その昔、出開帳というものが流行った時代がございまして、その時分の三開帳と申しますのが、京都の嵯峨のお釈迦様、下総成田の不動様、身延のお祖師様。これが江戸に移りますと、お釈迦様が両国の回向院、不動様が深川の出張所、お祖師様が深川の浄心寺でございます。
この三開帳以外にも、様々な開帳が行われておりまして、元々鰯の頭も信心からなんてお国柄でございますから、色々な宝物が開帳されていたのだそうです。
「えぇ、ちょっと、皆さん何をご覧になっているんで?」
「ご開帳だよ」
「へぇ、ご開帳! それで、何が見られるんです?」
「なんでも、源頼朝公のしゃれこうべだそうですよ」
「頼朝公ですか。ですが、なんだか頼朝公にしては、小さくありませんか?」
「子供の頃のしゃれこうべだそうですよ」
なんて、罰当たりなことをする者もいたのだそうですが……。
さて、ご開帳ともなると、大変な人出があったのだそうで、特に回向院のご開帳ともなると、江戸中から人が集まったのだそうです。人が集まれば、店が出る。市が立つ。そんな具合でございまして、
「おい、ちょっと手伝えよ」
「なんだい?」
「うん。今度な、回向院でご開帳があるだろ。俺、儲け話を考えたんだ」
「へぇ、お前さんがねぇ。どんな話だい」
「回向院のご開帳ともなれば、それはすごい人だよ。仏さん拝むまでに半日。そこから帰ってくるのに、半日。なぁ、おい。それだけ長けりゃもよおす人もいるだろ。だからさ、急場の厠をこさえて、使ってもらう代わりにお代を頂こうと」
なかなかうまいところに目をつけたものでして、これが大当たり。初日、二日目と長蛇の列です。二人は笑いが止まりません。ところが、三日目になって、ぱったりと客足が止まってしまいます。どうしたのだろうと調べてみると、少し離れたところで、同じように貸し厠を始めた人がいた。しかも、そちらは二人の半額の値段で客を呼び込んでいます。どうしたものか。こちらも値段を下げようかと八さんが伺いを立てると、熊さんは、俺に考えがある、明日は一人で店番頼むよと、胸をぽーんと叩く。
そして翌日。
昨日とうってかわって、またまた長蛇の列となります。一人で店番を任された八さんは、てんてこ舞い。この忙しいときに、熊のヤロウ、どこで遊んでんだと毒付きながらも、客の整理に大わらわ。夕刻になり、ようやく客足が途絶え、一息ついているところに熊さんが、ひょっこり顔を出します。
「どうだった?」
「どうもこうも、すごい人だよ。一人で大変だったんだから。それなのに、俺っち一人に店番押しつけて……。いったい今までどこで、何してたんだい」
「なーに、向こうの厠に一日入り浸ってたのよ」
伊勢屋のお嬢様が、長い間患っておられました。伊勢屋さんのことですから、江戸の名医と言われる名医に診てもらうのですが、診る医者、診る医者、原因が分からず、困り果てる始末。藁をもつかむ思いで、あまり評判のよろしくないお医者様にすがります。
さて、伊勢屋さんから診察を頼まれたお医者様。お嬢様に薬を一服盛った後、うとうとと居眠りを始めます。翌日も二言三言、言葉を交わした後は、うとうとと。その翌日も……。
こんなので娘が良くなるのかと、ハラハラしている伊勢屋さんの予想に反して、しばらくするとお嬢様の具合が良くなってきた。
喜んだ伊勢屋さんが、お医者様に秘訣をたずねると、お医者様はにっこり笑って、お嬢様の病は気うつだと申します。それで、と続けてお医者様が言うには、お嬢様をおかしがらせるために、立て膝をしてふんどしの脇から、睾丸を見せた。
これを聞いた伊勢屋さん、自分もやってみようと、真似をします。
日頃堅物の父親が、ぽろっとそれを出したものですから、お嬢様は大笑い。喜んだ伊勢屋さんが、さらに調子に乗って二つとも出すと、お嬢様はあまりのおかしさにあごを外してしまわれました。
