当時は旅行すると言っても、鉄道や車があるわけではありません。その代わり、駕籠や馬というものがございました。
馬と言っても、実際には馬子が牽いて歩くわけですから、実は徒歩と同じスピードと、実にのんびりしたものです。
そんなわけで、道中、馬子とのコミュニケーションが発生するわけです。
「お客さんは、江戸から来なすったか」
「あぁ、俺っちは、江戸っ子だよ」
「そうすっと、今、江戸では俳諧つーものが流行っとると聞いとるが、お客さんも俳諧をするのかねぇ」
「するも何も、俺っちは、江戸じゃ有名人だよ」
「ほぉ、そうすっと、俳号は?」
「はいごう? あぁ、俳号ね。聞いて驚くな、俺っちは芭蕉っていうもんだ」
「芭蕉? はて、不思議なことがあるものだ。芭蕉って言えば100年も昔の人でねぇか」
「これだから田舎者は困るんだよ。お前さんの言っているのは、昔芭蕉。俺っちは今芭蕉」
「へー。それじゃあ、一つなんか詠んでくれろ」
「俺っちくらいになると、そんなに簡単に詠めるものじゃないよ。こういうものは、時間をかけていろいろと吟味して初めて出てくるものだ」
「そこを何とか」
「そこまで言うなら、詠んでやるよ。いいか、よく聞いておけよ。『奥山に紅葉踏み分け鳴くしかの 声聴くときぞ秋は悲しき』 どうだ、いい歌だろう」
「はぁ。なんかどっかで聞いたことあるような……」
なんて、すっかり馬子をからかっていると、向こうから別の馬子がやってきます。
「おー、弥助。おめえは本当に頭がいいなぁ。行きは荷物を担ぎ、帰りは客人を乗せ。それに比べりゃ、俺はいつも手ぶらで帰ってきてしまうだ」
「なーに、ちょっとした頭の使いようだよ」
「ところで、いい手ぬぐいじゃねえか、どうしたんだい、それ」
「あー、これは今乗せている客からもらっただ」
「へー、いい客だなぁ。何をしている人なんだい」
「なーに、猿丸太夫だ」
徳川幕府が倒れ、明治新政府になり、それまでお侍だと威張っていた方々が、刀を取り上げられ、「武士は喰わねど高楊枝」などと言ってもおれず、生活していくために働かなければいけなくなりました。
「奥や、奥。これから商売をはじめようと思う。ついては、お寿司屋なんかどうだ」
「お寿司は好きでございます」
「いや、お前が食べるわけじゃないから……。しかし、簡単に寿司と言っても、そう簡単に握れるわけではないからなぁ。洋食屋というのは、ハイカラでよいのではないか」
「いけません。洋食など。ご先祖様に顔を向けられません。権現様がご遺言100箇条ご条目のうちに、異人の船が参ったら打ち払えということがございます。その後遺言に背いてまでも、異国の料理をして今日をしのごうというのは誠に情けないこと。たってあなたがあそばすご所存なら、わたくしは自害をいたします」
「なにもそのような物騒なことを……」
などともめにもめた結果、落ち着いたのが汁粉屋でございます。しかし、慣れぬことに加えて、元は武士でございます。そうそう簡単に昔の癖が抜けるわけありません。お客の方も怖がってなかなか入ろうとしません。そんなある日、ようやく客が入り、汁粉屋は上へ下への大騒ぎ。客の方は落ち着いていられません。そうこうするうちに、ようやく汁粉が出てきたのですが……。
「あのぉ、大変失礼な物言いで恐縮なのでございますが、この汁粉は甘くございませんが、どのようにお作りになられましたか?」
「異な事を申す。小豆が一升」
「へぇ」
「砂糖が五文」
「ええっ、一升の小豆へ砂糖が五文。どうりでお天気続きで雨気(あまけ)なしだ……」
昔、男がおりまして、この男が大の指南書好き。今で言うところの、ハウツー本でございます。日本人は昔からこの種のハウツー本が好きな民族なのだそうで、指南書、極意書の類が広く読まれていたのだそうです。
