12.05 : 貯蓄の勧め
12.08 : 年相応の……
12.12 : あぁ、NTTの巻
12.15 : 哀愁の食堂
12.23 : 1999年の総決算 映画編
12.27 : 一人暮らし
いつものように僕が雑誌を読みながら部屋でごろごろしていると、短大を卒業して2年、本人曰く「自分は2年間で6回しかズル休みしていない勤勉家」(注)である知人が、ばたばたと慌しく帰ってきました。コートも脱がずに、彼女は、
「100万貯まったぜぃ、ガハハ」
と豪傑笑いをして、カバンの中から預金通帳を取りだし、僕の前に差し出しました。
当時学生だった僕は、2年間真面目に働けば100万貯まるんだ、ぐらいの軽い気持ちで彼女の語る苦労話を聞いていたのですが、貯まらないっすね、100万って。
こういう話をすると、経理の女性から、「財形やりましょう、さあしましょう、さくっと始めましょう」という話が出てくるわけですが、今、1万でも入ってこなくなると、たちまち冨倉家の財政状況は逼迫し、日々の生活そのものが成り立たなくなる恐れがあるので、おいそれとは始められません。明日の一万より今日の千円というのが、冨倉家の実情だったりします。
それにしても、他の方はどうやってお金を貯めておられるのでしょうか。
いろいろと聞いて回った結果、どうもお金を貯められるかどうかは、収入の多寡よりも、本人の性格が大きく影響しているのではないかという気が最近しています。
たとえば、ここに58万円あったとします。ここで、
「あと2万円で60万になる」
という気持ちになれる人に祝福あれ。こういう人は、80万貯まったら、次は20万で100万円になるという目標を持ち、どんどん貯蓄が進んでいくのでしょう。
他方で、
「きりのいい50万まで、8万円の余裕がある」
と思ってしまった人。いばらの道が待っています。改心してください。こういう人は、なにかの拍子に49万6千円になった瞬間に、「どうせなら、40万まで使ってしまえ」という気持ちになって、どんどんとお金が減っていく運命にあります。
ちなみに僕は、どうも後者のようで……。
ここ数日、東京はまるで今までの遅れを取り戻すかのように、急ぎ足で寒くなっているわけで、寒がりの僕としては辛い日々が続いていたのですが、この週末は久しぶりに暖かい陽光に恵まれていました。
溜まっていた洗濯物と格闘し、一週間分の買出しを終えた僕は、とりあえずリュックサックに本を詰め込んで、公園でひなたぼっこを楽しむことにしました。
公園では、小さな子供達や、子供が服を汚さないようにはらはらしながら後を追う母親、犬の散歩をする人、弁当を広げている老夫婦達で、それなりににぎわっていました。
そんな中、僕は適当なベンチを占拠し、読みかけの本を広げながら、冬の青空の下、煙草をくゆらせていました。
こんな時、彼女でもいれば、もう少し気分が出るんだけどなぁとラチもないことを考えながら、本を読むでもなく、ぼんやりしていると、向こうのほうから無粋な格好をした人物が、自転車で近づいてきました。
嫌な予感がしなかったというと嘘になるでしょう。しかし、別にやましいことをしているわけでも、後ろ暗いところがあるわけでもないわけで、僕は3本目の煙草に火をつけながら、その人物がやってくるのを、ぼーっと見ていました。
その警官は、公園の入り口で自転車から降りると、他の人々には目もくれず、つかつかと僕のほうに近づいてきました。そして、僕に向かって言うには、
「君、高校は?」
よっぽど「亀岡高校です」と答えようかと思ったものの、話がややこしくなるのは嫌なので、「えっと、今は働いていますけれど」と答えました。すると警官は、
「年齢は?」
と尋ねてきました。ここまでしつこいのは久しぶりです。少しむっとしながら、「28です」と答えました。警官は、しまったという顔で、
「あんまりタバコを吸わないほうがいいよ、体に悪いから」
と言って、その場を立ち去りました。
自分でいうのもなんですが、僕はいわゆる童顔ではないと思っています。確かに、身長160センチ、体重46キロというのは、日本人の中でも小柄なほうだとは思いますが、極端に小さいと言うわけではないんじゃないでしょうか。それにもかかわらず、なぜか昔から、年齢よりも子供っぽく見られることが多いという事実に大変心外していたりします。
後日、知人にこの一件を怒りを込めながら話したところ、一緒になって憤慨してくれると期待していた僕の意に反して、じろじろと僕の服装を見て、
「その格好じゃあなぁ」
と冷たく言い放ちました。
それじゃあ、なんですか。僕に普段から背広を着ろと?