「先生、大変です。先生の真似をして、少したくさん見せたので、娘のあごが外れてしまいました」
「少し薬が強すぎましたな」
暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでございましょうか。
クーラーが本格的に故障してしまった僕は、窓を開けっ放しにして寝ています。こんな告白をすると、一部方面から「東京は物騒だから……」と戒めのお言葉をいただくわけですが、とは言うものの、貧乏暮らしを満喫している独身男性(31歳)。とられるものなどあろうはずもなく、呑気に窓を全開にして涼んでいます。
さて。
近所で泥棒騒ぎが頻発しているので、豆腐屋の熊さんは今度こそ自分の家が狙われるかもしれないと考えました。もちろん熊さんのことです。家財を守ろうなんて受動的なことを考えるはずもなく、むしろ積極的に泥棒を捕まえようと思い立ちました。
一計を案じた熊さんは、泥棒が入ってきたら飛びかかってやろうと、豆腐を作る大きな釜の中に身を潜め、今や遅しと泥棒が来るのを待っていました。
夜半過ぎ。
熊さんがうとうとしていたところ突然ぐらぐらっと地面が縦に揺れたかと思うと、今度は激しく横に揺れ出しました。「すわっ地震か!」と熊さんが大慌てで釜から飛び出すと、辺りは一面の野原。空にはぽっかりと月が浮かんでいます。
「おっかあ、地震だ、起きろ。おやっ、いい月だなぁ。あっいけねえ、家を盗まれた!」
相変わらずの若旦那でございます。道楽が過ぎて勘当されたにもかかわらず、呑気に居候先でぐうたらしているわけですが、居候先の親方に諭されて仕事を始めます。
さすがに、若旦那。育ちが良いこともあって、読み書きはばっちりです。これをいかして……と考えたのですが、そこは若旦那でございます。悩みに悩んで選んだ仕事は屑屋さん。選んだ理由は、好きな芝居本が読み放題ということなわけで、当然仕事になりません。ゴミの中から芝居本や滑稽本を探してきては、読みふけるわけです。
その日も医者の吉田宗庵のところで屑を分けていると、義太夫の忠臣蔵三段目の本を見つけます。読んでいるうちに、ついつい声が出てしまいます。困ったのは吉田宗庵。妙な声を張り上げられるので仕事になりません。裏に出て呻っている若旦那を抱きとめます。すると、若旦那、芝居がかった声で、
「われを止めしは本蔵(本草)か」
すかさず宗庵
「いいや、外療だ」
お芝居の世界のお話でございます。
左団次の弟弟子に二団次という人がおりました。この方、いつも被り物ばかりで、なかなか人の役が回ってきません。それでも腐らずに熱心に舞台を務めておりました。継続は力なりとはよく言ったもので、そんな二団次に座長がついに人の役を与えます。
人の役といっても、ほんの端役。それでも二団次さんは大喜びして、いつも以上に熱心に練習を続けます。
そして、当日。
楽屋に行くと、自分のかぶるカツラがない。二団次さんは真っ青な顔をしてあちこち探しますが、やっぱりカツラは出てきません。小道具係のところに行くと、「ないものは、ない。あきらめな」とすげなく返されます。しかし、二団次さんも引き下がれません。何しろ初めての人間の役です。たとえ端役であっても、人間を演じられるってことで、うれしくて田舎から両親を呼び寄せている。これでカツラがないという理由で出演できないなんて、泣くに泣けない。それを聞いて小道具係も同情し、奥にあったカツラを取り出して、二団次さんの頭の大きさに合うように手近にあった新聞紙を詰めて渡します。
「でもよう。人間の役ったって、台詞ねぇんだろ」
