− 目次 −
ホテルにて
けっきょく出されなかった ある女性への手紙 / アメリカの店員の愛想の良さに圧倒されるの巻
せっかく、あなたからお電話いただいたのに、結局、僕は返事の電話ができませんでした。怒っておられるでしょうね。許してもらおうとは思いません。返事できないのは、僕が臆病だということ以外のなにものでもないですから。あなたの声を聞いてしまったら、多分、僕はあなたに会いたくなると思います。もし、あなたに会えば、また明日も会いたくなってというように、きっと自分の気持ちを押さえるのがすごく難しくなると思います。僕はそれが恐いのです。
あなたから結婚の話を聞かされた時、正直、僕は当惑しました。僕はまだ結婚について何も考えていません。実際、経済的なことも含めて結婚できるような状態ではないのです。
僕に世間なみの機転がきけば、「3年待って欲しい」ぐらいのことは言えたかもしれません。もしかすると3年たてば、僕を取り巻くいろんな状況が変わっていて、ひょっとすると僕の方から結婚を言い出すようになっているのかもしれません。でも、そうならないかもしれません。今の僕は、3年先はおろか、1年後どうなっているのかすら分からないというのが正直なところです。
ご存知のように、普段、僕は結構いいかげんなことを言ってますし、嘘ばっかりついていますけれど、このことについてだけは、あなたにいい加減なことを言いたくなかったのです。ずいぶん身勝手だと自分でも思いますけれど。
留守番電話の中で、あなたは僕が腹を立てているのではないかと心配されていましたが、その心配は無用です。
自分でも嫌になるぐらい鈍感だと思いますが、僕はあなたから話を聞くまで、あなたが悩んでいることに全く気がつきませんでした。それに、僕はあなたと一緒にいる時間が、あまりにもここちよかったので、あなたが変化を求めていることにも気づかなかったのです。だから、あなたが結婚すると聞いて、確かに最初は驚きました。でも、あなたの立場、あなたの希望を十分理解できるつもりです。なんにも連絡しないのは、怒っているからではなくて、本当に僕が臆病だからです。
ところで、この手紙は、夜遅くアメリカのホテルの一室で書いています。ご存知のように僕は筆無精なので、アメリカという開放的な土地柄と、夜の魔力の手助けを借りて、ようやくこの手紙を書いているといったところです。それから、この手紙を書く気になったのは、ある知人からのアドバイスがあったことを正直に書いておきます(勿論、あなたの名前は出しませんでしたよ!)。
その知人の言葉を借りれば、僕とあなたは、あまりにもタイミングが悪すぎたのでしょう。もう少し後で出会っていれば、あなたにとって僕はたんなる「道を聞いてきた人」でしかないでしょうし、僕にとってあなたは「親切なご婦人」で終わっていたと思います。逆に、もう少し早く知りあっていれば……。もしもを言い出せばきりがありません。少しさみしいですけれど、僕は現実を受け入れようと思います。
現実を受け入れるなどといっておきながら、自分でもずいぶん女々しいと思いますけれど、正直、なにもかもほっぽりだして、今すぐ、あなたに会いに行きたい。あなたの声を聞きたい。アメリカでの面白かったことや、困ったことを、以前と同じように、あなたに伝えたい。でもそれが、あなたを困らせるだけだということは分かっています。
この文章は、最初、手紙としてあなたに出そうと思いました。でも、そうすることで何も解決しないし、かえってあなたを困らせることになるだけでしょう。だから、この手紙は出しません。もう、あなたが僕のホームページを訪れることもないのでしょうが、でも、万が一、来てくださるようなことを考えて、僕の今の気持ちを書いておきます。未練がましいですが、これで最後です。
どうか、お幸せに。
とりあえずチェックインを済ませた後、のどが渇いていた僕は、フロントの女性になにか飲み物を買いたい旨を伝えました。すると、彼女はにこやかな笑みを浮かべて売店を紹介してくれました。言われた通り売店に行くと、やたらとエネルギッシュな男性が、旅行客相手に物を売りさばいておりました。
僕がおずおずと「ミネラルウォーターが欲しい」と言うと、彼は、「水だけでいいのか? 豆類はいらないか? チョコレートはどうか?」と立て続けに聞いてきて、僕が「水だけでいいです」と言うと、非常に残念顔になりました。もっとも、ここまでは普通の商売熱心なお兄さんという範囲です。ところが。
ペットボトルを受け取って立ち去ろうとすると、彼はさらに言葉を続けました。以下、その場のやり取り(なお、表現が硬いのは、冨倉の英語力では微妙なニュアンスが分からないためであって、恐らく彼はもっとフランクな話し方をしていたのだと思います)。
「少年、お前はどこからやって来たのか?」
「日本の東京からだ」
「それは素晴らしい。サンノゼへようこそ。ところで、お前はシングルか」
「はい、その通りだ」
「グッドだ。受付にいる女性は、かつて東京を訪れたことがあるといっていた。話し掛けるといい。アタックしてみろ。ゴーだ、ゴー!」
いかに開放的なアメリカとはいえ、そんなことを従業員が言っていいのでしょうか。
ともあれ、貴重な情報を得たので、少しばかりのチップを渡して勇躍フロントに戻った僕が発見したのは、
受付には美人の女性が3人いる!
さて、この中で東京に行ったことがある女性は誰なのでしょうか?
相変わらず一番肝心の情報を聞き出せない 冨倉