それはともかく。
この男が、少し離れたところに住む伯父の家に届け物をすることになりました。
今でこそ京都から草津といえば電車ですぐですが、当時はちょっとした小旅行です。京都三条を出て、山科街道を通り、船着き場までたどりつきました。
いつもなら客を待たずにさっさと出てしまう矢橋船が、今日に限って待っています。男は飛び乗ろうとするのですが、ちょっと待てと思いとどまり、指南書を開くと、
「急がば回れ」
と書いてあります。男が指南書の通り船に乗らずに橋のある川上にまわり、遠回りの道を選択すると途中から雨が降ってきます。しまったこんなことなら船に乗っておけば良かったと後悔しつつ、ずぶ濡れになって伯父の家にたどりつくと、伯父と伯母が血相を変えて飛び出してきて、男の肩を抱きしめ泣き出します。なにがあったのかと聞くと、雨で鉄砲水が出て矢橋船が転覆した、まさかお前が乗っていたのではないだろうかと心配していたところにお前がこうして無事にやってきてくれた。本当に良かった云々。
男は指南書に書かれているとおりに行動して良かったと胸をなで下ろし、こういうときはどうすべきか指南書を開きます。するとそこには、
「急報あれば家に帰るべし」
と書かれています。
なるほど、船が転覆したという連絡が実家に届けば、家の者も心配するだろう。こういうときこそ早く帰って無事な姿を見せてやろうと、伯父の家を早々に辞して帰宅します。
案の定、家では大騒ぎ。そこへ男が無事に帰ってきたので、日頃は文句ばかり言っている妻も今日ばかりは優しくしてくれます。あぁ、やはり伯父の家に泊まらずに帰ってきて良かったと指南書に感謝しつつ、日帰りで草津まで往復した疲れもあり、その日、男は早々に眠ってしまいます。
翌朝。
そういえば土産に羊羹をもらったから妻と一緒に食べようと、包みを開けると、なにやら嫌なにおいがします。こんな時はどうすれば、と指南書を開くと、
「甘いものは宵のうちに食え」
僕はまだ結婚をしたことがないので、夫婦仲というものはよく分からないものの一つなのですが、一般的には「夫婦喧嘩は犬も喰わない」なんて申します。
さて。
最近、熊さんの帰りが遅い。帰りが遅いだけならまだしも、帰宅してからも再び出かける始末。お松さんとしては気が気ではありません。そんな尾松さんを、ご隠居さんが戒めます。
ご隠居さんが言うには、亭主というものは、家でおかみさんがワイワイ言えば言うほど、家に寄りつかなくなるもの。不満に思うことがあっても、それを直接口に出して言えば、亭主としても面白くない。ついつい喧嘩腰になる。ところが同じことでもユーモアをまじえて伝えれば、亭主の方もなるほどなと考え直す。その昔、在原業平の奥さんが、浮気相手の生駒姫のところに出かける業平を黙って送り出し、「風吹けば沖津白浪竜田山、夜半にや君が一人越ゆらん」と詠んだという。それを聞いた業平も自分の行いを改め、以後、ぷっつりと生駒姫の元を訪れるのをやめたという云々。
それを聞いたお松さん、熊さんのすることなす事を駄洒落で実況中継します。あまりの駄洒落のくだらなさにたまりかねた熊さんが出かけようとすると、
「恋しくばたずね来てみよ和泉なる、信田の森のうらみ葛の葉」
と詠むのですが、当然、熊さんとしては出かけてしまうわけです。
なんだい、ちっとも効果ないじゃないかとお松さんがご隠居さんの所に苦情を言いに行くと、
「お松さん、そりゃダメだ。その歌はきつね歌だよ」
「あ、なるほど、だから穴っぱいりなんだね」
毎度、馬鹿話を。
