「おう、いるか」
「あぁ、棟梁」
「なんだい、ぼんやりして。まぁ、いいや。明日から番町の方の屋敷の仕事が入ったんでな、今日のうちに道具箱を屋敷の方に持っていて、明日は手ぶらで行こうと思うんだ。与太の分も、うちの若い者に持っていかせるから、用意しておいてくれよ」
「それは困ったなぁ。いえ、別にほかに仕事があるんじゃないんだけど、店賃の代わりに大屋さんに道具箱もっていかれてしまって」
「まったく、何をやってんだよ。で、店賃はいくらためてんだ。1両2分と800文だ? えらくためたなぁ。まぁ、いいや。ここに1両と2分あるから、持って行って、道具箱を返してもらってこい」
「800文足りませんけど」
「なに細かいこと言ってんだい。800文ぐらい、あとで持っていくからと言って、とりあえず道具箱返してもらってこい」
ところが、ちょっとした言葉のもつれから、大屋さんがへそを曲げて返してくれなくなったものだから、話はどんどん大きくなり、最後は裁判沙汰になります。
落ちは、大岡様が大屋をやり込めた後で、「さすが大工は棟梁(細工は流々)、調べ(仕上げ)はごろうじろ」
商売人さんは、嘘がうまくなくてはいけません。いえ、別に皮肉でもなんでもなく。川柳にも「商人は損と元値で蔵を建て」なんてのがあるぐらいでして……
まぁ、それはともかく、その昔は三寸と言いまして、商品を売ると言うよりは、むしろ啖呵、口上を売り物にするという商売がありました。
「なんとお立ち会い。ご用とお急ぎでない方は、よーく見ておいで。遠出山越し笠のうち、物の文色と見分けがわからん。山寺の鐘はゴンと鳴るといえども、童子一人来たりて鐘に撞木をあてざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんと理屈がわからん。お立ち会い。手前持ちだしたるは、四六のガマだ。四六、五六はどこで分かる。前足の指が4本、後ろが6本。これを名付けて四六のガマだ。これより遥か常陸の国は筑波の山のふもと、おんばこ草という露草を食って成長する。このガマを、四面鏡の張った中へ追い込むと、己の姿に驚いて、たらーりたらりと油汗を流す。これを柳の小枝をもって三七、21日の間、とろーりとろりと炊いて出来上がったが、この油。効能は、金創、古傷にきく。まだある。出痔、疣痔、走痔にもきく。まだあるまだある。大きな声では言えないが、下の病にも、効果てきめんときたもんだ。ひとつお立ち会い。手前取り出したるは、抜けば玉散る氷の刃。とりいだしたるこの白紙、1枚が2枚に切れて、2枚が4枚、4枚が8枚、8枚が16枚、16枚が32枚、32枚64枚。春は三月落花の形、嵐山は雪降りの景、と切れる。かように切れる刀でも、ガマの油をつけるとたちまち鈍刀だ。ほぉら、引いて切れない。押しても切れない。しかし、刀をなまくらにするだけの怪しげなものを売るつもりはない。さきほどの刀の油をふき取ると、ちょっと触っただけで、こんなに切れる。ところが、ガマの油を塗ると、血も止まって痛みも消えるというしろものだ。さぁ、お立ち会い」
「おい、ガマ屋。その薬は20年も前の古傷でも直せるか」
「傷の種類にもよります」
「拙者、20年前に若気の至りで人をあやめた。その折り受けた刀傷が、季節の変わり目に痛んで仕方がない」
「何を隠さん、それがしは、その時、殺された木村怱右衛門が忘れ形見、一子怱之助。汝を討たんがために、雨に打たれ風にさらされ、一日千秋の思いをなし、ここで会ったが百年目。親の仇だ。いざ尋常に勝負!」
ですが、仇と言われた男は、どうしても今日討たれるわけにはいかない、用事の済んだ明日ならいいと申しまして、怱之助も、明日、巳の刻、高田の馬場でということで承知しました。娯楽のなかった時代でございます。ケンカ、ましてや仇討ちなんてことになると恐いもの見たさで人が集まります。翌日は、朝早くから高田の馬場には人だかりができます。幸いなのは近所の茶店。この時とばかり店を並べて、見物客にお酒やなんやかやを売ります。その見物客にまぎれて、昨日の仇の男が酒を飲んでいるのを見つけて、皆、ビックリ。
「おい、お前さん、そんなに酒を飲んで大丈夫かい。勝負は時の運、勝つか負けるか分からないけど、そんなに酔ってちゃ、勝負にならんでしょう」
「なに、大丈夫。今日は仇討ちはやめだ」
