な の段


ないものねだり

 (ないものねだり) 別名:居酒屋」「ずっこけ」

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長生き

 (ながいき) 別名:短命

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長口上

 (ながこうじょう) 別名:金明竹

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中村仲蔵

 (なかむらなかぞう)
 仕込落
 出典:古典落語集7 正蔵・三木助 (ちくま文庫)

 中村仲蔵の名義は四世までで、なかでも初代と三代目は有名です。三代目は、『淀五郎』に登場していますが、このお噺は初代の話です。

 初代仲蔵(1736〜90)は、早くに両親を失い、舞踊の志賀山流の家に養われ、踊りにも非凡な才能を見せました。その後、四代目市川団十郎に認められ、名題に抜擢されます。

 ところが、現在でもそうらしいのですが、歌舞伎の世界は非常に封建的で、名門出身者には出世の道が約束されている一方で、門閥のないものは、なかなか出世できず、仲蔵のように出世したとしても、名家の人々には軽んじられ、下のものからはねたまれると、たえず悲哀を味わうことになります。

 この噺では、仲蔵が名題になり、『忠臣蔵』を上演するということになったものの、彼に与えられた役は、斧定九郎という端役。これは忠臣蔵の五段目、ちょうどお昼時に出てきて、あっという間に殺されるというもの。さすがにむっとしたものの、奥さんの助言で気を取りなおし、後に「秀鶴型」と称されるほどの名役にまで仕上げるという苦心談です。

 オチは、師匠の家から帰ってくるなり、奥さんを拝み出したので、照れながら、

「なんだい、さっきは落ち込んでいたかと思うと、今度はあたしを拝んだりして。煙に巻かれるよぅ」
「煙に巻かれる? あぁ、師匠から褒美に煙草入れをもらった」


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長屋の花見

 (ながやのはなみ)
 逆さ落
 出典:古典落語6 小さん集 (ちくま文庫)

 春というのは不思議なもので、日本では一年で一番心がうきうきするもののようでして、その典型が花見といったところでしょうか。もっとも、花を見に行っているのか、人を見に行っているのか分からないことがほとんどですし、人によっては花より団子ならぬ、お酒が目的なのかも知れませんけれど。

 ともあれ。

 長屋あげて花見に行こうということになって、皆で弁当を作って出かけたものの、そこは貧乏長屋の住人。誰もお酒を買うお金がない。仕方ないから、お茶を「オチャケ」と称して、花見をはじめます。

 落ちは、茶柱ならぬ「酒柱」が立ったというもの。


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泣き塩

 (なきしお)
 地口落
 出典:古典落語1 志ん生集 (ちくま文庫)

 落語は、庶民、特に町人の楽しみと言う事もあって、おおむね、武士は悪く言われることが多い訳ですが、この「泣き塩」は、武士が共感を呼ぶ対象として描かれている点で貴重なものです。

「お武家様、申し訳ありませんが、この手紙を読んでもらえないでしょうか。あたしには、田舎には母がいるのですが、先日以来、少し具合が悪いと聞いていまして、心配していたところ、こんな手紙が届いたんです。お恥ずかしい話ですけれど、あたしは字が読めませんので、こんな往来で申し訳ありませんが、手紙を読んでくださいませんか」
「手紙を拙者に読めと申すか。うーむ、そうか。(手紙を広げて)無念だ。手遅れだ。(自分に言い聞かせるように)あきらめろ」
「手遅れ! あぁ、どうしましょう」

「こんなところで、二人して、なに泣いてんだい。おっかさんが亡くなった? そりゃ大変だ。ちょっとその手紙を見せて。おいおい、おっかさんは亡くなってないぜ。その逆に、よくなったっていう手紙だよ」
「え、ホント? このお武家さんが『手遅れだ』なんていうものだから、てっきり。でも良かった」
「お武家様、あんたは、なんだって、泣いてんです」
「拙者は、子供の頃より武士は武道で身を立てるべきと思い、剣術、柔術、馬術、どれもその道を究めてまいったが、学問だけはやってこなかった。それが悔しくて泣いておるのだ」
「あぁ、そうですか。それは心中お察しいたします。で、それはそれとして、爺さん、あんたは、なんでそんなところで泣いているんです」
「えぇ、あたしは商売柄、何かっていうと、すぐにもらい泣きするたちでして」
「なんの仕事をしているの」
「えぇ、泣き塩(焼き塩)屋でございます」


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夏の医者

 (なつのいしゃ)
 地口落
 出典:古典落語集4 圓生 (ちくま文庫)

