10.07 : 思想信条の自由とはいうものの
10.10 : 隣は何をする人ぞ
10.12 : 恐るべき京都弁口座
10.17 : 食欲の秋
10.18 : 青天の霹靂
10.22 : プレゼント
10.30 : ニュースな人々
日曜日の午前9時。世間はいざ知らず、冨倉家ではいまだ夢さめやらずという時間、その幸せな静寂を打ち破って、玄関のチャイムが狭い部屋の中鳴り響きました。
住人(28歳男性・独身)が、寝ぼけつつ、上は寝巻き代わりのTシャツ、下はそばにかけてあったジーパンといった姿で、玄関の扉を開けると、そこには日曜というのにきちっとした背広姿に新しいネクタイを締めた20歳そこそこの真面目そうな青年が立っていました。彼は実直そうな声で、
「わたくし、このたび、この近くに越してきました青年なんたら会の何某というものですが、つきましては、わたくしどもの会の趣旨を説明いたしたく、ご訪問させていただきました」
お世辞にも頭が起きているとはいえない住人(28歳男性・独身)は、
「今、間に合ってます」
などと、頓珍漢なことを言いながら、扉を閉め、布団の中に戻っていきました。
しばらくすると、再び玄関のチャイムが鳴り響き、住人(28歳男性・独身)が、手近にあったジーパンをはき応対に出ると、そこには無精髭をはやし、よれよれのジーパンによれよれのジャケットを着た25歳前後の男性が立っていました。彼は、ぼそぼそとした声で、
「わたし、今度、台湾に行くことになりまして、今、台湾は地震で大変なのでして、募金の協力をお願いしたいのですが……」
依然として頭の中が真っ白状態の住人(28歳男性・独身)は、
「今、家の人いないんで、よくわかんないんです」
という、母親直伝の意味不明な断りの呪文を言いつつ、扉を閉め、布団の中に戻りました。
しばらくすると、また玄関のチャイムが鳴り、Tシャツにジーパン姿の住人(28歳男性・独身 いいかげんしつこい?)が、玄関を開けると、そこには美人の女性が立っていました。彼女は、すきとおるような声で、
「最近、地震や原発が流行していますが、そのことについてどう思われますでしょうか」
地震や原発って、流行するものだっけ。もしそうなら、ちょっとやだなと思いつつも、霧のかかった頭ではうまく切り返す言葉も見つからず、あーとか、うーとか言っていると、彼女は小冊子を手渡してさっそうと帰っていかれました。
ここまでくれば、覚悟を決めて、さっさと起きればいいような気もしますが(時間は11時を少し回ったところ)、こうなったら意地でも12時までは布団の中にいる!という妙な決心をした住人(28歳男性・独身)が、再びジーパンを脱ぎ、もそもそと布団の中にもぐりこんでいると、またチャイムが。いいかげん横着になってきた住人(28歳男性・独身 いいかげんしつこい!)は、上に着ているTシャツが大きめで太ももぐらいまで丈があること、ブリーフではなくトランクス派であることから、ジーパンを履かずに扉を開けました。しかし、こういうときに限って外に立っていたのは知人でした。冷ややかな視線とともに、
「ズボンぐらい履け」
文句なら、朝の闖入者たちに言ってください。
先ほどから、隣の席の男性は、何か一生懸命にノートに書きこんでいます。しかもその書きこみ方が半端じゃないといいますか、しばらく虚空を見つめ、指折り数えながら、何かを考えていたかと思うと、だだっとペンを走らせ、また虚空を見つめて考え事をはじめるといった感じです。
こういう場合、字数制限のあるキャッチコピーを考えているとか、俳句(川柳でも可)を考えているといったことが推測されるわけで、僕としては大変気になるところです。 申し送れましたが、先ほどから僕の興味をひきつけてやまない隣の男性は、年のころ30前後。五部刈りで、ネクタイこそしていないもののスーツ姿の真面目そうなサラリーマンといった感じです。
ともあれ、ちょうど頼まれていた原稿が行き詰まってしまい、仕事で依頼されているアンケート集計用のデータベースを作るのにも飽きてしまった僕は、あんまり行儀のいいことではないと思いつつ、この男性のノートをちらりと覗き見しました。すると、そこに書かれていたのは、
きよ子、紀香、好美、紀子、香織
など、
女性の名前のオンパレード
ざっと見た感じ、100人ぐらいはあるようです。
一体、彼は何をやっているのでしょうか?