「ありますよぉ。腰元の役なんですけどね、乞食がやってきて、一人目が『むさ苦しいやつじゃ』とくる。それを受けて二人目が『とっとと外へ行……』とこうくるわけです。それであたしが『きゃいのう』と見栄を切るわけです」
「へー、そりゃたいしたものだ。まぁ、おとっつあんとおっかさんが来てるんだろ。がんばんな」
そんなこんなで、どうにか舞台に立った二団次さん。舞台にはたびたび出ているとはいえ、これまでのように被り物ではなく、面と向かってお客さんと向かい合うのは初めてです。しかも、今回は「ひひーん」とか「もー」なんてのではなく、たとえ一言でも台詞もあります。緊張のあまりのぼせてきて、頭がぼーっとしてきます。ぼーっとしてくるだけならまだしも、なんだか暑い。いや、熱い。しまいには、頭から煙が出る始末。
実はカツラに詰めてもらった新聞紙に、誰かさんが吸った煙草の火が混じっていて、それが新聞紙に燃え移ったわけですが、そうとは知らない二団次さん。熱い、でも、ここで舞台を降りるわけにはいかない。頭から煙を出しながら、自分の台詞がくる段を今か今かと待っております。
そしていよいよ。
「むさ苦しいやつじゃ」
「とっとと外へ行……」
あまたから煙を噴きながら二団次さん。
「あついのう」
僕も時々馬鹿俳句を口ずさむことがありますけれど、俳句が広まったのはずいぶん後のことでございまして、一昔前は俳句よりも短歌の方が主流でございました。
俳句にせよ短歌にせよ、芸術なんて堅苦しいことを考えず、思いついたことを思いついたままに口してみる。そんな楽しみ方をすれば、よろしいわけで……。
「ちょっと、どうすんのさい。もう年の瀬だってのに、あんたときたら……。これじゃあ年も越せないよ」
「なーに、心配するな。餅は買ってきたからさ。餅さえありゃ、なんとでもなるよ」
「なに言ってんだか。家賃だって、三月もたまってるんだよ。あんたがいないときに大家さん、なんども来てんだから。あたしゃ、年始早々、宿無しなんてやだからね」
「家賃なんて、かまうこたぁないよ」
「熊さん、熊さん。かまうこたぁないなんて、そりゃ困るよ」
「お、なんだい、大家さん。来てたんなら声かけてくれりゃいいのに。なんぞ用かい?」
「用かいとは、ずいぶんだねぇ。もう、年の瀬だろ。たまってるものを払ってくれなきゃ、こっちも困るんだよ」
「いやぁ、そりゃ払いたいのは、やまやまなんだけどね。ないものは、ない」
「だいたいお前さん、なんだってそんなに貧乏なんだい。あたしが言うことじゃないが、大工の腕前だってしっかりしてると評判じゃないか。なんぞ、悪いことに使っているんじゃないだろうね」
「いやぁ、それがね、和歌を始めちまって……。それで、句会とか、まぁ、そんな感じでいろいろと入り用で」
「へぇ! お前さんが和歌! そりゃ感心なことだ。確かにあれは、いろいろお金かかるからなぁ」
「大家さんもおやりになるんで?」
「やるなんてもんじゃないよ」
こうなるとしめたものです。大家さんは和歌談義に夢中になって、家賃のことなんかすっかり忘れてしまいます。熊さんの方は、実は和歌なんか全然分からないのですが、「へー」とか「ほぉ」とか調子を合わせておりますと、大家さんが連歌をやろうと言い出した。
「じゃあ、あたしが上の句を詠むよ。うーん、初春や、初春や……『初春や神の飾りに袴着て』どうだい?」
「はぁ……。うーん」
「降参かい?」
「うーん。『餅は三百買って食うなり』」
「おいおい、熊さん、それじゃあ上下がつかない」
「えぇ、つかないから三百買いました」
酒は百薬の長と申しまして、適度に飲む分にはいいものでございますが、なかなかどうして適度というのが難しいものでございます。ついつい度を超してしまい、目も当てられないことになるわけでして……。