最近、気になって仕方ないのが、電報の車内広告です。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、現在、クリスマスなセットを背景に深田恭子がにっこり微笑みながら電報を読んでいる例のあれです。
深田の恭子ちゃんはともかくとして、気になるのは、電報の文章です。
メリークリスマス!
ちょっと早いけど
来年のクリスマスも
予約させてください
おいおい、ちょっと早いどころの話じゃないだろというベタな突込みをしている場合ではなく。
気になるのは、「来年のクリスマスも予約させてください」の
「も」
です。
論理的に考えれば、「も」と言うからには、今年のクリスマスの予約は取れているわけです。そうするとこの男性は、クリスマスの夜、深田恭子に会うのに、電報を打っていることになります。
たとえば結婚式でもお葬式でも構わないのですが、あれは基本的には欠席者が打つものであって、出席者が電報を打つのは、ちょっと常識外れと言えるのではないかと思います。深田恭子が電報を読んでいる隣で、ニヤニヤしている男性の図というのを想像してみてほしいのですが、どうでしょう、こういうのはキザというよりも、ヤな奴というか、たんなる馬鹿男ではないかというのは、深田恭子に縁のない男のひがみでしょうか。
いずれにせよ、目ざとく深田恭子を起用するあたりは、さすがNTTなのですが、同時に今一つ詰めが甘いところも、いかにもNTTらしいと思うのは僕だけでしょうか。僕の知ってる範囲では優秀な人多いんですけどねぇ。
先日、わりとひいきにしていた食堂が店じまいをしてしまいました。
このお店は、どこからどう見ても「大衆食堂」としか言いようのない店だったのですが、なぜか店長が
「マスター」
と呼ばれるなど、少しばかり怪しげな雰囲気を漂わせていました。
この「マスター」は実に働き者で、調理はもちろんのこと、客のメニューも取れば、配膳、後片付け、はてはテレビのチャンネルの切替まですべて1人でこなしていました。
一人で切り盛りしている関係上、夕食時の混雑した時間になると、「マスター」はパニックになってしまうようで、焼肉定食を注文したら、なぜか
「チャーハンライス」
が出てくるなど、ギャンブル性も豊かでした。それにしても、「チャーハンライス」は、やはり「チャーハン」をおかずにして、「ライス」を食べるのが礼儀と言うものなのでしょうか。それとも、主食はあくまでも「チャーハン」で、ライスはデザートと考えればいいのでしょうか。理解に困るわけですが、それはともかく。
「マスター」のチャーミングさは、これだけにとどまらず、「新メニューに挑戦してみた」と言って、
「チーズ入りアジフライ」
なるものを出して来たり(おいしくないんだ、これが)、本を見て覚えたと、
「ビーフストロガノフもどき」
(なぜかカボチャが入っていて、甘いんだ、これが)を出してみたりと、客を実験台にする大胆な根性を持っていたり、僕が新橋に通勤していると知ると、
「あの辺の料理屋さんって、おいしいんだよねぇ」
って、おいおい、商売敵をほめてどうする、という無邪気さを持ち合わせていたりするわけで、客であるはずの僕の方が、はらはらどきどきする日が続いていました。
この1ヶ月、仕事が忙しくて、この店から足遠くなっていたのですが、そんなある日、突然、
「諸般の事情により閉業します」
の張り紙がシャッターに貼り付けられていました。
「諸般の事情」に、ふかーく納得しつつ、結局、一度も「マスター」と呼ばなかったことを少し後悔する今日この頃。特にオチもないまま、今日の東京日記はここまで。
年の瀬も押し迫った今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は年賀状を1枚も書いていないことに気がついて、ちょっと弱っていますが、それはさておくとして。
この時期、各種メディアで1999年を振り返る的な特集が組まれています。それに便乗して、ここ東京日記でも、今年の総ざらいをすることにします。第1段は、
今年観た映画
なお、蛇足になりますが、あくまでも独断と偏見に基づいていますので、その点ご了承のほどを。