松さん、竹さん、梅さんのお間抜け三人組のところに伊勢屋さんから手紙が届きました。手紙の内容は、伊勢屋さんの息子が結婚するから、是非祝いに来てくれというもの。ただお祝いに行って、ご馳走になるのも芸がないと、三人組はご隠居さんに相談します。
「そうだなぁ、お前さん方は、こういっちゃなんだが、そそっかしいところがあるから、あんまり手の込んだ祝い事はできまい。幸い、名前が松、竹、梅とめでたいから、三人並んで歌でもうたうというのはどうだ。まず、松さん、お前さんからじゃ。わしの言った通りやってみなされ。『なった、なった当家の婿殿じゃになった』こう言うんだ」
「なった、なった当家のむく犬じゃになった」
「むく犬じゃない。婿殿。まったくしかたない奴だ。それじゃあ、次は竹さん。松さんが歌い終わったら、『な〜にじゃ〜にな〜られた』とこう言いなさい」
「あいよ、簡単だね。な〜んじゃもんじゃにな〜られた」
「それじゃ訳わからないよ。『なにじゃになられた』こういうんだ。最後は、梅さん、お前さんが一番大切だよ。竹さんが『なにじゃになられた』と言ったら、『長者にな〜られた』こう言って、三人揃って『おめでとうございます』と言えば、立派な祝辞になる。一度通しでやってみなさい」
「はぁ、それじゃあやるよ。なった、なった当家の婿殿じゃになった。ほれ、竹、おめぇだ」
「長者になられた」
「ばか。おめぇが落としてどうする。見ろ、可哀想に梅のやつ、出番がなくて口をぱくぱくしてるじゃないか。もう一回やるぞ。なった、なった当家の婿殿じゃになった」
「な〜にじゃ〜にな〜られた」
「大蛇にな〜られた」
「大蛇って、おめぇ、それじゃ祝いどころじゃないじゃないか。まぁいいや。時間がない。道々練習しながら行こう。ご隠居さん、ありがとよ」
てな具合で、三人揃って伊勢屋の婚礼に向かいます。
さて、本番。それぞれがそれぞれに芸をしたり歌をうたったりして、伊勢屋の息子さんの結婚を祝福します。そしていよいよ、松竹梅トリオの出番となります。
「な〜ったなった当家の婿殿じゃになった。竹、おめえだ」
「ほいきた。な〜にじゃ〜にな〜られた。それ、梅」
「亡者にな〜られた」
酒屋の若旦那が恋に落ちました。お相手は、近所でも今小町と評判の饅頭虎屋のお清さん。幼なじみでなおかつ美男美女と申し分ないカップルと誰もがうらやんでおりました。
ところが、大旦那がこの二人がつきあうことに猛反対します。お清と別れろ。別れなければ勘当だと若旦那に申し渡します。
しかし、若旦那も男です。お清と別れる? バカ言っちゃいけない。そんな無茶を言う親は、こちらから勘当だと、家を飛び出してしまいます。
若旦那が家を出たことを知ったお清さんも、一生若旦那に付いていくと決めたのだからと、こちらも家を飛び出します。
とは言うものの、二人とも苦労知らずです。家を飛び出したはいいものの、どうやって明日から暮らしていけばいいのか分かりません。途方に暮れた二人は、とぼとぼとと歩いている内に海岸に出ます。このまま戻って、また別々になるくらいなら、いっそのことあの世で一緒になろうと、ざぶんと飛び込みます。
ところが。
海に飛び込んだ若旦那は、なにやら大きな力でぐいと襟首を捕まれ、岸辺に引き上げられます。かたわらには立派な髭を生やしたたくましい男が立っています。あなた様はどなたですかと若旦那が尋ねると、髭の男は「わしは、お前の家の守り神である加藤清正である。お前が死んでは跡取りが亡くなりお家断絶になるゆえ、こうして助けた」と申します。
それなら、と若旦那は頼みます。こうして助けてくださったのですから、お清も助けてください。
すると、髭の男は、
「それはあいならん。何しろ、あの娘は虎屋の娘。予の仇敵」