遊郭では、男と女の騙しあいが日常茶飯事に繰り広げられます。そんな中、やはりなけなしの金を貢いで騙されたとなると、恨み言のひとつも言いたくなるものです。
甥が、久しぶりに叔父の家に遊びに行くと、かつては町火消しの纏持ちまでやった叔父が、妙に老け込んでいます。訳を聞いても、言葉を濁すばかり。あまり深く聞いてもヤボだと思い、とにかく今夜は久しぶりに会ったことだから、ご馳走を食べ、積もる話をしつつ、飲み明かします。
深夜、喉が乾いた甥っ子が、部屋の片隅においてあった鍋の蓋を開けると、油の中にプカリと藁人形が浮かんでいます。見られたことに気がついた叔父は、
「無念だ。おまえに見られちゃ、俺の呪いもきかねぇ」
「どうしたんだい、叔父さん。こう言っちゃなんだが、俺は他人の喧嘩でも買って出て、それがために、牢に入ったこともある。叔父さんのためなら、命を使ったっていいや。相手は誰だい。女郎? 女郎に虎の子の20両を騙り取られて悔しい? おいおい、耄碌しちゃいけねぇよ。叔父さんには俺がいるじゃねぇか。俺が、その女郎屋に乗り込んで、お熊にあってやろうじゃねぇか。それでもって、『お前に叔父さんは騙されたけれど、俺がついているから路頭には迷わねぇ。お前もいつまでもこんな稼業はできないだろうから、困ったら相談に来い』と、金の少しも叩きつけて帰って来れば、こっちの勝ちだよ」
と頼もしいことを言います。
オチは、藁人形に五寸釘を差すならわかるが、どうして油の中に入れてるんだと問われて、
「釘じゃきかねぇ。何しろ相手は、糠屋の娘」