11月の生き方


日記の目次

11.01 : 猫と独身
11.06 : 時間厳守でお願いします
11.09 : 紳士
11.17 : もしかして僕は買い物が下手なのかも
11.22 : 秋葉原
11.23 : タマゴ
11.29 : 大家のおばあさん
11.30 : 作り置き


猫と独身

1999.11.01

 日曜日の昼下がり。

 近くの川辺で、朝食と昼食を兼用したサンドイッチを食べつつ、のんびりと本を読んでいると、かたわらに2匹の猫が寄り添って丸くなっていました。

 辺りは人通りも少なく、大通りからも離れているため、聞こえてくるものといえば、どこかで野球でもやっているのでしょうか、時折遠くのほうから風に乗って届く歓声ぐらいです。

 肌寒くなったとはいえ、秋の陽光は、春とは違った柔らかさで、2匹の猫と1人の人間が座っているベンチを包み込んでいました。

 猫達は、首輪をしていないところを見ると、野良なのかもしれませんが、僕を怖がるふうでもなく、太陽の方に顔を向け、仲良く2匹で丸くなっています。

 あまりにも仲がいいので、少しばかり意地悪な気持ちになった僕は、ひゅっと口笛を吹きました。

 うるさいなとでも言いたげな顔で振り向いた2匹の猫は、2匹仲良く口元から地面につきそうなぐらいヨダレをたらしていました。

 夕べはさぞ楽しかったのでしょう。

 なんとなく敗北感を感じながら、これ以上邪魔しないよう、そそくさと帰り支度を始めたわけですが、それにしても最近、季節感がなくなっていけません。秋は別れの季節だったはずです。猫に愚痴っても仕方ないのですけれど。


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時間厳守でお願いします

1999.11.06

 どういう訳か、僕は昔から待ち合わせが得意ではありません。だいたい4回に1回ぐらいは遅刻しているのではないでしょうか。4回に1回なら、なんてことない気もしますが、たとえば週に1回、友達と出かける約束なんかをすると、1月に1回遅刻している計算になります。そして悪いことに、この1回の遅刻が、「また今月も遅刻した」という非難へとつながるようです。たとえ僕が「残りの3回は遅刻してないやん」と弁明しても、これまでの経験で言えば、そうした抗弁が通ることはほとんどありません。理不尽なものを感じますが、しかし遅刻したのは事実ですから、自業自得とあきらめて、おとなしく文句を聞かされることになります。

 僕の名誉のために言っておくと、出かける前から

「遅刻してもいいや」

と思っているわけではありません。むしろ待ち合わせの30分ぐらい前には待ち合わせ場所に着くぐらいの勢いで家を出ていたりします。自分でも、なんて律儀なんだろうと感心するぐらいです。

 ところが。

 どういう訳か、アクシデントが起こるのです。

 たとえば、列車の乗り継ぎがうまくいかなかったとか、目印にしていた看板が見つからなかったとか、途中で横道に入ってしまったら道に迷ってしまったとか、待ち合わせ場所を間違えたとか、そもそも待ち合わせ時間を間違えていたとか。

 また仮に無事に時間前に到着したとしても、まだ安心はできません。

 僕は小学生の頃から先生に

「もう少し落ちつきを持ちましょうね」

と言われるぐらい、じっとしているのが嫌いな人間でして、時間までの間、その辺を散歩してしまうわけです。そうすると、古本屋を見つけたり、大道芸人のおじさんがお手玉をしていたり、道端で怪しげなものを並べている露店があったりする訳で、そういうところに立ち寄っていると、あっという間に時間がたってしまい、気がつくと何故か待ち合わせの時間はとっくに過ぎ去っているということになります。

 そういうわけで、僕が遅刻するのは不可効力と言えるのではないでしょうか。不可抗力である以上、僕の力の及ぶところではないと言えるでしょう。そして僕は無駄なあがきはしないことにしています。

 いえ、別に遅刻したことを開き直るわけではありません。待たせて悪いなぁと心から思います。しかしだからと言って、どんなに慌てても過ぎ去った時間は戻ってこないわけです。そうである以上、息せき切って駆けつけて、日ごろの運動不足を呪いながら息が整うまで休憩するよりも、慌てずに歩いて行く方が、遅れを取り返すためにすぐさま次の行動に移れるのですから、合理的精神に合致すると言えるのではないでしょうか。しかし残念なことに、こうした完璧な理屈は受け入れられたためしがありません。

 ともあれ、明日、僕は久しぶりに待ち合わせをして出かけることになっていたりします。はたして僕は時間どおりに待ち合わせに現れることができるでしょうか。自信は全くありません。

