隠語、符丁というものがございまして、いわゆる仲間内だけで通じる言葉のことです。
こういうものって、コンピュータ業界の人間はお好きなようですね。僕のように、パソコンの専門家じゃない人間にとっては、もう少し分かりやすい日本語で話して欲しいと思うこともしばしばです。どこかの国の首相が「IT革命」を「イット革命」と言ったとか言わなかったとかで、笑いものにされておられましたが、しかし考えてみれば、そんな風に笑いものにしている人が、全く同時に最近の日本語は乱れているとか言っているわけで、僕のように意地の悪い人間にとっては、それはそれでちゃんちゃらおかしいと思うのですけれど。
ともあれ。
植木屋さんが仕事先で、こんなやりとりを聞きました。
「お客さんに菜を出してあげてください」
「旦那様、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官」
「では、義経にしておきなさい」
不思議に思った植木屋さんが、今のはどういう意味かと問うと、菜を食べてしまったから、『菜を食ろう』、それなら菜を出すのをよしておこうという意味で、『義経』と言ったのだと答えます。
なるほど、良家は断りの言葉もしゃれていると植木屋さんは、しきりに感心します。
家に帰って、植木屋さんは奥さんにことの次第を話し、自分も是非やってみたいと頼み込みます。うまい具合に大工の熊さんが遊びに来たので、嫌がる奥さんを押入に押し込み、早速まねごとを始めます。
「どうだ、酒でも飲まないか」
「えっ、飲ましてくれるの。嬉しいねぇ」
「どうだい、おめえ、菜でも食いたくないか」
「俺は菜は嫌いだ」
「そんなこと言わずに食うといってくれよ」
「なんだよ、変な奴だなぁ。でも出されても食わないよ。それでもいいかい。じゃあ、菜でも食おうか」
「まってました、奥、奥」
「奥って、お前、1間しかないのに、奥も何もないだろう」
「黙ってろって、おい、奥」
「旦那様」
「うわぁ、おかみさん何やってんだい。この暑いのに押し入れなんかから飛び出してきて。汗びっしょりじゃないか」
「旦那様、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官、義経」
「なに、義経? それじゃあ、弁慶にしておきなさい」
按摩の杢一さんは、目が悪い。しかし、杢一さん自身は全くそのことを気にしておりません。それどころか、目が悪いことで、人生得をしていると言います。杢一さん曰く、
「目があいていると、なんか見えましょう。見えりゃあ欲しくなる。買えればいいですが、買えないとなると、情けないじゃありませんか。目が見えなければ、欲しいものがなにも見えませんからね。これが一番いいですよ。あはははは」
さて、その杢一さんが、ある晩、お客さんの所に泊めてもらうことになりました。女中さんに手を引かせようかという旦那の声を断り、一人で行けると言います。
「おきよさんに手を引いてもらえば、ありがたいけど、杢一さんが泊まると手数がかかる、なんて嫌われちゃつまらない。一人で大丈夫ですよ。おっと、この突き当たりが離れ。この垂れ下がっているのが蚊帳。あれ、なんだいこりゃ、蚊帳がつってあるのに、布団がない。枕もない。どこで寝るんだい? うわ、蚊が入ってきたよ。こりゃたまらん」
と一晩中、ピシャピシャと蚊と格闘しながら夜が明けました。
何のことはない、杢一さんは、麻のれんと蚊帳の間で寝てしまったわけです。翌朝そのことを聞かされた杢一さんは苦笑いしながら、
「そうですか、もう一枚めくらなきゃ蚊帳の中に入れなかったんですか。いや、ははは、これは面目ない」
数日後、また旦那の療治にやってきて、夜遅くなった。旦那のすすめで、杢一さんは泊めてもらうことになります。
「今度は、手を引いていってもらいなさい」
「いや、もう大丈夫ですよ。本当に、えぇ」
と杢一さんはまた一人で部屋に行こうとします。
この間のこともあったので、女中のおきよさんは気を利かせて、杢一さんが間違えないよう、離れの入り口の麻のれんを外しておいた。
「おっと、この奥が離れ、さぁ、これが麻のれん。これじゃ、誰だって蚊帳と間違えるよ」
そう言いながら、1枚めくり、
「さっきのが麻のれんだから、これをもう一枚めくって、これが蚊帳だ」
杢一さん、今度は蚊帳の向こう側に出た。
今と違って昔は暖房器具がそれほど充実していませんでした。
冬の寝床を温める方法といっても、布団を重ねるか、湯たんぽを入れるかと言ったぐらいです。
これはそんな時代の、奉公人たちの苦労話です。