「やめって、お前さんはそれですむかもしれないが、相手がすまないだろう」
「すむもすまないも、あれはワシの倅だ」
「じゃあ、あれは嘘かい。なんだって、あんな大嘘ついたんだい」
「ああしておけば、本日ここに人が出る。従って近所の茶店が繁昌する。その売り上げの2割をもらうのが、ワシの仕事」
花火と言えば、玉屋と相場が決まっていますが、玉屋は出火を原因にお取潰しになり、江戸であがる花火は、鍵屋の花火だったのだそうです。それにもかかわらず、花火と言えば玉屋でして、それを皮肉って、
橋の上 玉屋玉屋の人の声
なぜか鍵屋と言わぬ情なし
なんて歌があるぐらいでして……
安永年間、5月28日が花火の日でございました。その日は、隅田川の両側は黒山のような人だかり。今は橋の上での花火見物は禁止されていますが、当時は橋の上でも見ることができたのだそうです。
そんな人ごみの中、本所の方からお侍の一行がやってまいりました。折り悪く、広小路の方から箍屋の若者が仕事帰りに一杯やって、いい心持ちでやってまいりました。ちょうど橋のまんなか、お侍と箍屋がぶつかってしまいます。
「この無礼者」とばかりに侍は、箍屋を斬りつけようとします。しかし、箍屋の方も斬られたらたまらない、さっと身をかわして、えいっと当身を食らわします。侍の方は思わぬ反撃にたじろぎ、持っていた刀を落としてしまいます。箍屋は、それをパッと拾い、返す刀でさっと横一閃に払うと、侍の首が宙に舞います。はらはらしてみていた見物人は、思わず、
「たがや〜」
この『狸賽』は、子供にいじめられていた子狸が、助けてくれた男のところに、恩返しに行くというものです。この種の動物の恩返しは、日本人の心をくすぐるようでして、有名なところだけでも、『鶴の恩返し』、『浦島太郎』、『ごんぎつね』などがあります。
で、実は僕はこの種の恩返し話って、あんまり好きではないので、このお話の紹介はここまでということで。
美人薄命とか、天才の夭逝とか、だいたい惜しまれる人は、早くに亡くなるようです。逆に、憎まれっ子世にはばかるなんていいまして、こちらはなかなかくたばってくれないので、世の中は悪くなるいっぽう。なんて不謹慎なことを言っていますが、さて。
「こんな馬鹿な話があるものかどうか、ちょっと聞いてくださいよ。伊勢屋の旦那なんですがね、また死んじゃったんですよ」
「またってのはどういうことだい。人間てのは、1回死んだらそれっきりだよ」
「いえ、そうじゃないんです。伊勢屋の旦那というのは、婿養子なんですけどね、それでまぁ、1人目の時は、役者みたいないい男でしてね、夫婦仲も良かったんですが、半年ばかり寝込んで、そいで死んじゃったんです。2人目の時は、前にこりたわけでもないんでしょうが、がっちりした丈夫そうな旦那だったんですが、1年半もしないうちに、やっぱり亡くなったんです。それで3度目の旦那というのが、今の旦那なんですが、これも近所じゃオシドリ夫婦と噂されるほど仲が良かったんですが、この間からどうも体の具合が悪くて寝込んでいると聞いていたんですが、夕べ亡くなったと、こういう訳なんですよ。なんでこんなことになるんでしょうねぇ」
「それは気の毒な話だなぁ。ただまぁ、伊勢屋のおかみさんといえば、この辺りでも美人で通っている。仕事だって番頭さんに任せっきりだから、1日、別にすることもなく朝から晩まで2人きりで暇を持て余しているとくれば、えへへ、これは短命になるのも分かるもんだよなぁ」
インターネットというのは、公共の場なので、これ以上の説明はしませんが、こういう短命なら僕は大歓迎です。
落ちは、自宅に戻った男が自分の妻を見て、
「あぁ、俺は長命だ」
と溜息をつくというもの。
その昔、和歌は教養のイロハのイと言われ、一人前の大人になるには、古今・新古今をそらんじるくらいでないとと言われたそうです。しかし、そうは言ってもなかなか和歌に親しむという風流なことを言ってられるわけではありません。特に生兵法はなんとやらという具合で、和歌にまつわる失敗談は多いようです。これも、そんな話の一つ。
「ちょっと教えて欲しいんですが、百人一首の”千早振る”あれは一体なんの歌なんでしょうか」