たとえば顧客のリストを作っているということも考えられますが、女性のファーストネームのみの顧客リストが要求される仕事というのも、あまり思いつきません。あるいは、同窓会か何かのために、かつてのクラスメートの名前を書き出しているのでしょうか。そういえば、映画『リアリティ・バイツ』のなかで、一夜を共にした相手の名前を控えるという場面がありましたが、そういうことなのでしょうか。それにしてもあまりにも膨大な数です。28年間生きてきて両手で事足りる僕としては、ちょっとうらやましい気もしますが、実際のところどうなのでしょう。などと考えつつ、ちらりちらり見ていると、僕の視線に気がついた彼は、照れくさそうに笑いながら、
「今度、娘が生まれることになりまして」
あ、なるほど。
先日、久しぶりに京都の市バスに乗りました。考えてみたら、3年ぶりかもしれないと知人とはしゃいでいたわけですが、そんなうかれポンチな我々一行が恐怖のどん底に突入するのに、それほど時間はかかりませんでした。
ご存知の方もおられるでしょうが、最近の京都の市バスのサービスは、なかなか気が利いていて、昼間の時間帯に乗ると、ちょっとした観光バス顔負けの観光案内を流してくれます。たとえば、北野天満宮付近に差し掛かると、「東風吹かば〜」と例の歌を詠み、菅原道真の話を聞かせてくれ、御所の前にくると、やはりまた故事逸話を教えてくれます。僕のような不勉強な人間にとっては、けっこう初耳のことも多く、それなりに楽しい時間を過ごしていたのですが、ところが、突然、テープレコーダに吹きこまれているアナウンスの女性が、
「楽しい京都弁講座」
なるものを始めました。
それによれば、京都弁をマスターするには、3つの言葉の使い方を習得すればいいのだそうです。
まず第1は、「どす」
これは、たとえば、「そうどすか」(そうですかの意)、「あつおすなぁ」(暑いですねの意)などのように、「〜です」の代わりに使われます。
次に、「やす」
これは、「おこしやす」(いらっしゃいませ)、「お帰りやす」(お帰りなさい)などのように、「なさい」などの代わりに使われます。
そして最後に、「はり」
これは、「言わはります」(おっしゃいます)、「来はります」(来られます)などのように、ある種の尊敬語を構成するために使われます。
この3つを使いこなせれば、京都弁はばっちりと言えるかどうかはともかく、これを聞いた知人(大阪在住)は、一言、
「やっぱり京都の人って、性格がきつい」
どうしてでしょうか?