「米一さん、ちょっとこっちに来ないか。今日の仕事はおしまいだろ? どうだい、米一さん、今夜は店に泊まっていかないかい」
「いいですか? それは悪いですね。私のような盲にとって、みなさんの話を聞くのは何よりの楽しみです。それでは、お言葉に甘えて泊まらせて頂きます」
「そうかい。泊まってくれるかい。おい、米一さんにお酒をもってきておくれ」
「いやいや、滅相もございません。泊めていただいた上にお酒までごちそうになるなんて……。いいんですか。それはありがとうございます」
「その代わりといっちゃ何だが、今晩、炬燵になってくれないか」
「炬燵?」
「なに、難しいことじゃない。酒を飲んで暖まった体で、店の連中といっしょに寝てくれればいいんだ。何しろ、こう寒いと布団一枚じゃ堪えられない。かといって、炬燵を入れて、万が一火事でもおこした日には、主人に迷惑がかかる。な、助けると思って、一つ炬燵になっとくれよ」
こう言われて、米一さんも断るわけにはいきません。それになにより、大好きなお酒が飲めるのですから、一晩くらい、皆の炬燵代わりになろうと、五合のお酒を飲んで暖まった体で、奉公人といっしょに寝ます。
奉公人といっても、上は番頭さんから下は小僧さんまでです。当然、いろんな寝相の方がいる。米一さんの頭を蹴る人、寝ぼけて顔をなめる人、歯ぎしりする人、楽しいと言えば楽しいのですが、とんだ迷惑な話です。
そうこうするうちに、小僧さんの一人が、「こうなったら溝にしてやる」と言います。米一さんが何をするのかと不思議に思った瞬間、冷たいものが……。たまらず布団を跳ねのけて飛び起きた。
「米一さん、すまねぇなぁ。今、布団を取り替えるから、もういっぺん炬燵になってくれよ」
「番頭さん、そりゃだめだ。小僧さんが、この通り火を消してしまった」
今の奥様は、遊びに行っていて、ご主人が仕事から帰ってきても家にいない。けしからん、昔は良かった……。なんておっしゃる方がおられますが、どうしてどうして、江戸時代の奥様も、そうそう家にじっとしていたわけではございません。
一般的に言えば、町人の奥様は、お店の手伝い(洗濯や掃除、炊事)をしたり、縫い物をしたりと、しっかりと働いておられました。その結果、多額とは言わないまでもそれなりの小遣い銭は持っていたわけで、お寺詣でにかこつけて芝居見物、飲食、買い物などに行かれたのだそうです。この辺りの事情は、今の奥様達とあまり変わりないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
事情が変わったのが、明治になり、新政府のお偉方が品行方正な方々だったようで、というよりも所詮、西国の田舎者の集まり、江戸や上方の粋な遊びなんかを知っているはずもなく、とにかく男子たるもの働くべし、女子たるものは家を守るべしというなどと無粋な侍的倫理観をふりかざし、これで落語の世界も随分ひどい目にあって、いわゆるバレ噺も随分消えてしまいました。生真面目なだけが取り柄の人が上に立つとろくなことにならないわけでございまして……。
「あら、おまえさん。早かったね。ねぇ、お前さん。怒ってんの? ねぇってば。なんか言っとくれよ。やだ、ホントに怒ってんだ。でも、怒った顔の方がいいよ。普段、でれっとした顔してるから。一週間ほど怒ってない?」
「バカ言ってんじゃないよ。そんなに怒ってたら、顔がくたびれてしまう。どこ行ってたんだ」
「芝居」
「軽いねぇ。亭主が仕事行って、かみさんが芝居。別に行くなと言ってんじゃないよ。ただね、芝居に行ってもいいけど、お前は後がうるさい。やれ、お七さんのご亭主は吉右衛門に似てる。三吉さんは宋十郎に似ている」
「だって、似てるんだもん」
「似てるのはいいんだよ。でもよ、三吉が宋十郎、元吉が吉右衛門。ねぇ、ものにはついでというものがあるんだ。浮世にも義理、夫婦の中にも人情。何かお忘れ物はございませんか」
「いやだ、お前さんを誉めないから怒ってるの。大丈夫、似てますよ。あたしが一緒にいるんだから」
「バカにすんな、こん畜生。催促してから似てると言われても嬉しかねぇよ」
「ほーんとに似てるよ。よく似てる。安心おしよ。似てるよ、似てますよ」
「似てる? えへへ、誰に似てる?」
「福助」
「あの役者の?」
「今戸焼の方」
昔は、行商人というのがおりまして、荷物を担いで、町中を売り歩いておりました。
ある日、魚屋が鉢巻きを巻いて威勢良く「イワシー、オーイワシッコ」と売り歩いていると、すぐ後から、「フルイ、フルイ、フルイー」と声がかかります。
「おいおい、よせやい。人の商売にケチつけるなよ。こちとら、魚河岸から買いだしてきたばかりで、ぴんぴんしてらぁ」