「なんです、薮から棒に。千早振るってのは、千早振る神代も聞かず竜田川から紅に水くぐるとは、のあれですか? あれは、えーっと、ちはやふるなわけでしょう(少し困った感じで)、ちはやふるだから、自然に、かみよと続くわけです。かみよが出たら、これはやっぱり竜田川が出てこないと話にならない。竜田川だから……そうだ、あなた竜田川がなにか知ってますか?」
「いえ、あの、どこかの川の名前でしょうか」
「いや、川じゃないんです。あれは関取の名前なんです」
と言う具合に、話はどんどん脱線していって、名高い「ちはやぶる」が、竜田川という力士の失恋話に発展してしまいます。
オチは「千早振る神代も聞かず竜田川からくれないに水くぐる」までは、「千早と神代という2人の女性に振られた竜田川が、入水自殺を図った」とうまく説明できたものの、最後の「とは」で苦しんだあげく、「とはは、千早の本名だ」
その昔、吉原では、金の払えない客に対して、大きく次のように対処していたのだそうです。
第1は、行灯部屋行き。これは、2人以上で遊びに来た客に対して、1人を暗い行灯部屋に入れ、残り1人が金の工面を付けてくるまで閉じこめておいたのだそうです。
第2は、始末屋行き。田町の青柳屋と越前屋が債権を引き受け、代わりに金を取り立てに行ったのだそうです。
そして第3が、馬屋行き。やはり馬屋が債権を引き受け、当人と一緒に金を取り立てに行ったのだそうです。この一緒に行く人のことを付き馬と言います。
こういうことから分かるように、吉原に遊びに行く客の中には、なかなかお金を払ってくれない人がいたようで……。
この付け馬の主人公も、やはりお金がない口でして、遊びに行ったはいいが、お金がありません。しかし、恐い人々の取り立ても勘弁してほしいと思った彼は、付き添いの若い衆を騙し、騙し、あちこち連れ回したあげく……というのが、このお噺です。
金はないけれど遊びたい。これは男として、仕方ないことです。
さて、若い衆が連れ添って楼閣に出かけ、朝までドンチャン騒ぎ。朝になって、お勘定という段になって、お金がない。
当時は、無銭飲食をすると、居残りと言いまして、使った分働かされることになっているのですが、これは結構重労働をさせられたのだそうです。 そんなわけで、居残りは勘弁してもらいたいと、若い衆は、家にお金を取りに帰る、ただ取りに帰るといっても信じてもらえないだろうから、申し訳ないが店のもの誰か一人、ついてきてくれないかと頼みます。店にしてみても、働かせるよりは、やはりお金をもらった方がいいわけで、店の者を付き添わせます。
帰り道。まだ辺りはようやく白み始めた時間です。お歯黒溝まで連れ立ってやってきた一行の中の一人が、小便をしたいと言い出します。一人が言い出すと、関東の連れ小便と申しまして、俺も俺もと皆が小便を始めます。店のものも、のんきに混じって小便をしていると、突然、ドンと後ろから押されたからたまらない。お歯黒溝のドブの中(しかも、たった今、小便をしたところ)にドブンと落ちます。それを見て、若い者は、ワァとクモの子を散らすように走り去ってしまいます。
突落しというお噺でした。
世の中には、小言を言うのが好きな人というのは、実際います。やれ、机に座っている姿勢が悪いだの、お箸の持ち方が悪いだの、掃除の仕方にケチをつけたかと思うと、洗濯物の干し方、犬のしつけ、とにかく目にとまるもの全てにケチをつけなければ気がすまないといったありさまで、大変うっとうしい存在でございます。
とは言うものの、不思議なもので、慣れてしまうと風がそよぐ程度にしか気にならず、案外聞き流せるものでして、もっとも僕の場合、基本的に他人の話を聞いていないと言う説もあるのですが……。
この搗屋幸兵衛は、そうした小言好きな大家を主人公にした話です。彼は、長屋の住人には勿論、家をを借りに来た客に対しても、頼み方が悪いだの、仕事の内容が悪いだの、家族構成が悪い等など、様々なことに突っ込みを入れます。これで商売が成り立つ訳ですから、なんとも呑気な時代でございました。やや社会的考察を加えれば、少し前のバブル時代と同じく、当時も「土地を持っている」ことが強い権力関係を生み出していた訳でって、そんな小難しい話を持ち出すのは、ヤボってものですが、ともあれ、個人的に、この噺はあんまり好きじゃないので、説明はここまでってことで。
情けは人のためならず めぐりめぐりて己が身のため、というような事を言いますが、なかなか人に情けをかけるのは難しいものでございます。
