例えば、僕の実家では、足がしびれたときなんかに、「しびれ京行け帰りによれよ」なんて呪文を唱えるといいなどと言われていました。はたしてこれが効くものなのかどうか、なんとも言えないところですが、いまだに僕は足のしびれが切れたときは、「しびれ京行け〜」などと唱えて、周囲から年寄り扱いされています。
それはともかく。
この種の民間療法というのは、江戸時代はいろいろとあったそうで、ある時、お侍さんが従者を連れて花見がてら隅田川のほとりを歩いておりました。
天気も良く、機嫌のよかったお侍さんが鼻歌を歌いながら歩いていると、ご婦人がうずくまっております。
どうしたのかとお侍さんが心配して尋ねると、ご婦人は、「持病の癪が……」と言います。薬をやろうとお侍さんが従者に薬籠を求めようとすると、ご婦人は「やかんをなめれば治る」と申します。さらに続けて、
「失礼かとは思いますが、あなた様の頭は、やかんに似ております。なめさせていただければ……」
やかんに似てるなんて言われて、お侍さんは少々むっとしますが、とは言うものの、人助け。自分の頭をなめて治るのならと、ご婦人に頭をなめさせます。すると、驚いたことに、ご婦人の癪がぴたりと止まります。
ペロペロとご婦人に頭をなめられて、まんざらでもないお侍さん。従者に自慢しつつ歩いていると、なんだか頭がヒリヒリします。どうもおかしい、ちょっと見てくれと従者に頭を見せると、くっきりと歯形が浮かび上がっております。
「おおかた、狐にからかわれたのでございましょうな」
と従者は大笑い。
「ご心配なさらなくても、大した傷ではございません。漏れることはないかと存じます」
えー、藪医者でございます。
なぜ「藪」というかについては、諸説ございますが、へぼな医者でも風邪のためにはいくらか動く、風で動くから藪だと言うのだそうで……。
さて、一人のお医者様がおりまして、この人が有り体に言えば、藪でございます。当然、お客はおりません。家賃も滞り、お米を買う金もなく、今日も日がな一日退屈にしているところへ、権助がやってきました。医者は権助に相談を持ちかけます。
「医者というのは、他の稼業と違って、薬籠をもってこっちから出張っていくわけにもいかんからな……。どうしても病人の来るのを待たなけりゃいけない。そこでだ、お前さんに一つやってもらいたいことがあるんだ」
医者が言うには、権助に医者を呼びに来た振りをして欲しい。そうすれば、あぁ、あそこのお医者様は名医だと人が信頼するようになる。早い話が、医者のサクラというわけですが、何しろ頼まれたのが権助さん。嘘が得意とはお世辞にも言えません。頓珍漢なやりとりをしたあげくに、もうちょっと遠いところから来たことにしてくれと言われ、
「神田三河町越中屋源兵衛、米屋から参りました」
「ははぁ、米屋さん、何かご用で」
「先月のお米の勘定をもらいに来た」