 お医者さんです。

 医者になるといっても、向き不向きがあるようで、腕とかには関係なく、やはりああいうのは、性格がどっしりした人の方がいいようです。僕のように、ちょこまかした人が医者ですと、

「あ、どうも、よくいらっしゃいました。えぇ、えぇ、こちらにおかけください。どういう容態で……、なるほど、熱が出る。そりゃいけませんな。食欲は? ない。それは、ますますもってよくないですな。あ、どうぞ、どうぞ、そちらで横になって。えぇえぇ、大丈夫ですよ。ちょっと切るだけですから……」

 なんて、言われた日には、安心して診てもらおうという気になりません。

 さて、江戸時代の医者は、今とは違って、「別にやりたいことはないけど、とりあえず医者にでもなっておくか」なんてことで医者になる人もいたのだそうです。こういう医者を「でも医者」なんてことを言いまして、まぁ、こういう人にかかった患者はたまったものではありません。

 そんなわけですから、当時は、夏の萵苣(ちしゃ)、つまりはレタスををたくさん食べると下痢をするなんていう程度のことも、しごくもっともらしくまかり通っていたのだそうです。

 玄白先生という、年老いた医者がおりまして、この方は名医なのですが、なにぶん、年をとっております。どこか惚けているところがあります。

 ある夏の暑い日、いつものように隣り村まで診察に出かけたところ、途中に大きな洞穴があります。こんなところにトンネルなんかあったかなぁとは思ったものの、ぼけております。気にせず、どんどん穴の中に入っていきます。しばらく進んでいくと、なんだか生暖かい。それに廻りの岩が妙にヌルヌルしている。そこでようやく、自分がウワバミの胃の中にいるのだと気がつきます。

 ウワバミに飲まれたのじゃたまらないと、玄白先生は考えた末、持っていた薬籠から下剤を取り出し、それをすべてウワバミの胃の中に振りまきます。

 ウワバミとしてはたまったものではありません。生まれて初めての下剤なわけですから、ぎりぎりと腹が痛み出し、バタバタとのたうち回ったあげく、玄白先生もろとも下してしまいます。

 ほうほうのていで寝床に戻ったウワバミは、ぶつぶつと

「夏の医者(萵苣)は下痢になる」


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鍋屋敷

 (なべやしき) 別名:石返し

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涙の茶

 (なみだのちゃ) 別名:お茶汲み」「女郎の茶

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錦木

 (にしきぎ) 別名:三味線栗毛

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錦の袈裟

 (にしきのけさ) 別名:「ちん輪」
 地口落
 出典:古典落語1 志ん生集 (ちくま文庫)

 江戸っ子というのは、どうも妙なところで張り合うものでして、隣町の連中が、祭りで酒樽を3つ出すと聞けば、こちらは4つ。そろいの浴衣を100作ったと聞けば、こちらは200。食中毒で3人倒れたと聞けば、こちらは5人。まぁ、こんなことまで張り合っても仕方ないのですが、ともあれ、町ごとの対抗意識というのは、非常に強いものでした。

 さて、隣町の若い連中が、そろいのちりめんの襦袢で吉原に遊びに行ったと聞いて、ようし、それならこちらは錦のふんどしを締めて行こうと、なんだかよく分からない対抗意識を燃やした長屋の連中でしたが、困ったのは与太さん。なにしろ、貧乏暮らしで、錦なんて物は持っていない。思案したあげく、坊さんの袈裟を借りに行きます。

 さすがに、ふんどしにするから袈裟を貸してほしいなんて言えませんから、親類の娘に狐が憑いて、それを取り払うためとかなんとか、ぶつぶつ言って、ようやく貸してもらうのですが、明日法事があるから、朝には返してくれと念を押されます。

 袈裟の効果があったのか、その日の与太さんは非常にモテます。

 落ちは、朝になって帰ろうとする与太さんに、女が、

「今朝も帰しませんよ」
「そりゃ困る。袈裟帰さないと、お寺で小言を……」


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二十四孝

 (にじゅうしこう)
 途端落
 出典:古典落語集7 正蔵・三木助 (ちくま文庫)

 「孝行のしたい時分に親はなし、さらばとて、石に蒲団を着せられず」と言いまして、親孝行です。もっとも、親孝行したらしたで、

あらためて孝行するも不孝なり
 大事の親の胆や潰さん

などという説もあり、親孝行は、なかなか難しいものです。なんて、典型的な親不孝者の僕が言うことじゃないですね。反省。

 ともあれ。

 その昔、中国に呉猛という男がいました。貧乏で蚊帳を買うことができなかった彼は、せめて母親を蚊に食わせまいと、自分の体に酒を吹きかけて、一夏を過ごしたという大変親孝行な人物でした。