さて、昔の、橋なんかない時分でございます。ちょっと広い川を渡ろうとすると、渡し船というのがございまして、これに乗らなければいけなかったわけですが、当時の渡し船には、定員なんてのがなかったものですから、しばしば事故があったそうです。
「おかみさん、てぇへんだ。おまえさんところの旦那が乗ってるはずの船が沈んだってしらせが今入った」
それを聞くなり、可哀想に奥さんは気を失ってしまいました。昔の人は、よく気を失ったものです。まぁ、しかし、死んだものは仕方がない。長屋のものが集まって葬式の支度やなんやかやでバタバタしているところへ、死んだはずの男が帰ってまいります。幽霊じゃないかといぶかる人々に、男が言うには、船に乗ろうとすると、女に呼び止められた。なんでも3年前、店の金を失って身投げしようとしたところを助けたらしい。あぁ、そういうこともあったかなと話している内に、船は出てしまう。困っていると、女性が、あの時の恩返しと言って、船頭をしている夫に船を出してもらって帰ってきたと、男は話した。
なにはともあれ、助かって良かった。本当に情けは人のためにならないねぇなどと口々に男の無事を祝う。おかみさんも、嬉しいやら気絶して恥ずかしいやらで、ついつい「女の人だから助けたんでしょ。男の人なら足を持って放り込んでるでしょう」なんて、ヤキモチなことを言ってますが、さて、この話を聞いてすっかり感心した与太郎さん、人を助けておけば、自分が死ぬときに助けてもらえると思い、毎日、身投げをする人はないかと探して歩くようになりました。
ある日のこと、永代橋にかかりますと、西に向かって手を合わせ、目に涙をためた女性が、欄干につかまると、伸び上がって片手合掌をして水面を拝んでいます。
これを見た与太郎さん、いきなり後ろから女性に抱きつき
「お待ちなさい、お待ちなさい。お店の金をなくしたくらいでなんです。なにも死ぬことはありません」
「なにするんです、一体。私は歯が痛いから、戸隠様に願をかけているんです」
「そんなこと言ったって、袂に石が入っていますよ」
「これはお供えの梨です」
年をとると、どうも「近頃の若者は……」なんてことを言いたくなるもののようです。最近では、援助交際だなんだと、若者の性的モラルの低下にけちをつけるのが流行のようですが、どうなんでしょうね、実際のところ。
その昔、日本の銭湯では、混浴というすばらしい文化がありました。別にこれは、当時の人々のモラルが高かったわけではなく、いろいろと「間違い」があったのだそうで、モラルが高かったと言うよりは、そういうことに大らかだったというのが実態のようです。
また、結婚前の若い男女が、人前でいちゃいちゃするのを顔をしかめる方もおられるようですが、当時は「夜這い」が盛んだったのだそうで、いちゃいちゃどころの話じゃないと僕なんかは思うのですが、いかがなものでしょうか。
ともあれ。
一八という若者がおりました。この男、簡単にいってしまえば与太なのですけど、与太は与太なりに色気づく年頃でもありました。
彼は隣のお光ちゃんにベタ惚れで、ある夜、こっそりと彼女の部屋に会いに行こうと考えました。ところが、お光ちゃんの部屋に行くには、親父さんの部屋を横切らなければいけません。どうしたものかと、与太は与太なりに考えて、屋根から忍び込もうと思い立ちます。
夜も更けて、部屋を抜け出し、屋根づたいに彼女の家にやって来た彼は、帯を明かり取りの格子にくくりつけて、するすると降りていこうとします。ところが、途中で帯が足りない。そこで腹巻きをくくりつけ、それでも足りないのでふんどしを、それでもまだ着かないので、着ていた着物を継ぎ足して、どうにか部屋に降りたところ、とうに朝は明け、下では朝食の用意が始まっていました。そんなところに素っ裸で降りていったものですから、親父さんはカンカン。
「馬鹿者が、何を寝ぼけてんだ」
「えへへ、すみません。井戸替えの夢を見ました」
この落語の題となっている太田道灌は、一方では江戸城築城など武に優れた人物であると同時に、他方で、和歌も親しむ知識人でもありました。彼の辞世の句、
かかる時さこそ命の惜しからめ かねてなき身と思ひ知らずば
は有名でしょう。今まさに暗殺者の槍の穂先が胸元をついているという時に、句を詠んだわけで、いやはやなんといってよいものやら。
