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著者 | ジョルジュ・ペレック | ||||
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タイトル | W あるいは子供の頃の思い出 |
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出版社 | 人文書院 | 出版年 | 1995年 | 価格 | 2678 |
評価 | ★★★ |
読書をしていると面白いもので、意識して選んだわけではないのに、同じようなテーマの本が僕のそばに寄ってくることがあります。本書『W あるいは子供の頃の思い出』は、先日読み終えたばかりの『アウステルリッツ』と同じくホロコーストがテーマになっています。
さて。
1971年生まれ。やっぱりノンポリです。政治にせよ、宗教にせよ、あるいは人生観にせよ、人に語るような何かは持ち合わせていません。もし、強いて言うなら、政治にせよ、宗教にせよ、人生観にせよ、そういった内心の問題は、自分の中で完結していれば、それで充分で、他人に強制したり、あるいは他人から強制されたり、そういうのはどちらもごめんこうむりたいなというのが正直なところです。ただ、ちょうど本書を読んでいた時期に、日本で過去の戦争に関することで、いろいろと周辺諸国ともめていました。この問題について直接コメントすることは僕の主義ではないので差し控えますが、傷つけられた人に対して、傷つけた人が、「もう忘れようよ」というのは、やはりちょっと虫がよすぎるのかなと思います。
ともあれ。
「W」というタイトルが暗示するように本書では2つの物語が交互に進んでいきます。1つは、ある書かれなかった小説に関する様々な寄せ集め。2つめは、スポーツの結果だけがすべてを決定する島の話。両方の物語の根底には、強制収容所のイメージが横たわっています。
少し種明かしになりますが、この「W」という小説は2つの物語が未完のまま終了します。ややメタ文学的な話になりますが、そもそもこの「W」は、スポーツがすべてを決定する島に関する小説としてスタートし、島の物語を書き続けられなくなった著者が、これまた実際に書き続けられなかったもう一つのテーマを加えて1冊の小説としてまとめたものです。
ペレックが結局のところ最後まで書き上げられなかったこと。そのことが、ホロコーストに代表される歴史の被害者の現実を如実に表しているのではないかと思います。同時に、この種の問題の難しさも見事に描ききっているのではないかと思います。
確かに集団としては(あるいは政治的には)解決済みと言えるのかもしれません。あるいはまた、50年以上も昔のことを当時生まれてすらいなかった世代の人々が、その責任を負えと言われても困惑するしかないというのも分かる気がします。しかし他方で、傷つけられた個人が、その痛みを忘れないでいること、忘れようとしても忘れられずにいること、そのことも同様に分かるような気がします。
ペレックが「島」の物語を書き終えられなかったことの意味を受け止める必要が僕らにはありそうです。
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