Home / 読後感想
掲示板】【Mail

アルブキウス

著者パスカル・キニャール
タイトル アルブキウス
出版社青土社 出版年1995年 価格2330円
評価★★★★
Amazon 紹介ページ

【感想】

 僕が初めてキニャールの作品を読んだのは、舌の先まで出かかった名前でした。その時の感想は、「言葉」という不確かな存在について、ここまで鋭く考えて書く作家がいることに驚かされ、ただただ圧倒されたとしか言いようのないものでした。

 系統立てて読む習慣がないこともあって、その次に読んだのがアプロネニア・アウィティアの柘植の板。『舌の先まで出かかった名前』の鋭く緊張した雰囲気から一転して、まるで『枕草子』を読んでいるかのような流れるような軽やかな文体と、それにもかかわらず全体的な黄昏感に手放しで感心しました。

 本書はそのキニャールの初期の作品です。

 本書では、共和制の混乱から帝政への移行期に居合わせたローマ市民が執筆した「小説」を発見した著者が、その作品と作者を紹介していくスタイルになっています。古代ローマ時代に書かれた作品を紹介する形式そのものは、『アプロネニア・アウィティティアの柘植』と近いのですが、『アプロネニア・アウィティティアの柘植』では、完全に消えていたキニャール自身の顔が、本作品では、そこかしこに現れています。

 現代フランスの文学者であるキニャールは、帝政へと移行していく古代ローマ社会を批判的に見ています。自由の放棄と隷属化を自主的に行った古代ローマ人に対する静かな怒りと失望をアルブキウス・シルスという(架空の)作家の筆を通して淡々と述べていきます。

 そのアルブキウス・シルスは、自らの作品によって直接的に社会や政治に対して批判を加えることは行いません。雑多なもの、形而下なものも含めて様々なモチーフの小説を創作していきます。一見すると、形而上的なテーマは何一つ扱っていないように思える作品群でしかありません。今で言う大衆小説に近い作品を書き続け、そして最終的にアルブキウス・シルスは病の「痛みに耐えかねて」自ら毒をあおります。

 このアルブキウスの人生そのものが、キニャール自身も含めて現代に生きる知識人、言葉で生きている人達の深い絶望と無力感を見事に描いていると言うと言い過ぎでしょうか。

 直接的な事件そのものを記述することによって、問題を矮小化することを避けようとすると、必然的に寓話性を強めていくことになるのではないかと思います。問題が人間にとって本質的であることを伝えようとすればするほど、寓話性が強まることは必然的であるように僕には思えます。しかしながら、寓話性が強ければ強いほど、その寓意を読み取ることは困難になるのではないかと思います。その結果、言葉では何も変えられないことに気がつき、そして「痛みに耐えかねて」自ら口を閉ざすことを選ばざるを得なくなるのではないでしょうか。

 もちろん、このような考えは、ある種の極端さの表れだと思います。そこまで切迫した神経症的な考えに陥らずに、どこかで折り合いを付けることがごく自然な人間としてのあり方だとは思います。ただ、少なくとも僕は、今更言葉の力を信じると、白々しく言う人よりも、言葉の限界に絶望しつつも、それでも言葉を紡ぎ出している人を好ましく思います。


Home / 読後感想
掲示板】【Mail

とみくら まさや (vzx01036@nifty.com) $ Date : 2006.02.23 $