「そうはいきませんよ。あたしだってこれが商売ですからね。ふるい屋なんだから」
「ふるい屋か、へんな商売が来たな。俺は生ものを売ってるんだ。じゃあ、お前、先やれ」
「あたしは、後でも先でもいいですよ。じゃあ。フルイ、フルイ、フルイー」
「イワシー……。だめだ、古いイワシになって、なおいけねぇ。他へ行けよ」
「そんなこと言われても、あたしも商売。あんたが他に行けばいいでしょ」
「何をこいつ。やるか」
と魚屋とふるい屋がケンカになった。そこへ、古金屋が仲裁に入って、
「どっちも商売じゃないか。じゃあ、こうしましょう。魚屋さんが先頭、次がふるい屋さん。最後にあたしというのでどうでしょう。いいですか。じゃあ行きましょう」
「イワシー、オーイワシッコ」
「フルイ、フルイ、フルイー」
「フルカネー、フルカネー」
僕が今住んでいるところは東京の王子と言うところなのですが、この王子稲荷の狐は、昔から人を化かすことで有名でした。
ある男が、王子稲荷に参詣し、根岸口の裏道を歩いていると、前の草むらで狐が一匹頭の上に一所懸命、草を載せている。どうするのかなと思ってい見ていると、くるっと宙返りをして22、3の美しい女性に化けた。
この男、なかなか茶目っ気のある男で、ここは一つ化かされた振りをしてやれと、狐に声をかけます。
「玉ちゃん、玉ちゃん。俺だよ。忘れた? こんなところでどうしたの。お稲荷さんのお参り? 奇遇だね。俺もそうだよ。ここで会ったのも何かの縁だ。よければ、そこの店で食事でも」
なんてことを言って、玉ちゃんに化けた狐を、近くの扇屋という料理屋に連れて行きます。
「姐さん、今日はうんとごちそうしてください。とりあえずお酒を頂こうかな。あと刺身を……。玉ちゃんは何を食べる? 油揚げ? こういう店に来て、油揚げはいけませんよ。他に好きなものは? 天ぷら? やっぱり揚げたものがいいの。あぁそう。姐さん、そう言うわけだから、天ぷらを三人前、あとは見つくろいでいいです。それにしても、しばらく見ないうちに、ずいぶんきれいになったねぇ。さぁさぁ、お酒が来ましたよ。飲みなさい」
などとやっていると、狐の方はすっかり酔っぱらってしまって、すやすやと眠ってしまいます。
狐がすっかり眠り込んだのを確認した男は、そぉっと部屋を出ます。
「あら、お客さん、もうお帰りですか」
「しぃ、静かに。今、連れの女が寝たところだから。なに、心配いらないよ。ちょっと飲み過ぎただけだから。それでね、俺はこのあと用事があるから、先に帰らせてもらいますよ。勘定は、女からもらっておくれ。紙入れをおいといたから。起きたら、俺は用事があって先に帰ったと言ってください。まだ当分寝かしておいてやってくれよ。起こすときも、そぉっと起こしてやってください。いきなり起こしたら、ぽーんと飛び跳ねるといけないから。それじゃあ、お願いしましたよ」
しばらくして、店の者が女を起こしにいきます。お代はあなたからもらうように言われたと聞いて、狐はびっくり。神通力を失って、耳がピンと立ち、尻尾がにゅっとはえたから店の者は驚いたのなんの。
翌日、狐を化かした男は、昨日のお詫びに手みやげを持って、王子稲荷にやって来ます。昨日は悪いことをしたと謝っといてくれと言って子狐にみやげ物を渡します。
その狐のあなぐらの中では、
「おっかさん、昨日の人間がまた来たよ」
「よくここまで突き止めやがった。まだいるのかい」
「ううん、もう帰った。それで、昨日のことは悪かったって頭を下げて、これをあたいにくれたよ。あ、ぼた餅が入っている。食べていい?」
「だめよ! 馬の糞だったらどうするの!」
京橋の観世新道に武隈文右衛門という関取がおりまして、ここに能登の七海というところからやって来た相撲取りがおりました。
このもの、体格も良く素直な性格で練習も熱心にします。将来が楽しみだと親方も思っていたのですが、やたらと食べる人でした。たまりかねたおかみさんが、親方に追い出してくれと頼みます。雌鳥すすめて雄鳥時刻……というわけでもないのでしょうが、親方は、このものに暇を出す。
さぁ、男は弱った。せっかく門出を祝ってくれた村のものに「飯を食い過ぎて追い出された」なんてとてもじゃありませんが、言えません。悩み悩んで、京橋から板橋へ、志村というところの戸田川の橋の上でうろうろしていると、橘屋善兵衛という旅籠屋の主人が通りかかります。訳を聞いて、主人は、男を根津の七軒町で錣山という関取のところに連れて行き、事情を話して弟子にしてもらいます。
この男が、後に阿武松緑之助と改名して横綱をはるという出世力士のお噺でございます。
人情話なので、落ちはございません。