さて、さる大名家におきまして、お殿様がついに城内での飲酒を禁止してしまいました。理由はもちろん、家中のものたちがお酒で失敗ばかりしているからです。しかし1920年のアメリカの禁酒法と同じく、こういうものはどうしたって抜け穴があるものでございます。こっそり持ち込む者が後を絶ちません。敵がそういうつもりならと、お殿様は番屋を作り、城内に入る者を厳しくチェックするようにしました。さすがにそうなると城内でお酒を飲むものもいなくなり、お殿様としては大満足です。
ところが。
佐藤某というお侍さんがおりました。この方が大の酒好き。三度の飯より酒が好きと日頃から言っているようなお方でございます。その佐藤殿が、夜詰めの役回りとなられました。
夜詰めと申しましても、江戸も元禄のご時世。そうそうすることがあるわけではございません。これまでなら、夜詰めの番中に同僚と酒でも一献という感じだったのですが、何しろ禁酒令が出ているわけで、それもできません。1日、2日は我慢できた佐藤殿も3日経ち、4日経ちとなると辛抱できなくなります。そこで、なじみの酒屋を呼び、酒を持ってくるように言いつけます。
「そんなことおっしゃいましても、例の禁酒令で番屋で止められてしまいますよ」
「そこを何とかするのが、商人だろう。頼むよ、運び賃ははずむから、なんとか今夜持ってきてくれ」
「はぁ……」
頼まれた定吉さんとしても、なんとかお酒を届けたいのはやまやまですが、何しろ番屋がございます。
「夜分、恐れ入ります。佐藤様にお届け物をもって参りました」
「佐藤殿に届け物? なんだ、こんな時間に。明日ではいかんのか?」
「はい。今日中にと申されまして」
「ふむ。して、中身はなんだ?」
「はい。油でございまして……」
「油? 荷を改める」
もちろん中身は油ではなくお酒でございます。不埒なやつ。この酒は拙者らが預かり置くと取り上げられてしまいます。
「えー、夜分、恐れ入ります。佐藤様にお届け物で……」
「ん? また佐藤殿か。中身はなんだ」
「はい。カステラでございます」
「カステラ? はて。佐藤殿は大の酒好き。その佐藤殿が甘い物とは……。嘘ではなかろうな」
「えぇ。なんでもお進物だとのことで」
「なるほど。あい分かった。通っていいぞ」
しめしめと思ったのが、運の尽き。荷物を持ち上げようと思わず、「よっこいしょ」とかけ声をかけてしまいます。カステラで「よっこいしょ」はないだろう。荷を改めると、番屋の役人が瓶の蓋を開けると、中にはお酒。またまた取り上げられてしまいます。
心ならずも2度までもただ酒を飲ませてしまうことになり、定吉さんとしては、なんとか番屋の役人に一杯喰わせたいと意地になります。
「えー、夜分、恐れ入ります。佐藤様にお届け物を……」
「またか。今度はなんだ」
「へぇ、屎尿で」
「屎尿? 馬鹿なことを。いいからこれへ持て。拙者が確かめる」
そういって、お役人は杓で瓶の中から一杯くみ上げ、一息で飲み干します。
「みろ、何が屎尿だ。この突き刺すような辛み。口の中に広がる刺激臭……これは、屎尿ではないか!」
「へぇ、ですからさいぜんより屎尿だと申し上げております」
「う、うーむ。そちは正直者よ」
東男に京女なんて言いますが、夫婦の仲というのは不思議なもので、必ずしも武家的な倫理観あふれる妻がいいわけではないよう、尻に敷かれているくらいが案外うまくいくものなのかもしれません。もっとも結婚経験のない僕が言うのも変な話ですが……。
さて、頓兵衛さん夫婦は典型的なかかぁ天下。何をするのも、妻のお伺いを立ててからといったあんばいです。周囲の人はそんな頓兵衛さんをからかうのですが、当人はいっこうに気にした様子もなく、たまに夫婦喧嘩をしつつ、それはそれで楽しく暮らしておりました。