 と言うわけで、今日の日記は早くも間に合わなかったときの言い訳だったりします。願わくば、知人がこの日記を読んで納得してくれればいいのですけれど。


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紳士

1999.11.09

 その夜、吉野家はいつもと違う空気に包まれていました。

 吉野家を一変させているのは、一人の初老の男性の存在でした。タキシードに蝶ネクタイ、背筋はあくまでもシャンと伸びており、口元にはカイゼルヒゲ。まさに

紳士

としか形容しようのないこの人物が店に入ってきたのは、間もなく日付が変わろうかという時間でした。

 彼は、店内に入ってくると、初老とは思えない軽い足取りで僕の右隣に座り、マフラーをさっとほどくと、慣れた手つきでくるくるっと丸め、開いている席に置きました。完璧です。文句のつけようがありません。

 紳士は、「ご注文はお決まりでしょうか」という店員の声に、落ちついた低い、それでいてよく通る声でオーダーを言いました。

「卵とみそ汁、それに頭の部分

「なんや、その頭の部分って」

 おそらく、店内にいた誰もが、そう思ったに違いありません。考えてもみてください。場所は吉野家です。メニューは、例の「並」「大盛」「特盛」しかないようなところです。

 店員は、

「えっと、卵とみそ汁、それから、あのぉ……」

と再度、紳士の注文を聞きなおそうとしました。恐らく店員としても、何かの聞き間違えではないかと思ったのでしょう。それに対して紳士は、

「頭の部分」

ときっぱりと断言しました。もはや聞き違えではありません。

 店員は、なおも食い下がり、

「頭の部分といいますと……」

と紳士にたずねました。紳士は、この店員の無知を哀れむかのように、

「君、頭の部分と言えば頭の部分です」

と答えました。

 はたして、「頭の部分」とはなんでしょうか。もしかして、吉野家には裏メニューとでもいうようなものがあるのかもしれません。そう考えれば、アルバイトの店員が、この「頭の部分」が何かを知らないとしても無理のないところでしょう。店員もそう悟ったのか、

「卵1丁、みそ汁1杯。それに頭の部分」

と店の奥に伝えました。

 しばらくすると、奥からこの店の店長らしい人物がやってきて、

「頭の部分ですね」

と確認しました。紳士は、静かにうなずきました。

やっぱりあるのか、頭の部分!

 こうなると、店内は何が出てくるのか興味津々で、誰も席を立とうとはしません。

 安さだけでなく、速さも売りにしている吉野家。待つこと数分で、再び店長らしき人物が出てきて、おずおずと紳士の前に注文の品を出しました。紳士は、軽くうなずき、出されたものを食べ始めました。

 紳士の前に並べられたのは、卵とみそ汁、それにお皿の上に乗った牛肉の山。

「それって、牛皿ちゃうん」

 無言の突っ込みを受ける中、紳士は実においしそうに「頭の部分」を食されていました。

 それにしてもどうなのでしょう。蕎麦屋で「おかめ1丁」というのと同じように、「頭の部分」と言うのが「通」というものなのでしょうか。それとも、あれは本当に「頭の部分」なのでしょうか。謎が謎を呼ぶ吉野家&初老の紳士。東京にはまだまだ僕の知らない世界があるようです。


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もしかして僕は買い物が下手なのかも

1999.11.17

 福岡のミロさんから、「持つべきものは金と暇 買うべきものは心の平和」というメッセージをいただきました。至言です。

 どうも僕は昔から、この部分のバランスが悪いようでして、学生時代は

「時間ならたくさんあるけれどお金がない」

の典型で、今は

「お金はそんなにないけど、時間もそんなにない」

という状況だったりします。結局、

お金がないだけ

という気がしないでもないですが、それはさておくとして。

 一人暮らしは、僕のような人間にとっては大変お気楽なものでして、食費や生活必需品のたぐいを除けば、だいたい何を買うにしても趣味的になります。そういう意味では、「買うべきものは心の平和」を実行できていても不思議じゃないのですが、ところが、世の中というのはどうもうまくいかないようでして……。

 たとえば、ここにコルク抜きがあります。1個99円(税別)でした。用途は、当然、コルクを抜くわけで、コルクと言えばワインです。すっげー、ワインだぜ。僕もリッチになったものです(実際にはもらい物なので、僕のふところは痛まなかったのですけれど)。

 ところが。

 このコルク抜きは、1本のコルクを抜くこともなく、ご臨終という寂しい結末を迎えていたりします。しかも念の入ったことに、今まさにコルクを抜いている途中で、金属部分が折れるというお亡くなり方をして、後には針金をつきたてたままのワインビンが残されるというなんともせつない状況だったりします。これでは、ちょっと「心の平和」どころの話ではありません。

