煙について その1
04.21 : パーティジョーク 1
04.24 : いつのまにか青年実業家
ある友人の説によると、僕は
典型的なB型人間
なのだそうです。
そんなこと言われても、僕は血液型と性格についてよく知らないので、コメントのしようがないと言うと、友人は典型的なB型として、以下の特徴を挙げました。
なんかひどい言われような気がします。しかもこれって、単に僕に対する悪口なのではないでしょうか。しかし、反論の余地がないので(どうせ僕は、飽きっぽくて、自分勝手で、正確さに欠けます)、大変悔しい気持ちでいっぱいです。かろうじて、
「そういうあなたは、どうなのでしょうか」
といい返したところ、あっさりと
「自分は、非典型的なB型だ」
と言われてしまいました。
しかし、考えてみれば、これって思いっきり
B型的な自分勝手
だと思うのですが、いかがでしょうか。
春といえば、新入社員と相場が決まっているようですが、僕の職場は、そういう季節的な行事から少し外れたところだったりします。
が、しかし!
それでも、やっぱり一応行事は行事だし〜と言ったとか言わなかったとか、色々と憶測が流れていますが、2月に入社した人の歓迎会と、3月に退社した人の送別会をやることになりました。
しかしまぁ、それはいいのです。けじめというのは必要ですから、たとえ入社から2ヶ月経とうと、やっぱり歓迎会はしてあげた方がいいし、退社から1週間経とうと、やっぱり送別会はしてあげた方がいいと、いくら僕が冷血漢であっても、それぐらいの気持ちは持ち合わせてします。
が、しかし!
なんで僕が幹事なのか!
恐いもの知らずとは、まさにこのことです。彼らは僕が忘年会を喫茶店でやろうとした前科の持ち主だということを知らないのでしょうか。さらに言えば、僕は根っからの自分勝手な人間で、はっきり言って自分さえ楽しければそれで満足してしまう人間だったりするわけで、その辺りのことは考慮されたのでしょうか。さらに、飲めない人間に幹事をやらせてどうするの。
などと泣きを入れつつ、当日を迎えたわけですが、果たして参加された皆さんは満足されたのでしょうか。
ちなみに、僕は気がついたら、事務所のソファーでひっくり返っていました。時計は午前2時を少し回ったところ。寒いです。
昨日、イメージ工学の F氏が、仕事の内合わせでやってくるついでに、新しいアイテムであるノート型の WindwsCEを持ってきてくださる。めちゃめちゃ羨ましい!
早速、今日の帰りに秋葉原でチェック。
キータイプは問題なさそう。画面も広く、すごくよさげ。ただ、ポインターの操作でイラツキそう。あと、複数のウィンドウを参照できないのも、僕の使い方としてはちょっと辛い。
それにしても、あの軽さ、あの画面の広さ(しかもカラー)に加えて、キータイプのやりやすさで、8時間の動作が保証されているのは、すごく魅力的。すくなとも遊び用ではなく、仕事として使う分には、かなり完成されつつあるように思える。個人的には、白黒でかまわないので10時間以上動作してくれれば申し分ないのだけど。
ともあれ、今は12万円は出せないので、当分はおあずけ状態。F先生が新しいアイテムを購入されて、お下がりがまわってくることを期待。
一般に関西の人間は笑いに厳しいと言われています。
勿論、関西以外の人間でも笑いに厳しい人はいますが、関西では「笑い道」というか、なんかその種のものがあって、その道を極めるべく日夜鍛練しているといったおもむきがあります。
ともあれ、関西の笑いの特徴は、「ボケとツッコミ」と言われていますが、忘れてならないのは、
「オチ」
です。実際、
「ボケはなくてもオチがないのは致命的」(by ふくちゃん)
だったりするわけです、オチのない話を聞くと関西の人間は非常に不安になります。だからこそ、日常会話においてすら、非礼を承知で、
「今のは、どこがオチなの?」
と聞いてしまったりします。
ところが、そんな中、京都の人間は、関西の中でもあまりオチを気にしない人種だったりします。むしろ、オチがないことを良しとする風潮があります。より正確に言えば、
オチそうでオチないところに美学を感じる
という実に複雑な精神構造を持っていると言えば、あなたはどう思われるでしょうか。
このような特性は、悠久の時を歩んできた古都京都という歴史的断続性のない地域で生まれ育ってきたために備わったのだとも、基本的に相手の話を上の空でしか聞いていないので、オチに対するリアクションを取りづらいからだとも言われています。
最近この日記にオチがないという励ましのメールを頂きましたが、以上のような理由によって、そもそも僕は「オチ」を付けることは苦手だったりします。実際、普段の生活においても、僕はめったに落とすということをしていません。塾でアルバイトをしていた時も、生徒の答案を見て「ケケケ、オロカモノメ」と言ったことはあっても、決して下のクラスに落とすことはしませんでしたし、大学院時代も学生のレポートを読んで「ケケケ、マヌケメ」と言ったことはあったとしても、赤点をつけて教授に渡すようなことはしませんでした。
その代わりといってはなんですが、僕自身は試験という試験を落ちまくっていたりします。ついでに物もよく落とします。ちなみに、昨夜、長年愛用していたポータブル CDを落として壊してしまいました。これが今回の落ちです。トホホ……
禁煙を始めようと思います。