そんなある日。
「ちょっと、お前さん。角のお医者さんのところに、お返しをもっていっておくれ」
「お返し? なんの」
「ほら、こないだ、お殿様から頂き物をされたのを、お裾分けしてもらっただろ。そのお返しだよ。あの先生にはいつもよくしてもらっているからね、ちゃんとお礼を言うんだよ」
「だって、こっちは何も頼んでないのに、むこうが勝手にくれたんだろ? それでお返し? なんか、ふにおちない」
「いいから、さっさと行っといで!」
なんて言われて家を飛び出した頓兵衛さん。のこのこと先生の家に上がり込み、お茶とお菓子を出されて、むしゃむしゃと食べていると、何をしに来たのかすっかり用事を忘れてしまいました。だんだん所在なげになってきた頓兵衛さんが、ふと隣の部屋を見ると、大きな熊の剥製が床にしかれています。
「先生、先生、あそこに熊が寝そべってますぜ」
「あぁ、あれか。あれは上様から頂いた熊の敷物だ」
「敷物? なんです、それは」
「うむ、敷物というのは、なんというか、簡単にいってしまえば、尻の下に敷くものだ」
「はぁ、なるほど。尻の下に敷くんですか。あっ、思い出した。女房が、先生によろしくって」
その昔、京都三条室町を上がったところに、ちりめん問屋がございました。その店のお嬢様が、お花さんと言いまして、大変きれいな方でございました。ご両親としては目に入れても痛くない可愛がりよう。典型的な箱入り娘といったところでございます。
ところが、美人薄命とはよく言ったもので、お花さんは流行病にかかり、看病の甲斐もなく、お亡くなりになってしまいました。ご両親はたいそう気を落とされます。しかし、嘆いてばかりはいられません。最後のお別れは盛大にと亡骸にお化粧をし、豪華な着物を着せ、三百両の入った財布を入れ、大雲寺に葬りました。
その夜。
番頭の久七さんが大雲寺に現れます。人気のない境内を過ぎ、墓場についた久七さんは、お嬢さんの墓を掘り返します。深夜の墓場で一人黙々と墓を掘り返すのは、かなり不気味なものですが、この時代珍しく現実主義だった久七さんにしてみれば、なんということはありません。それよりも死んだ人に300両もの大金を持たせるなんてありえない! というのが、久七さんの言い分です。
そんなわけで、ザクザクと掘っておりますと、程なくして棺桶を掘り当てます。
当時のことでございますから、火葬ではなく土葬でございます。生前美人だったとしても、やっぱり死んだ人というのは気味の悪いものです。ましてや夜中の墓場。さすがの久七さんもここでお嬢様の死体とご面会というのは気が引けて、とにかく棺桶を担いで自宅に戻ります。
家に帰ってきて、棺桶の蓋を開けると、そこには整然と変わらぬ美しいお嬢様が、まるで眠っているように座っています。むしろ透き通るような白さは以前にも増し、思わず見とれてしまうほどです。
ようやく我に返った久七さんが、お嬢様を抱きかかえ、おかんの中から床に移し、胸元に入っているお財布に手を伸ばしたまさにその時、お嬢様のまぶたが開きました。
驚いた久七さん。しかし何はともあれ、お嬢様が生き返ったのはおめでたいと、お嬢様の手を取り喜びます。
しかし、お嬢様は、立派な葬式まで出してもらったのに、今更どのような顔をして家に帰れましょうとさめざめと泣き出します。
それなら、いっそのこと、一緒に江戸に行きませんか。なに、心配することはありません。幸い、ここに300両ございます。これを元手に江戸で店を構えましょう。私も京で名うての黒木屋の番頭まで務めた男です。お嬢様を苦労させるようなことはございません。
こうして久七さんとお嬢様が手に手を取り江戸へと向かい、店を開いたのが今の浅草並木町の黒木屋の始まりなのだそうでございます。
