子供の頃、鳥取に家族旅行に行ったときのことです。当時の僕は、まだ何も知らない全くの子供でして、生まれて初めて見るラクダに、やたらと関心を持って、ちょっかいを出したところ、追いかけ回されたという貴重な(?)体験をしました。それ以来、どうもラクダって苦手なのですが、それはともかく。
江戸の頃、ラクダの、あののんびりとした姿を見た人々は、だらだらとごくつぶしをしている人のことを、「らくだ」と馬鹿にしていたのだそうです。でも、ラクダって、結構走るの速いっすよ。
さて、長屋で「らくだ」とあだ名されていた人が亡くなりました。ごくつぶしでも、葬式ぐらいは出してやろうと、友人が集まったのですが、「ラクダ」の友人です。葬式代として集めたお金で、お酒を飲んで、さんざクダを巻いてしまいます。
べろんべろんに酔いつつも、とにかく火葬場に仏さんを持っていくのですが、中の何人かは、自分たちがどこに行っているのか分からなくなっているものもおります。
「一体、ここはどこだい」
「ここは、火屋だよ」
「冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯おくれ」
若旦那とくれば、落語の世界では放蕩息子と相場が決まっておりまして……。
「えぇ、開けとくれ」
「はい、どちら様でしょう」
「(ぎくりとして) 親父だよ。どうしよ。一番悪い人が起きてるよ……あたくしですが、ちょっと開けてください」
「あたくしどもの店は10時で閉店でございます。お買い物は明日にお願いします。毎度ありがとうございます」
「いえ、買い物じゃありません。あたしですよ」
「あたし、じゃ分かりません。お名前をはっきり申してください」
「あなたの倅の幸太郎でございます」
「手前どもには、幸太郎という息子はございません。昨日まではおりましたが、ついさっき勘当を言い渡しました」
「ひとり息子を勘当して、跡継ぎはどうするんですか」
「そんなことは、こちらの考えることです」
「そうですか。それじゃあ、あたしは行くところがないので死にます。よござんすか。死にますよ」
「どうぞ、ご自由に」
「くそ。こうなったらやけっぱちだ。火をつけてやる」
「(びっくりして)つけかねないよ。あの野郎は。畜生め」
慌てて父親は、そばにあった六尺棒を持って、外に飛び出ます。そのすきに、息子の方はちゃっかりと家の中に入り、鍵をかけてしまいます。
「おい、開けとくれ」
「どちらさんです」
「お前の親父の幸右衛門だ」
「手前どもには、幸右衛門という親父はおりません。ついさっき、勘当しました」
「何を言ってやがるんだ。親を勘当するやつがあるか。俺の真似ばかりしやがって。そんなに俺の真似がしたかったら、六尺棒持って追いかけてこい」
ろくろっ首と言いますと、あの首がにゅっと伸びる例のアレですが、その昔は、「親の因果が子に報い」と仏教の因果応報の思想もからんで、実在すると思われていました。確かに、ほの暗い行灯の光りと、障子に映った女性の影。その影の首が伸びるというのは、大変に恐ろしいものです。ですが、それが落語の世界になると……
えー、いい年して定職もなくブラブラしている男がおります。まぁ、こういう男には、なかなか嫁のきてがないものでございますが、こういう男に限って、なんと言いますか、図太いとでも言うんでしょうか、逆玉の輿を狙っているものでございます。
「おじさん、嫁さんが貰いたいんだけど、誰かいい人紹介してくれよ」
「なんだい、急に。だいたい、お前さん、嫁さん貰ってどうやって養っていくつもりだい」
「そりゃ大丈夫だよ。おかみさんを稼がせて……」
「虫のいいこと言ってらぁ。まぁ、いいよ。ちょうど話があったところだ。おじさんの出入り先でな、お嬢さんがいるんだが、そこの婿養子にならないか。なに、養子と言っても、あれだ。お前さんが一生遊んでも使い尽くせないぐらいの財産があるから、嫁ぎ先で泡食って働かなくちゃいけないわけじゃない。それにお嬢さんも、なかなかの器量好しだ。ただな、そのぉ、夜中の丑三刻になると、寝ているお嬢さんの首が音もなく、すーっと伸びる。それさえなきゃ、本当に申し分ないんだが」
「伸びるのは夜中だけかい。なら、いくら伸びたっていいや。目なんか覚めない」
いやはや、寝坊がどこで役に立つか分かったものではありません。ところが、実際に首が伸びたところを見てしまうと、もういけません。ほうほうの体で逃げ帰ってきます。オチは、自分の家に帰ると言って聞かない男が、「せっかくまとまったと喜んで、いい便りを首を長くして待っている母親に、どの面下げて帰るんだ」とおじさんに言われて、「首長く? そいつは大変だ。家にも帰れない」