もっとも、闇雲に禁煙すると言っても成功しないのは、過去何度も経験していることです。そこで、計画的に禁煙を行わなければいけない訳ですが、そのためにまず考えなければならないのは、禁煙しない場合のメリットと、禁煙する場合のメリットの利益考慮です。
禁煙しない場合のメリットは、非常に単純です。1にも、2にも、
タバコを吸いつづけられる
という点に集約できます。
これに対して、禁煙するメリットは、大きく分けて2点あるように思えます。
(1) 経済的効果
1日250円のタバコを1箱吸うと考えると、1ヶ月で約7,500円の出費となります。1年365日吸いつづければ、91,250円の出費です。たまに1日2箱購入する時があることを考えると、年間約10万円の出費となる訳です。このタバコ代を別のものに使うという考えは十分にありそうです。例えば、2年間禁煙すれば、今欲しくてたまらない VAIO-C1(中古で約18万円、消費税別)を購入できる計算になります。これはなかなか良い考えのように思えます。
しかし、冷静に考えれば、2年間禁煙して、やっと VAIO-C1 を購入できる金額にしかならないと考えることもできます。パソコンの性能が飛躍的に向上している今の時代、2年遅れのパソコンというのは、かなり価値が下がっていると言えるでしょう。
さらに言えば、資本主義経済では、通常インフレが進行している方が好景気だと言われています。これは物の価値が上昇することを意味するわけですが、逆に言えば、貨幣価値が下がっているわけです。今日の250円の貨幣価値が、明日は下がっている可能性の方が高い訳です。このように考えると、タバコを購入する行為は、貨幣価値が下がる前に物質的価値に転化している訳で、経済的に正しい選択と言えるでしょう。したがって、禁煙による経済的効果というのは妄想でしかないことが明らかになった訳です。
(2) 肉体的効果
タバコを吸うとガンになる確率が高いのだそうです。したがって、健康のためにタバコをやめましょうということになる訳です。
しかし、この考えは論理的に誤りがあります。
第1に、1度でもタバコを吸った場合、ガンになる確率は、吸わなかった場合に比べて高くなっている。第2、タバコをやめた場合、今以上にガンになる確率を上げないということが期待できる。言い換えればタバコをやめたからと言って確率が下がる訳ではない。以上より、論理的必然的に、既に十分ガンになる確率が高くなっている場合は、タバコをやめようとやめまいとガンになることに変わりはない。したがって、タバコをやめる必要はない。
さらに言えば、タバコを1本吸ったからといって、ガンになる訳ではありません。すでにタバコを吸っている人が1本よけいにタバコを吸ったからといって、その1本が原因でガンになる訳ではありません。数学的帰納法により、何本吸ってもそれが原因でガンになる訳ではないと言えるのではないでしょうか、と僕が言えば、あなたはどのように反論されるでしょうか。
などと考えてくると、まだ当分の間、タバコをやめる必要はなさそうですね。今日も煙がおいしいです。
ある男性が眠りに落ちてから、体の各器官が集まって深夜の会議を開きました。議題は、「退職について」です。
真っ先に手を挙げたのが、心臓でした。
「私は、このろくでもない男のために、一生ポンプ運動をしているけれど、さすがに疲れました。そろそろ引退させてください」
他の器官は慌てて心臓を慰留します。
「君がやめてしまったら、我々はみなおしまいではないか。大変だと思うが、もうしばらく頑張って欲しい」
周囲の説得により、心臓はしぶしぶながらもポンプ運動を続けることに納得しました。次に手を挙げたのが、肺の姉妹です。
「私たちこそ、もうへとへと。いい加減やめさせてもらうわ」
と黄色い声をそろえて訴えます。他の器官は慌てて、「お嬢さん2人にやめられると、我々はそろって死んでしまう。みんなのことを考えて我慢してくれ」と説得します。次に胃とか腸とか、体の各器官がそれぞれ引退させて欲しいと名乗りをあげるのですが、どれもみな却下されます。 一通り、みなが名乗り終えたと思われた頃、片隅から小さな声が聞こえてきました。
「あのー、僕、もうちょっとダメなんで、引退させて頂きたいのですけれど」
すると一同は、声のした方に向かって、
「君、発言するなら、もっと大きな声で言いなさい。それに、着席したまま発言するなんて失礼ではないか。立っていいたまえ」
「立てるほどなら、こんなこと言いません」
ここ最近、大変だったりします。何がって、僕の留守番電話が。
状況を整理すると、僕の知らないうちに、どうやら我が家は洋服屋さんであり、ガラス屋さんであり、網戸屋さんであり、なおかつ電器屋さんになっているようで、本当は僕は、のんびりとこんな日記を書いている場合ではなく、新しく注文してもらったスカートを届けに行き、ガラスを差し替え、返す刀で網戸を張りに行き、なおかつエアコンの取り付けまでしなければいけなかったりします。
これではまるで「ミシン針から大砲まで」の総合商社ではないでしょうか、いやもしかして、僕はいつのまにか商社を経営しているのかも。ひょっとして、僕って青年実業家? うひゃー!
などと思わず一人で盛り上がってしまいますが、それにしても平日のお昼に留守番電話にして、店をほったらかしにしている経営者っていないと思います。我が家に電話をかけてこられている方、そろそろ間違いだということに気がついてください。