今でこそ美人のお姉さんが髪を切ってくれるようになりましたが、一昔前の床屋さんといえば、何となく不機嫌そうなおやじさんが、黙々と髪を切る、そんな趣がございました。これはそんな時代のお噺でございます。
「おう、ちょっとばかり髪を切っとくれ!」
「切らねぇ」
「えっ?」
「おまえさんの言い分が気にくわないから、切らないと言ってんだ。だいたい、なんだい。『ちょっとばかり髪を切っとくれ』だと? ちょっとでいいなら、床屋何ぞに来るんじゃない。自分で切れ」
なんてお客を突っ返すような頑固なおやじさんがおられました。
そんな床屋さんに、家を勘当された若旦那がふらりと入ってきた。おやじさんは、この種のちゃらちゃらした人間が大嫌い。見習い中の小僧さんに任せます。
小僧さんは、生まれて初めて髪を切る期待と不安でハサミを持つ手も震え、ついつい切りすぎてみたりするわけで……。
「ちょっと、ちょっと大丈夫? なんか切りすぎてない? 痛い、ちょっと痛いよ。そんなに引っ張ったりして……、あ、痛。おやっさん、本当に大丈夫? 血とか出てないかい?」
そんな若旦那をおやっさんは、ちらりと一瞥して
「なーに、心配しなさんな。縫うほどじゃない」
強情な人の扱いは難しいものです。ただ、落語の世界になると、強情といっても、愛すべき人になるようで……。
「金を貸して欲しい? いくらだい? 3両? 3両か……。いいよ、持っていきな。困ったときはお互い様だ。利子? いらねぇ、いらねぇ。こちとら江戸っ子だ。利子欲しくって貸すわけじゃない。お前さんが余裕のできたときに返してくれればいいよ」
と言って、ポンと貸してやった。格好いいですね。いつかこんな事を言ってみたいものです。
ともあれ、こんな風に貸してくれたものですから、借りた方も意気を感じて、翌日、金を工面し、早速返しに行きます。ところが、
「金を返しに来た? なに言ってんだい。俺はお前さんが余裕のできたときに返してくれと言ったはずだ。こう言っちゃなんだが、お前さん、余裕のある顔には見えないね。そんな金、受け取れねぇ」
と突っ返します。ますます格好いいですね。しかし、借りた方だってそんなこと言われてすごすご帰るのでは江戸っ子じゃありません。「こちとら返すと言ってんだ」とお金を押しつけます。受け取れ、いや受け取れないと押し問答している内に、とうとう借りた男が怒って、受け取らない内は一歩もここを動かないと座り込みます。貸した男もそれならと言うので、貸したのが10時。返してもらうのも10時。それまでは絶対に受け取らないと座り込みます。
夜遅くなり、さすがに空腹になったので息子に二人分の晩ご飯を買いに行かせます。ところが、息子がなかなか帰ってこない。様子を見に行くと、角のところで男とにらめっこしています。どうしたのかと聞くと、角で男と出会い、道を譲ってくれるまで、こうして立っているのだと答えます。偉い、それでこそ俺の息子だと男は大喜び。とは言うものの、お腹はぺこぺこ。そこで息子に、
「いいから牛肉買ってきな」
「だって、この人がどいてくれないんだもん」
「大丈夫、俺がその間、代わりに立ってやる」
信心深いというのは、おそらくいいことなのでしょう。僕自身は典型的な1970年代生まれの日本人で、どうも宗教的なものに知らず知らず距離を置いてしまうのですが、信心は大切です。
さて。
あるところに、大変信心深い人がおられました。何かあると、「南無阿弥陀仏」と唱えられます。ところが、この御仁、大変口うるさい方でもありました。
そうなるとどうなるかと言いますと、
