08.04 : 芸術家の憂鬱
08.08 : カタカナ表記
08.14 : 真昼の決闘
08.18 : これから新しい生活を始められるお二人に
08.20 : スパゲティーを作ろう
08.24 : ローンなCM
世の中おしなべてうまくいかないものですが、それにしてもこの時期を見計らってエアコンが壊れるというのは、一体何事でしょうか。おりしも東京は連日連夜30度を越える日々が続いています。はたして僕はこの夏を乗り切ることができるのでしょうか。
それはともかく。
仕事で芸術家の人達が集まる会合に出席する。席について、場違いなところに来てしまったと後悔。思わず、
「お呼びでない? お呼びでない! こりゃまた失礼いたしました」
と言って、退出したい気持ちになってしまいましたが、円卓会議ではそれもできず、おとなしく座っている。それにしても、円卓だと内職も居眠りもできないので、大変困る。
ともあれ、今の日本の芸術界は非常に複雑な状況に追い込まれているようです。会議の席上、芸術家の方々は、
「開かれた芸術」「肩のこらない芸術」「多くの人に楽しんでもらえる芸術」
を目指しながら、同時に
「芸術の大衆化」「芸術の商業化」
には深い失望を感じておられるようでした。
芸術家でない僕としては、
そりゃ、あーた、無理な相談だろ
と思うのですが、彼らはいたって真面目に両方の課題に取り組んでいるようです。さすが、芸術家!
観た人がいるかどうか分からないのですが、昨晩、テレビ東京で
『性本能と原爆戦』
という映画をやっていました。
『性本能と原爆戦』というタイトル。さらに放送が深夜の3時と聞いて、あなたはどのような内容を想像されたでしょうか。少なくとも僕は、このタイトル、放送時間に、
『博士の奇妙な愛情』(by スタンリー・キューブリック)
と同種のにおいを感じ、この8月の時期になんと不謹慎、ヤルなテレビ東京と心を弾ませつつ、深夜にのこのこと起き出し、テレビの前に座りました。
この時点まで、僕は、ブラックなユーモアたっぷりの展開を疑いもしていませんでした。余談ですが、僕は戦争を題材にする場合、戦争の悲惨さ残虐さよりも、滑稽さ愚かさを描く作品の方が好きです。僕のような考えは不謹慎なのかもしれません。自分でも、どうして戦争をジョークとして扱いたいのかうまく言えませんが、ひょっとするとポルトマッジョーレ伯爵夫人の考えに近いのかもしれません。
「このすてきな惑星に住むにはわれわれ男どもは殺伐すぎる。もうあきらめた。もうやめた。おしまいだ!」(カート・ヴォネガット、『青ひげ』)
ともあれ。
結論から言えば、僕の予想は外れでした。シリアスに進むストーリー。パニックものにしては冷静に行動する主人公一家。一体なにがどう「性本能」なのか、さっぱり分からないまま2時間はあっという間に過ぎ、残された僕は、白み始めた部屋の中で呆然としていました。
種明かしをすれば、この映画の原題は「Panic in Year Zero」なわけで、一体これをどう訳せば前述のようなタイトルになるのか、英語にうとい僕にはよく分かりませんが、最近、
「安易にカタカナ表記が過ぎる」
と、お叱りのご老体が多い中、
安易な漢字表記もいかがなものか
と思うのですが、どうでしょうか? 一体誰に聞いているのかよく分かりませんけれど。
列車の中で、ようやく歯のはえてきた赤ちゃんを連れた若いお母さんと同席した時のことです。
そろそろ列車の旅に飽きだしたのか、ぐずり始めた赤ちゃんに、お母さんは「ベビーボーロ」を与えました。どうやら、赤ちゃんは「ベビーボーロ」が好物のようで、いたく満足した顔でベビーボーロを食されていたのですが、たった1つ彼(ひょっとすると彼女かもしれませんが)には、気に食わないことがありました。それは、彼の大好きなベビーボーロが、母親の手を介して1つずつしか運ばれてこないということです。彼(もしくは彼女)は、これに大変ご不満なようで、できれば母親の左手に握られているベビーボーロの袋に手を突っ込み、その小さな手一杯にベビーボーロをつかんで、心ゆくまで口の中に放り込むことを望んでいました。