「だって、今の全部、刺すものばっかりやん」
季節は秋です。今年はずいぶん長い間暑い日が続きましたが、ようやく秋らしくなってきました。寒がりの僕は、早くも布団から出るのがつらくなっていますが、それはともかくとしまして。
秋です。夏場は恐くてできなかった作り置きができる季節です。これで冨倉家の食生活と家計が大幅に改善されることを期待するわけですが、はたしてうまくいくでしょうか。食生活の方はともかく、家計の方は改善されないと、ちょっとシャレになっていない状況が続いているので、非常に期待しています。
と言う訳で、冨倉家の家計改善を祈念して、久しぶりに独身男性の料理メモを。
●肉 | 確保できた分、すべて |
---|---|
●ジャガイモ | 小さ目のもの3個 |
●ニンジン | 1本 |
●玉ねぎ | 1個 |
●なす | 3個 |
●マッシュルーム | 1パック |
●クリームシチューのルー | 1箱 |
●塩、コショウ | 適量 |
●牛乳 | 適量 |
1.肉に塩・コショウを振り掛ける。
2.野菜を洗い、必要なものについては皮をむき、適当な大きさに切る。
3.鍋に油をひき、肉の表面が軽く焼けるまで炒める。
4.野菜を投入し、引き続き炒める。
5.水を入れ、一気に強火で15分ほど煮込む。
6.その後、弱火で10分ほど煮込む。
7.弱火のままルーを入れ、5分ほど煮込む。好みに合わせて、牛乳を入れてもいい。
8.ルーが溶けたら、できあがり。
その1
基本的にカレーと作り方は同じ。ということは分かっていたのに、前回の注意が全くいかされていないのはどういうことだろうか。やっぱりジャガイモは溶けて消えてしまった。
その2
パッケージのクリームシチューは、どうしてあんなに白いのだろう。アクはマメに取った方がいいのかもしれない。
その3
いずれにしても、料理の途中で、飽きて本を読み出さないこと。
東京にいると、30歳で独身と言ってもそれほど違和感ありませんが、これが僕の実家だと、少しばかり事態は違ってくるようです。実際、この東京日記でも時々書いていますが、今年は大学時代の知人の結婚ラッシュだったりします。
僕自身、ここ数年、「そろそろ……」という言葉と共に、お見合いという言葉がちらほら親戚から聞かれ、弱っていたりするわけですが、幸い今年に限って言えば、妹が結婚したところということもあり、周囲からの圧力は少々軽くなっています。しかも、来年は恐らく妹の出産ということで、それどころじゃないという逃げ口上がちゃっかりできていたりするわけで、生まれて初めて
妹がいて良かった
という気持ちになっていたりするのですが、そんなのんべんだらりんとした生活を送っているところに、突如、見合い話が降って湧いてしまって、正直、途方にくれつつ今日の日記を書いているのですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。しかも、会うのは明日。おいおい、どうすんの。
これまでの僕なら、
そんな話知ったこっちゃない
と逃げを決め込むところですが、今回紹介してくれた人は、仕事でいろいろと恩を受けているということもありますし、僕を見込んで(?)女性を紹介してもらえることは、すごく光栄だと感謝するわけですけれど、それにしても弱りました。ホント、どうしましょう。
しかし、弱ってばかりもいられないわけで、腹をくくって明日を迎えるわけですが、実際、相手にも選ぶ権利はあるわけで、自分で言うのもなんですが、僕は女性にもてるタイプではないので、結婚とかそういう話が出る前に話が終わる可能性の方が高いのでしょう、多分。
もっとも、それはそれで、寂しい話ですけれど。
夜遅く、近くのコンビに夜食を買いに出かけたところ、後ろからのろのろと走ってきた車が、僕を追い越したところで停止しました。何だろうと思っていると、車の中から、「すみません」との声。
道でも聞くのかと思って、「どうされました」と近づくと、車の人は、
「これ、あげます」
と中から白い包みを差し出されました。
しかし、そんなものを差し出されても困ってしまうわけです。なにしろ僕はこれから食糧を買い込みにいくわけで、余分な荷物は持ちたくありません。そう言う訳で、丁重にお断りしました。
それから2週間ほどたった夜。友人の家に遊びに行こうと、深夜の東十条を歩いていたところ、後ろからのろのろと走ってきた車が、僕を追い越したところで停止し、中から、
「これ、どうぞ」
と白い包みを差し出されました。
そして昨晩。
二度あることは三度あるといいますが、また夜遅く歩いていると、後ろから車が走ってきて、僕を追い越したところで停車し、なかから白い包み紙を差し出して、
「これ、受け取ってください」
こういう場合どうなのでしょう。
大阪商人であれば、
「くれるゆうてるもん、もらっとけ」
ということになるのでしょうが、他方で近江商人であれば、
「タダより高いものはあらへん。もらういわれのないもん、もろたらあかん」
ということになります。
戸惑う僕におかまいなしに、「さぁ受け取れ」とばかりに差し出される白い包み紙。一体包みの中には何が入っているのでしょうか。非常に気になるところですが、ここはやはり、
「知らない人から、物をもらってはいけません」
という幼稚園の先生との約束を守ることにしたわけですが、本当に包みの中は何なのでしょうか。そして、僕に渡そうとするのは、一体なんのため?