 またここに木製の踏み台があります。1個980円(税別)でした。もちろん、踏み台ですから、高いところのものを取る時に使うことになります。ところで、我家で高いところにあるものといえば、流し台の上にある戸棚が唯一の高いところにある物置なのですが、一人暮し、そんなところにしまいこむほどたくさんの物を持っているわけではありません。では、なぜ我家に踏み台なんかがあるというと、話せば長くなるのですが、結論から言えば、当初、この踏み台は「座椅子」として我家にやってきたという動かしがたい事実があります(詳細については、5月の日記をどうぞ)。言いかえれば、僕は座椅子と踏み台の区別もつかない世間知らずの大馬鹿だということになるわけで、これまたちょっと「心の平和」にはつながらないわけです。

 さらに駄目押しのように、ここにLibretto ff1100 があります。14万8000円(税別)でした。ちっちゃくて軽い可愛いノート型パソコンです。今では外出先でのメインマシーンとして、けなげに働いてくれています。

 ところが、この Libretto は、ハードディスクが標準で 3G がほどしかないため、前に使っていたパソコンからデータを移行したら、それだけで一杯になってしまいました。と言うわけで、ハードディスクを交換して、ついでに大容量バッテリーも購入して、それでもって念のためにフロッピーディスクドライブも購入して……なんてことをやっていると、結局、20万円の出費になってしまいました。くわっ、これなら VAIO (カメラつき)を買えたやん、と一瞬頭をよぎったものの、いやいやこの小ささが魅力なんだよねぇと思いなおしたりしているわけですが、しかし、問題はここ数日、どうも調子が良くないということです。基本的に僕はパソコンのトラブルを解決する作業を楽しいと感じるほどパソコンが好きなわけではないので、フリーズするたびに、ビル君(もちろん、クリントン君じゃないほう)に悪態をつきつつ、実に悩ましい日々を送っていたりします。

 こうやって改めてここ半年に買ったものを書き出してみると、心の平和どころか、買ってきたもので心乱される日々のほうが多いんじゃないかという気がしてきました。まだまだ悟りにはほど遠いようです。


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秋葉原

1999.11.22

 これまでワープロも触ったことないのだけれど、最近コンピュータに少し興味を持ち始めたという知人と一緒に、秋葉原に行ってきました。

 とりあえず iMac を見せて、その次に タワー型のごっつい Windows マシーンを見せ、大きいでしょ、ねっ、ねっ、とたたみかけつつ、もう一度、iMac 売り場に行くという、

あきらかに偏向した案内

をしたところ、彼女は少しばかり iMac に気持ちが傾いたようでした。

 ここまでは、僕の目論見通りです。

 ところが。

 休憩を取るため喫茶店でだべっていると、突然彼女が質問してきました。

「あなたは現在どのようなパソコンを使っているのか」

 しぶしぶ僕は、「不本意ながらWindows系のパソコンです」と答えました。

「では、私が iMac を買った場合、誰が私の iMac の面倒をみてくれるのですか」
「勿論、僕の分かる範囲で協力させていただきます」
「しかし、それなら、Windows のパソコンを買った方が、なにかと便利なのではないか」
「それは違います。お姉様(注)がWindows をお買いになった場合、僕は面倒をみるつもりはございません。なぜかと言うと、いったんトラブルが発生すると、Windows では、どうやったら直せるのか、はっきり言ってよく分からないからです」
「でも、あなたは現在 Windows を使っているんでしょう? Mac のことも分かるの?」
「いいえ。ですが、一緒に試行錯誤をしてあげることはできます」

 彼女は、不審そうに小首を傾けました。それから少し眉をひそめ、

「もしかして、私に Mac を買わせて、自分のおもちゃにしようとしてない?」

−今日の教訓− 察しのいい女性と秋葉原に行かないこと。


【注】
 一般的に関西の人間は、年上、年下に関わらず、年頃の女性(まれに年頃でない場合にも使うことがありますが、その場合はお世辞です)に対して「お姉さん」と呼びかける傾向にあります。

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タマゴ

1999.11.23

 近くの食堂では、定食を頼むと生卵がついてきます。

 生卵と一口で言っても、人によって食べ方はいろいろあるようでして、おわんに卵を割って、それにしょうゆをかけて、ぐるぐるとかき回し、ご飯にかけるという食べ方。これはまぁ、普通の食べ方なのではないでしょうか。そうかと思うと、いきなりご飯の上で卵を割り、しょうゆをぶっかけて食べる人。大変男らしいです。さらには、有無を言わさず、生卵を一気のみする人。健康にはよさそうですが、ちょっと僕はまねしたくありません。

 先日、いつものように、定食を注文して、ボーっとしていると、僕の席の前に陣取っていた人物が、タマゴ立てを要求しました。この時点で、事の異常さに気づくべきだったのですが、しかし、神ならぬ身、変わったことをいう人だなぁという程度で、久しぶりのトンカツ定食の方に僕の意識は集中していました。

 それでも、やはり少しは気になるわけで、成り行きを見るともなしに見ていると、男は、タマゴ立てを持ってきた店員になにやら耳打ちをしました。すると店員は困惑したような表情を浮かべ、奥の方に引っ込みました。再び現れた店員の手には、ストローが。

 一体何をする気なのか。あらためて男を見ると、いつのまにか器用に頭の部分を割られたタマゴが、エッグスタンドの上に鎮座していました。

まさか、あれを吸うのか、ストローで!?