とりあえず、これを外すわけにはいかないでしょう。種々雑多な住人達が1つの街の中でひしめきあっているところなんかは、人種の坩堝であるアメリカならではと感心させられたり、スピード感あふれるレース場面はさすがルーカス! なのですが、今一つ「これは!」と思うものがありませんでした。昭和は遠くなりにけりといったところでしょうか。
アメリカの戦争映画は大別して2つの大きな流れがあるようです。1つは、「頑張れサンダース! アラモ砦を忘れるな!」的な勇猛果敢なアンクルトムを描いた作品で、『コンバット』や『プライベート・ライアン』がこの流れに組するのでしょう。
第2は、そうした国威発揚に対するアンチテーゼというか、戦う目的への疑問、殺人に対する嫌悪感を描いた作品で、ベトナム戦争をテーマにした一連のグループに属するものです。
この『Thin Red Line』は、後者に属するものなのですが、戦争の描き方の是非はともかく、もう少し違った戦争の描き方がそろそろ出てきてもいいのではないでしょうか。たとえば、『鉄の夢』(ノーマン・スピンラッド)なんか面白そうなのですけれど。
実に観客に「親切」な映画でした。これぞ「ハリウッド!」と言うべきなのかもしれませんが、それにしてもどうなんでしょう。これほどまでにてらいもなにもなくステレオタイプを押し通せるのは、それはそれで「奇才」なのかもしれませんが……。ともあれ、哲学者達がサボっている悪影響は、こんなところにまで波及しているわけで、文献漁りもいいですが、そろそろ本腰を入れてほしいものです。
久しぶりにレイトショウに行ってきたわけですが、冬の夜の新宿は本当に寒かった。ともあれ。NTT-XのN氏によると、低廉なプロモーションで興業収益をあげる1つの成功モデルなのだそうですが、『リング』だなんだと騒いでいる日本で受け入れられるか、ちょっとばかり意地悪な気持ちになっていたりします。
実験的な映画。しかし悲しいかな、企画倒れ。というか、新しい試みが、これほどまでに全く無意味な映画もないのではないかという点で、今年最も心に残った映画です。改めて映画というものは、シナリオ・サウンド・ビジュアル・テクノロジーの総合芸術という意味をふか〜くかみ締めさせられた1作でした。
東京での一人暮しを始めて、早くも2年が過ぎたわけで、生活能力0のレッテルを張られつつも、自炊・掃除・洗濯を粛々とこなしている今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。
もっとも、自炊と言っても、炊飯器もなければ、電子レンジも持っていないわけで、やっていることと言えば、とりあえず適当に材料を切って、適当に煮たり、焼いたりしているだけですし、掃除と言っても、時々忘れた頃に掃除機を動かしているだけ。洗濯にいたっては、洗濯機に放り込むだけで、アイロンがけすらしたことないといった有様ですが、それなりに快適気ままな独身生活を送っています。そんな中、いまだに悩ましい問題が1つあります。
ところで、僕はどういうわけか昔からシャワーとの相性がよくありません。ティルブルグ大学の学生寮で、どういう訳かお湯が出てこなくて、1週間もの間、ふるえながら冷水を浴びる羽目になったり、シンガポール空港のシャワー室で、なぜか熱湯か冷水かの二者択一しか選択できなかったりと、さんざんな目にあったりするわけで、ここまでひどくなくても、基本的にシャワーの温度調節はどうも苦手です。
そして、我が家のユニットバスは、シャワーでお湯を張らなければいけなかったりします。
この2年、ある時は、熱湯に飛び上がり、ある時は冷水で震え上がりしているわけで、だいたい5回に1回は温度調節に失敗しています。
しかし、まだ夏場はいいのです。熱湯であれば冷めるまで待てばいいわけですし、冷水であればちょうど暑さしのぎになるわけです。
問題は冬です。
熱ければ熱いで、冷たければ冷たいで、適温になるまで、ガタガタ震えながら待たなくてはいけません。
この時期、僕が体調悪いとぐずぐず言っている背景には、実はこういう理由だったりします。我ながら、情けないというか、なんというか……。