【カエサルなら】 |
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カエサルは無鉄砲である。幼少時に同級生からカエサルの勇気を試され、学校の二階から飛び降りた。カエサルは腰を抜かした。カエサルは母にしかられた。カエサルは次は腰を抜かさずに飛ぶと誓った。 |
どうでしょうか。
ここに書かれている様々な事柄(登場人物が無鉄砲であること、幼少時に飛び降りて父親にしかられたことなど)は、原文から全く変わっていないのに、これはもはや明治の東京の一青年教師の物語ではなく、古代ローマの文筆家キケロをして「当代一の名文家」と言わしめたカエサルの物語になってしまったと言えるのではないでしょうか。
ところで、カエサルといえば、
「来た。見た。勝った」
という名台詞で有名なように、非常に簡潔な文章で知られているわけですが、この「来た。見た。勝った」というのは、本当は誤訳なのではないかと僕はにらんでいます。実際には「来た。見た。勝った」ではなく、
「来てみたら勝っていた」
と訳すべきで、そうするとカエサルというのは、機会主義的な人物だったのではないかと思うのですが、それはともかくとして次の例。