とは言うものの、この道灌、初めは歌なんか全く知らない無骨な人だったそうです。ある日、狩猟の帰りに雨に降られたため、農家で雨具を借りようとしたところ、そこの娘が山吹の枝を差し出しました。道灌には、この少女の謎かけがわからない。呆然としていたところを、家来が「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という歌があること、「実のない」を「蓑ない」にかけての断りだということを教えました。この一件で、自分の無知を恥じた道灌が、その後に一念発起して一流の歌人になったのだそうです。
この歌を知った男の所へ、友人がやってきた。
「すまないけど、借り物があってやって来たんだ。ちょっと貸してくれないか」
「待ってました。で、何が借りたいんです」
「提灯を借りたいんだ」
「提灯? 雨具にしませんか?」
「いや、雨具はいいんだ。提灯を貸してくれ」
「そんなこと言わずに、雨具を貸して下さい、と言ってくれ」
「変なヤツだなぁ。雨具と言えば、提灯貸してくれるの? じゃあ、雨具貸してくれ」
「待ってました! 七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
「なんだいそれ。都々逸か?」
「どどいつ? あんた、これを知らないようだと、よっぽど歌道が暗いな」
「あぁ、角が暗いから提灯借りに来た」
落語には、様々な人物が登場しますが、与太郎も人気の1人です。与太郎の周囲には、世話をやく人、からかう人、真面目に対応する人、様々です。ですが、どんな人も、相手が与太郎だと滑稽なことになるようで。
「おい、亀吉、ちょいと明日、店を開けることになったんだが、そのあいだ、店番してくれないか」
「あぁ、いいよ。なにをすればいいんだい」
「なに、大したことじゃない。おまえ、目は利くかい?」
「ああ、目は利くよ。おじさんの後ろで、猫があくびしてるのなんかよく見える」
「ばか、そうじゃない。早い話が、ここにある鉄瓶、これがふめるか」
「踏めるよ」
「お、偉いなぁ、それじゃあふんでみろ」
「お湯が煮立ってるじゃないか」
「煮立ってたっていいじゃないか」
「よくないよ、踏んづけたら火傷するもの」
「足で踏むんじゃない、目でふむんだ」
「目で?」
「分からないやつだな。いくらか値が付けられるかと聞いてるんだよ」
「なんだ、それならそうと最初からいえばいいじゃないか」
「わかるか?」
「わかるわけない」
「威張るようなことじゃないだろ。まぁ、いいや。ここに元帳がある。これに値段やなんやかやが全部書いてあるから、それを見て、例えば五百円と書いてあったら倍の千円ぐらいで言いな。向こうがまけろと言ったら二、三百円引いても、少しは儲けが出る。儲けはおまえの駄賃にしていいから、元はこっちに入れとくれ。それじゃあ頼んだよ」
と任せたはいいものの、客との掛け合いは予想通りドタバタしたものになり、すったもんだのあげく、鉄砲の値を聞かれて、「へい、音はズドン」
落語に出てくる二代目というのは、どこか間が抜けているのですが、育ちの良さから来る人の良さを持ち合わせている人が多いようです。
この噺に出てくる若旦那も、道楽がすぎて家を追い出されたものの、根はいい人です。
さて、家を追い出されて途方に暮れていた若旦那を、おじさんが見つけ、汗水垂らして真面目に働けば、家に戻れるようおじさんが取りはからってやるから、と唐茄子屋を始めさせます。
身から出た錆とはいえ、箸より重いものを持ったことがない若旦那。重い荷を我慢して担ぎ出しましたが、本所の達磨横町を出て、吾妻橋を渡り、浅草の広小路に出た頃には、真っ昼間。汗は出る、肩は腫れ上がり、目はぐるぐるとくらんでくる。足をすべらせて、往来に唐茄子を放り出して、どたっと倒れた。
通りかかった大工の源さんが、可哀想に思って、自分でも一つ買い、道行く人に売ってくれます。若旦那は感激して、「あぁ、世間にはいい人がいるものだ。残り二つぐらいは自分で売ってみたい」と気を取り直し、「とうなす〜、とうなす」とまた売り歩き出します。 請願寺まで来ると、路地の奥から、身なりは粗末ですが32、3の品のいいおかみさんが唐茄子1つを欲しいと言います。若旦那は、1つはおまけしてあげようと差し出すのですが、それでは悪いからと遠慮します。それじゃあ、ちょうど弁当を食べたいので、水を1杯、そのかわりにこの唐茄子を差し出しますと言って、唐茄子を渡し、弁当を食べようとすると、5歳くらいの男の子がじっとこちらを見ています。
