10/04 : スピルバーグな戦争
10/25 : 職業の貴賎
先日、友人とスティーブン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』を観に行った。
映画のあらすじを簡単に紹介すると、こんな感じ。
1944年6月。ノルマンディ作戦中、最も激戦地であったといわれるオマハビーチの戦闘を生き延びた第2レンジャー大隊C中隊に新たな任務が下された。それは、
「敵戦線後方に落下した生死不明のライアン2等兵を救出する」
というもの。かくして、トム・ハンクス演じるミラー大尉以下8人の兵士は、敵の戦線深く進入していく。途中、待ち受ける数々のドイツ軍を撃退し、いよいよライアン2等兵を発見するものの、彼の口から出た言葉は
「仲間を残して、僕だけ帰るわけにはいかない!」
その言葉に感動したミラー大尉以下6人(ここまでたどり着くのに2人死亡)の兵士は、ライアンと共に、ドイツ軍戦車を撃退することを決意する。
まず、全体的な感想から言うと、
「手堅く作ったなぁ」
この一言に尽きる。
まず、戦争映画として必須の戦闘シーンは、現時点で考えうる技術のありったけを投入し、リアルに描かれている。もちろん、その筋のマニアな人から見れば、軍装から始まって戦車に至るまで、色々といいたいところもあるのだろうが、とりあえず僕は、どこが間違っているのか分からなかった。
また、
という点で観客を引き付けるだけでなく、この手の映画の常として
という点でも、観客をはらはらさせることに成功している。
ともあれ、そろそろ一般の感想も出尽くしたようで、おおむね好評であり、だいたい次のようにまとめられるのではないかと思う。
上記のような感想が、果たして妥当なのかどうか、正直なところ、僕には分からない。と言うのも、僕は、この映画を観て「戦争の悲惨さ」とか、「平和の大切さ」は感じなかった。確かに、一緒に見に行った友人が「歩兵だけにはなりたくないなぁ」ともらしたことには、納得したが、それは「戦争の悲惨さ」ではないと思う。実際、登場人物は比較的、淡々と戦闘に従事しいていたように僕には思える。少なくとも、ベトナム戦争の映画に見られたような「自分の行動の正当性」に悩む人物は、皆無だった。
また、「責任感や勇気とは何か」は、おそらくスピルバーグにとって、大きな主題だっただろう。しかし、僕は、結局この映画から「責任感や勇気」とは何かをつかむことはなかった。それは、上記にも書いたように、登場人物達が自分達の行動の正当性に悩んでいなかったということに起因している。そもそも、責任感や勇気とは、自分の行動や考えに対する疑いを抱いているとき、あるいは確信を持てないときに発揮されるものではないだろうか。
ともあれ、僕にとってのこの映画の位置づけは、「古き良き時代のアメリカ」そのものだったということで、この駄文はおしまい。
先日、テレビで嫌なものを見てしまった。それは、ある年寄りの男性が、町中で漫画雑誌を読んでいる成人を叱り付けるというもの。番組の目的としては、この「ご意見番」的な老人を代弁者として、今の若者のだらしなさを浮き彫りにするということにある。
僕は、「マンガは立派な文化だ」なんて熱弁をふるうほど、若くはない。実際、以前に比べれば、漫画を読む機会はめっきり少なくなった。
ただ、忘れてはいけないと思うのだけれど、マンガを描いているのは、このご意見番に叱られているのと同じ年代の男女だということだ。サラリーマンとしてマンガに携わっている人だっているだろう。さらに言えば、マンガに携わっている人の中には、そろそろ老人の域に入る人だっているのではないだろうか。
要するに何が言いたいかというと、「マンガを仕事にしている人が、あの番組を見たらどう思うだろうか」ということ。
いまだに、世間の「マンガ」に対する評価は、こんなものなのかもしれない。ようやく輸出できる文化を日本が持ったという人も、一方にいるのにね。