まだまだ東京は奥が深そうです。
久米君亡き後(って、おいおい勝手に殺すな)、夜のニュース番組の勢力図は大きく描き変えられようとしているのだそうです。
夜のニュースといえば、9時のNHKニュースに始まり、ニュースステーションを経て、乱立する11時台へと突入する時代が長く続いていたわけですが、こうした構造を形作ったのは、やはり久米君の功績と言えるでしょう。彼の登場によって、多くの日本人は、ニュースを読む人には、アナウンサーと呼ばれる人と、ニュースキャスターと呼ばれる2種類の人種がいることを知ったのではないかと思います。
もちろん、批判は多数ありましたし、ライバルがいなかったわけでもありません。かたや櫻井のよっちゃんが、いくつになってもお嬢様といった感じで微笑み、かたや筑紫君がぼさぼさなのかセットしているのかよく分からない白髪を振り乱していたわけで、その上に君臨していた久米君。好き嫌いは別として、彼の「あんたは何様だ」的な人を食った仕切りは、うひゃひゃ笑いと共に長く語り継がれることでしょう。
ともあれ、久米君亡き今(だから、死んでないって)、再び戦国時代に戻った夜のニュース。現時点では、リタイアした櫻井のよっちゃん、全国ネットではない東京テレビを尻目に、エキセントリックな白髪がチャームポイントの筑紫君が、一歩リードと言ったところでしょうか。
そんな中、各局の争いに加われずに、指をくわえているのがフジテレビ・ニュースジャパンです。
元々フジは、スポーツニュースにバラエティを持ち込んだり、人生相談をバラエティにしてしまったりと、バラエティに関して言えば他局の追随を許さないわけですが、ことニュースに関しては、なにしろ母体が
「産経新聞」
ニュースソースの分析に今一つひねりが足りず、苦戦を強いられています。
もちろん、フジもただ手をこまねいているわけではありません。お得意のバラエティ路線を打ち出して女子アナを大量投入してみたり、若いホスト川端君にかしずかれるオールドミス安藤君(彼女が実際には結婚しているかどうかは、ここでは別問題)という絶妙の配役で世間をあっと言わせたりと、いろいろと手を変え品を変え仕掛けてきたわけですが、現時点では、必ずしも期待通りの効果をあげておらず、とうとう11時30分という時間帯にまで後退を余儀なくされているというの実情です。今後の安藤君の巻き返しが期待されるところです。
などと僕にしては、きれいにまとめてみたわけですが、誰か忘れているのではないでしょうか。そうです、例の
木村の太郎君
です。
つぶらなんだか細いんだかはっきりしない瞳。がっしりしているのか中年太りなのか判然としない体格。正義感に燃える熱血漢なのか、斜に構えた厭世家なのか、どちらとも言えない発言スタンス。そしてなにより、番組のご意見番として控えているのか、それとも窓際に追いやられただけなのかどっちなのと思わず聞きたくなる立ち位置。
このように何かにおいて中途半端な木村の太郎君ですが、彼の最大の弱点は、あの名前だと思うのは僕だけでしょうか。
28にもなって、他人の名前をあげつらうのは、いかにも子供っぽいと気が引けますが、それでもやはりあの名前は安直過ぎるのではないでしょうか。
彼が眉をひそめて世情を批判しても、
「そうは言っても、木村の太郎君の意見じゃなぁ」
と思ってしまうわけで、名は体を表すと言うことですし、ここは一つ思い切って、芸名を使ってみてはいかがでしょうか。余計なお世話?