「いつまで寝てんだい、南無阿弥陀仏。そんなだから、お前はごくつぶしだと言われるんだよ、南無阿弥陀仏。わしの若い頃は、日の出る前に仕事に出かけ、一仕事してから朝飯を食い、また仕事をして、家に帰って夕食前にまた仕事。夜は夜で仕事をしたもんだよ、南無阿弥陀仏。それをなんだい、お前は。いつまでも、そうやって寝て。なに? 休みの日くらい、ゆっくり寝させろ? 馬鹿言ってんじゃないよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。他人が休んでいるときに働く。他人が働いているときは、もちろん働く。働いて働いて、稼ぐもんだよ、南無阿弥陀仏」
このお噺は、噺の筋や落ちがどうこうというものではなく、もうとにかく、登場人物がまくし立てるように小言を言い、小言の合間に「南無阿弥陀仏」と入れるところが面白いので、寄席で演じられる機会があれば、是非お聴き下さい。
人を誉めるのは大変難しいことでございます。見たままの感想を言うと得てして喧嘩の元になりますし、かといってあまり世辞を重ねると嫌みになりますし……。
「留さん、お前さんはどうも口が悪い。別に嘘をつけとは言わないが、もう少し世辞というものを覚えた方がいい。例えば、45歳の人がいたとする。そうすれば、お若く見えます。とても45だとは見えない。どう見ても厄そこそこに見えます。これぐらいの世辞は言えた方がいい」
「そんなのわけないよ」
なんて、大見得きって往来に出た留さん。ちょうど向こうから熊さんが歩いてくる。
「おう、久しぶり」
「なに言ってんだい。昨日会ったばかりじゃないか」
「それじゃ、昨日ぶり。それにしても、おめえ、いくつになった?」
「いくつになったって、お前と同じ30だよ」
「えっ、30……。ねぇ、45にしないか。45と言ってくれよ」
「変なこと言う奴だなぁ。それじゃあ45だよ」
「待ってました。お若く見えますね。とても45には見えない」
「当たり前だよ。30なんだから」
「どう見ても厄そこそこ」
「ぶんなぐるぞ、てめぇ」
「危ない危ない。これだから熊の奴は乱暴だって言われるんだよ。やっぱり誉めるのは大人よりも子供がいいな。子供だったら殴られることもないし。どこかに子供はいないか……。いたよ、いましたよ。確か、勘吉のところに子供が産まれたばかりだったな。あそこを誉めに行こう。おう、ごめんなさいよ」
「あっ、留だよ。ヤナ奴がきやがったな。なんか用か?」
「用かとはずいぶんな言いぐさじゃないか。お前のところに子供が産まれただろ。あれを誉めに来たんだよ」
「子供見てくれるの? それはそれは。どうだ見てくれよ。可愛いだろう」
「これか、可愛いなぁ。お人形さんみたいだ」
「嬉しいこと言ってくれるね。近所の奴は猿だなんだと悪いことばかり言いやがる。お前だけだよ、そんな嬉しいこと言ってくれたのは」
「いや、ホント人形みたいだよ。おなかを押すと、キュッキュ言いやがる」
「やめろって。そんなとこ押したら、おなか壊しちまうじゃないか。余計なことするなら帰っとくれ」
「それにしても、可愛らしい手だな。赤ちゃんの手が紅葉とはよく言ったものだ」
「ありがたいね」
「この可愛らしい手で、俺っちたちから二分ずつ取りやがって」
「いやなこと言うなよ。赤ん坊が取ったんじゃないよ。そんなこと言うのなら、お前だけ返すよ」
「返さなくてもいいよ。返さなくてもいいけど……。この可愛い手が末は巾着切りか泥棒か……」
「もう、帰ってくれ」
「まぁまぁ。今誉めるから。もうちょっと待ってくれ。ところで、この赤ちゃんのお歳はいくつだい?」
「赤ん坊の歳訊いてどうするんだい。今日で七夜だ」
「ああ、初七日か」
「殴るよ、しまいには。初七日じゃなくて七夜。だから1つだよ」
「1つか! 1つにしちゃ随分お若い」
「馬鹿言うなよ。1つで若いならいくつに見える」
「どう見てもタダだ」