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著者 | ジャン=フィリップ・トゥーサン | ||||
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タイトル | ためらい | ||||
出版社 | 集英社 | 出版年 | 1993年 | 価格 | 1000 |
評価 | ★★★★★ |
ここ最近、トゥーサンの作品を追いかけているわけですが、とうとう4作目。『浴室』で27歳だった主人公の「ぼく」はいつの間にか僕よりも年上の33歳になっていました。
とは言うものの、8ヶ月になる息子を連れてサスエロを訪れている33歳の「ぼく」は、相変わらず挙動不審で、どこか周囲から浮いた存在です。そもそもなにをしに、どういう理由でサスエロを訪れているのか、「ぼく」は一切語りません。恐らく「ぼく」にとってそれは自明のことで、語るべきことではないからでしょう。「ぼく」が語るのは、サスエロについてホテルと町と港で見かけた様々な他愛ないことに終始します。
冒頭「今朝、港で猫の死体を見た」で始まる『ためらい』では、ことあるごとにこのモチーフが繰りかえされます。ひとつのモチーフを変奏もまじえて何度も繰りかえす手法は、トゥーサンの得意とするところですが、本書では猫の死体、それも口に釣り糸をくわえたまま波間を漂っている猫の死体のモチーフは、次第にサスエロに住んでいる友人ビアッジと重なり、ビアッジ家を訪問しようとしない「ぼく」が、その理由を明かさないこともあって、全体的にミステリアスな雰囲気となっています。
もっとも、トゥーサンの主人公は、いつも隔靴掻痒的にただ周辺をなぞるだけで、いっこうに核心を語りません。また、何か事件が起こるわけでもありません。『ためらい』でも、ミステリアスな雰囲気こそあるものの、核心は語られず、事件もほのめされるだけで(それすら、本当にあったことなのか、それとも空想の産物なのかもはっきりとさせず)、ただ淡々と「ぼく」が思い付いたこと、目にしたことだけが語られていきます。
こう書くと一体なにが面白いのかさっぱりわからないのですが、でも、少なくとも僕は、トゥーサンの作品に魅力を感じています。語られつくす爽快感も大切なのかもしれませんが、語られないことも、それはそれで楽しいです。
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