どうもわけありだな、と若旦那が事情を聞くと、夫が亡くなり、女で一人で子供を育ててきたが、体調を崩して内職もできず、ここ数日、食事をとってないとのこと。これを聞いた若旦那は、弁当を子供に与え、今日の売上をおかみさんに渡します。
空になった駕籠を担いでおじさんの家に戻ると、おじさんは全部売り切ったと感心して、若旦那を迎え入れます。
「婆さん、あじを焼いてやんな。よくやった。おじさんは、てっきりお前のことだから、2、3町も歩いたら、担げねえと言って帰ってくると思っていたが、全部売ってきたか。なに、広小路のところで一度倒れた。そうか、重かっただろうからな。その源さんという人には、あとでおじさんから礼を言っておくよ。まあ、とにかく売上を出しな。なに、もうかったかどうかなんか関係ないんだ。売ればいいんだから。いくらになった」
「それが……売上はないんです……」
「なに?」
「まるっきりないんです」
「なんだい、なんにもなしだ? 婆さん、あじは焼かなくてもいいよ。片側焼いた? 片側焼いたなら、全部焼いちまいな。なぁ、俺は、なさけないよ。いくらで売ったとか、そんなのはどうでもいいんだ。とにかく商いをしたというのが大切なんだ。なんだって、売上がないんだ」
「そのぉ……」
と、若旦那が、請願寺のおかみさんの一件をおじさんに話したところ、本当かどうか確かめると夜だというのに若旦那を連れて出かけます。
そのころでは、請願寺では長屋をあげて大騒ぎ。なにがあったのかとおじさんが聞くと、昼間のおかみさんが、お金を返そうと若旦那を追いかけて家を出たところ、大家が、溜まっている店賃だと言ってお金を全部取り上げてしまい、それでは面目がないとおかみさんが自殺を図ろうとしているのを見つけて、慌てて医者を呼んだとのこと。
これを聞いた若旦那。若い者ですから、カッとして、大家の所に駆け込み、そばにあったやかんで大家の頭をポカポカと殴りつけます。
騒ぎを聞きつけたお役人がやってきて、家主は不届きというのでお叱りをうけ、若旦那は人を助けたというので奉行からご褒美を頂き、めでたく勘当が許されました。
人情噺なので、落ちはありません。
龍二世さんから「端」が間違いではないかとの指摘を頂きました。正しくは「箸」です。龍二世さん、ご指摘ありがとうございます。(2006.02.10)
関西では、うどん屋さんの方が多いのですが、東京では、そば屋の方が人気があるようです。
さて、ある男が、そばを食べ終えた後、勘定する時に、一枚一枚小銭を出しながら、
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ところで今なんどきだい」
「へぇ、九つ」
「とぉ、十一、十二、十三、十四、十五、十六。ここに置いとくよ」
と言って去りました。
これを見ていた男が、翌日、同じようにソバを食い、勘定する時に、一枚一枚小銭を出しながら、
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ところで今なんどきだい」
「へぇ、四つ」
「いつつ、むっつ、ななつ……」
富の噺でございます。
あるところに久蔵という、そそっかしい男がおりました。この男、ほうぼうで借金をこしらえているのですが、なんとなく憎めない人物でした。
さて、この久蔵さんが、ある日、富くじを買って、大事に大神宮様の神棚にまつっていたわけですが、なんとも間の悪いことに、隣の火事に巻き込まれて、焼け出されてしまいます。しかしまぁ、普段から可愛がられているような人ですから、火事にあったと聞いて、周囲の人がなにかれとなく世話を焼いてくれて、とりえず支障なく毎日を過ごしておりました。
そうなると、気になるのは、買った富くじです。焼けてしまったものの、番号だけは「松の100番」としっかり覚えています。ところが、これが大当たり。当たったはいいものの、焼けちゃったんじゃ仕方ない。そう分かっていても、あきらめがつきません。あのお金があったらと、ぐずぐずと考えていると、鳶の親方が、焼け跡から神棚を持ってやって来ます。
落ちは、
「これも大明神様のご加護のおかげ。すぐにお払いしてきます(支払いとお祓いをかけたもの)」