そういうわけで、赤ちゃんは、運ばれてくるベビーボーロを食べつつ、隙あらば母親の左手に握られた袋に手を伸ばしていました。しかし、お母さんはそれを許しません。若く頭のいい母親は赤ちゃんの突撃を、時には闘牛士のように鮮やかにかわし、時には固い石壁のごとき右手で遮断し、また時には優しい口づけで赤ちゃんの戦意を喪失させ、左手のベビーボーロの袋を死守していました。
この激しくも微笑ましい攻防は、部外者である我々の共通の楽しみとして、3駅の間続きましたが、いよいよ終焉を迎えることになりました。お昼時というこもあって、お母さんもお腹がすいていたのでしょう。赤ちゃん用のベビーボーロを自分の口に運んだその瞬間、赤ちゃんは決死のダイブを試み、見事、母親の左手の袋をつかみ取ることに成功しました。
しかし。
勢いあまった赤ちゃんは、一度はつかんだベビーボーロの袋を、そのままはたき落としてしまったのです。ざーっと床にこぼれ落ちるベビーボーロ。あーっと声にならないため息が広がる車内。事態をのみ込めず、しばしつかんだはずの右手を不思議そうに見つめる赤ちゃん。
この勝者も敗者もいない奇妙な戦闘で、おそらく赤ちゃんは次の教訓を得たに違いありません。
「夢はつかんだ瞬間に逃げてしまう」
または
「握力をきたえよう」
まずは、ご結婚おめでとうございます。お二人らしい、すごくいい式でした。
さて、お二人が、なぜ8月15日という日を選ばれたのか分かりませんが、敗戦から54年目の今年、スピーチでN先生がいみじくもおっしゃったように、時代はあまり面白くない方向、剣呑で、きな臭い方向に動いているような気がします。しかし、だからこそ、お二人のような若く優秀な研究者が、必要になってくると思います。
これからの研究者は、身をもって危機を告げる籠の中のカナリヤの役割だけではなく、社会の方向性を示す灯台の役割をも果たしてほしいと思います。
と言っても、アジテーターになってといっている訳ではありません。今の時代、アジテーターはそれこそ嫌になるほどたくさんいます。テレビや新聞・雑誌だけでなく、今やインターネットを利用して有象無象の訳の分からない連中が、自己の信念を表明しています。しかし、彼らの多くは問題を解決することはしません。解決するための能力は勿論、そもそも解決しようとする意思さえないのではないかと僕はにらんでいます。彼らには問題を解決する際に必要になる、歴史に対する良心、自分に直接関与してこない他者の存在に対する認識といったものが決定的に欠けているように僕には見えます。今、そうした歴史への良心、他者に対する認識を持ち合わせているのは、お二人に代表されるこれからの世代の研究者だと思います。
ともあれ、困難な時代を迎えつつあるというものの、お二人は結婚された訳です。困難に対して一人で乗り越えられる人は少なくとも、二人であれば何とかなるものだと世間では言われています。僕はまだ結婚したことがないので、本当かどうか分かりませんけれど、世間の言葉というのは、なかなかあなどれないと最近は考えています。いずれにしても、お二人であれば、きっと何とかなるのだろうと感じています。
また、結婚式に集まった人々は、これからもきっとお二人の力になるはずです。微力ながら僕も、なにかの役には立てるのではないかと思っています。お二人で力を合わせることは勿論、お二人には、これだけの人々がいるのだということを、いつまでも心のどこかに留めておいてください。
それでは、末永くお幸せに。
ある友人は、しきりとスパゲティーを賞賛します。