思わず倒置法を使ってしまうほど驚く僕の目の前で、男は実にうまそうに、ずずーっと卵を吸い始めました。

 冷静に考えれば、生卵をストローで吸うという行為には、人並みはずれた肺活量が必要なはずです。ひょっとすると、彼は巣潜りの選手かなにかで、普段からああやって肺活量を鍛えているのかもしれません。

 しかし、問題はそういう事ではなく、ストローで生卵を吸うという光景は、実になんと言いますか、おいしくなさそうです。

 もっとも、うまいかまずいかは、本人さえ納得すればいい問題なのでしょう。そうやって自分を納得させつつも、いつもより心なし遠くに見える生卵の処理に困りつつ、ふけていく東京の夜。結局、生卵を残してしまいました。


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大家のおばあさん

1999.11.29

 僕が今住んでいるアパートの大家のおばあさんは、今年90歳ながら、手押し車を押して2キロの距離を平気で歩いたりして、まだまだ大変お元気で、洒落っ気もあり、耳が遠いためか時々トンチンカンな会話になるものの、機転もきき、若かりし頃は美人だったんだろうという雰囲気を漂わせておられます。

 このおばあさん、ある時は夕食にどうぞとお弁当を差し入れてくれたり、旅行に行ってきたと言ってはお土産の干物をくれたりと、住人に対してのサービス精神も旺盛だったりします。

 ところが、最近、少し困ったことに、どうもこのおばあさんは、僕がそろそろ結婚すると思っているようなのです。そのためかどうか、顔をあわせると、「今のお部屋じゃ狭いでしょう。お二人でも住めるように、お部屋を直しましょうね」と言ってみたり、「カーテンがついてないでしょう。外から見られたら可愛そうだから、今度つけてあげましょうね」と言ってみたりと、僕を当惑させるようなことをおっしゃります。

 あのね、おばあちゃん、結婚どころから、その前に恋人もいないんですよと言うのですが、「カーテンは青色がいいかしら」などと、僕の話に聞く耳を持ってくれません。

 それにしても、おばあさんは、なぜ僕が結婚すると思いこんでいるのでしょうか。

 断っておきますが、今の部屋に僕は女性を泊めたことはおろか、招き入れたこともありません。招き入れられるような状態じゃないというか、そもそも来てくれる女性すらいないという大変寂しい現実だったりするわけで、おばあさんの誤解の原因がさっぱりわからないわけです。

 誤解はさっさと解いておくに限るわけで、その旨、おばあさんに伝えると、彼女は怪訝そうな顔をして、

「でも、この前、お留守の時に2人連れの若い女性の方が、1時間ほどお待ちでしたよ」

誰だ一体?

というか、

誰でもいいから、そういう罪作りなことはやめてくれ〜


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作り置き

1999.11.30

 今週「クリームシチューが食べたい」という目標を掲げたわけですが、そんなもん、公衆に宣言するまでもなく、さっさと食べればいいやんという突込みを受けつつ、日々を送っている今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて、問題は、冨倉家の鍋の中に腐るほどあるビーフシチューです。

 ご賢察の通り、作りすぎてしまいました。この日曜日から今日までの3日間、毎晩ビーフシチューを食べつづけています。この調子だと、明晩もまたビーフシチューとご対面することになりそうです。なんたることか。

 そもそもの問題は、近くのスーパーが、1人分だけの材料を売ってくれないからです。

 ジャガイモなんか、5個まとめて1袋、もってけ泥棒といった感じで売られているのですが、僕には2個で充分なのです。ニンジンだってそうです。馬じゃないんだから、2本も3本もいらない! と僕が抵抗しても、残念ながらバラ売りしてくれません。さらにルーにいたっては、10皿分! そんなに食べられないっすよ。

 こういうのは典型的な抱き合わせ販売といえるのではないか、公正取引委員会に訴えてやる! と息巻いても、相手にされないのは日を見るより明らかなので、悲しい気持ちになりながら、明日もビーフシチューを食べようと思います。

 それにしても、1人用パックなんて形で売り出せば、絶対売れると思うのですが、いかがでしょうか、スーパー関係者の方々。


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とみくら まさや(vzx01036@nifty.ne.jp) $ Date: 1999/11/01 $