そんなに、あなたはスパゲティーが好きでしたっけ? と聞いたところ、答えていうには、スパゲティーは手軽に作れて、なおかつ様々なバリエーションを楽しめるのだそうです。
スパゲティーの場合、とりあえず麺をゆでて、あとは市販のミートソースなり何なりをかければ出来上がりです。最近では、ミートソースだけでなく、クリームスープの素だとか、タラコスパゲティーを作るための粉末だとか、その気になれば、その辺のパスタ屋で食べられる一通りのスパゲティーを自宅で作ることができるのだそうです。
これがご飯の場合、同じように一品で手軽にということになれば、卵かけご飯にするとか、シーチキンをほぐして食べるとか、かなりワビサビな世界に突入する雰囲気が漂ってきます。
要するに、スパゲティーは、一人暮らしのずぼらな人間が文化的な食生活を維持するのに最も適した料理だと言ったところでしょうか。
ともあれ、今日はそのスパゲティーの作り方に関するメモです。
●パスタ | |
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●肉類 | 手に入るものなら、豚でも、牛でも、鶏でも、魚でもなんでも可 |
●キノコ類 | これも手に入ったものなら、なんでも可 |
●塩 | |
●マヨネーズ |
※ 量については、全て適量
1. フライパンに油をひき、肉類、キノコ類その他手に入った野菜などを炒める。
2. 鍋にお湯を張り、塩をふってから、パスタをゆでる。
3. パスタがゆであがったら、1とマヨネーズをまぜて軽く炒める。
4. サラダに盛り付けてできあがり。
ラブホテル、美容整形、ローン。
この言葉から、CMを連想された方は、重度の深夜テレビウォッチャーだといえましょう。ちなみに、知人に同じ質問をしたところ返ってきた答えは、「何か不満があるのか?」でした。特にございません。
ともあれ。
一昔前の関西で、深夜に流れるCMと言えば、ラブホテル、美容整形の二大勢力が主流を占めていました。この「愛欲巨頭時代」は、80年代後半に入り、美容整形がエステへ姿を変えゴールデンタイムに進出した隙間を埋めるべく登場したローンCMにより、激動の時代を迎えます。折りからの不況を追い風にして、ローンCMは、またたく間に深夜帯を席捲し、大きく勢力図を塗り替えた後、今や(文字通り)ありあまる資金を背景にオールタイム・イズ・ローンといった様相ですが、ラブホテル、美容整形、ローンCMの特徴は、「ほとんど商品の説明をしない」というところにあります。
今ちょうどテレビでハンバーガーの宣伝をやっていますが、このCMでは、
「期間限定だぜぃ! 安いぜぃ! うまいぜぃ! みんな食べに来るぜぃ!」
ということを恥かしげもなく、絶叫しています。これはあまりにもベタな例ですが、従来のCMは、多かれ少なかれこうした要素を入れていた訳です。
ところが、ローンのCMでは、例えば、お地蔵さんがバーテンダーに扮したり、怪しげな宇宙人が地球によってきたりするわけで、料率だとか、限度額だとか、取りたての厳しさはどうなのかといった肝心なことは、全く触れられないか、ごくわずかばかりのテロップが流れるかだけです。こうした作りは、いわゆるイメージCMといわれるもので、CMとして新しい試みとして評価されています。しかし、そんなローンCMの中でひときわ異彩を放っているのが、武富士です。
なぜそんなに踊るのか!?
思わずテレビの前でそんな突っ込みを入れてしまった人は、きっと僕だけではないはずです。まるで平成のええじゃないかと言っても過言ではないでしょう。もはやイメージCMという枠でくくれないというか、そもそも何のCMかすら分からなくなってしまっているわけで、CMとしての意味をなしているのだろうかと、他人事ながら、思わず心配になってしまいますが、そんな僕の心配とは無関係に、武富士な人々は今日も踊り狂っておられます。いいのか?