 この話に感心した与太郎が、自分も親孝行をしようと、酒を買ってきました。夜になり、さぁいよいよ体に吹きかけようという段になって、ちょっと待てよ、どうせなら体の中にかけようと、浴びるつもりでチビリチビリ酒盛りを始めました。しばらくすると、程よく酔いも回り、気持ち良くなった男は、大きなあくびをして、その場にゴロリと横になりました。

 翌朝目を覚ました男は、一ヶ所も蚊に食われてないことに驚き、

「親孝行はするものだ。昨晩は、1匹も蚊が出なかった」

 すると母親が、

「そりゃそうだろう、一晩中、私があおいでいたんだから」


【参考】
 「二十四孝」とは、元々、郭巨業が、中国に昔から伝わる24の孝行話を集めたものです。落語も、それにあわせて、上記以外にもいくつかのバリエーションがあり、それらをくっつけたり削ったりして時間を調整できるため、高座では「つなぎ噺」として重宝されています。

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二番煎じ

 (にばんせんじ)
 ぶっつけ落
 出典:古典落語5 金馬・小圓朝集 (ちくま文庫)

 火事と喧嘩は江戸の華などと言いますが、昔の江戸は火事に苦しめられておりました。今でこそ、消防自動車が駆けつけてたちまちの内に火を消しとめてしまいますが、昔はちょっと火が出ると、あっという間に50軒、100軒なんて家を灰にしてしまったのだそうです。
 ですから、火の廻りというものを雇いまして、火の番をさせていたのですが、冬なんかは寒くて仕方ありません。体を温めようと、上司である武士の目を盗んで、お酒をなんてことになります。

 オチは、風邪薬と称してお酒を飲んでいたところを武士に見つかって、泡を食っていると、

「拙者も一廻りしてくるから、二番を煎じておけ」


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人形買い

 (にんぎょうがい)
 ぶっつけ落
 出典:古典落語集7 正蔵・三木助 (ちくま文庫)

 今でこそ東京では隣人の顔も知らないといった感じですが、その昔は祭りだといえば町内総出でそろいのはっぴを着て繰り出したり、子供が生まれたといっては、皆で贈り物を募ったりしていたのだそうです。

 さて、5月の節句。今年は神道者の先生の家に子供ができたので、長屋の連中からお金を集めて人形を贈ることになりました。1軒25銭ずつ集めて、しめて5円。これで人形を買って、残ったお金で、お酒でも飲もうと虫のいいことを考えながら、その月の当番2人が人形を買いに行きました。

 店の人をうまく丸め込んで、4円の人形を出してきてもらうものの、太閤さんの人形がいいのか、神功皇后さんの人形がいいのか、2人では判断つきません。変なものを買って、後で長屋のものに馬鹿にされるのも癪なので、長屋でも一家言ある占者の先生と講釈師の先生にお伺いを立てます。

 まずは、占者の先生の意見。

「本年お生まれになりました赤子は、家名にかかわらず、金性でございます。太閤秀吉公は火の性です。火と金は『火剋金』と申しまして、まことによろしくない。それに対して、神功皇后は女体にあらせられ、女は陰、陰は北、北は水、水と金は『金生水』と申して、まことに相性がよろしい。これは神功皇后様の方がよろしいと存ずる」
「はぁ、そうですか。ありがとうございます」
「これこれ、待ちなさい。見料を置いていきなさい。いつもは1円頂いているが、同じ長屋の者、50銭にまけておく」

 なんて、せっかく浮かせた1円から50銭引かれてしまいます。

 次に、講釈師の先生の意見。

「そも、太閤秀吉公は尾州愛知郡中の中村、百姓竹阿弥弥助の倅にして、幼名を日吉丸、成長の後、遠州浜名の領主松下嘉平次に仕え、初陣の功によって松下の姓を賜らんとしたが、他人の姓にならわんやと、自ら木下藤吉郎と名乗り、尾州へ立ちかえり、織田信長に仕え、数々の勲功を立て、信長公亡き後、山崎天王山の戦いに明智を破り、翌年、北国の柴田、滝川を滅ぼし、ついに天下を掌握する」
「先生、先生。もうちょっと手短に」
「せわしくていかんのぉ。もうちょっと人間は余裕を持って生きていかねばならん。まあよい。つまり秀吉公は、3代続かざるということであるから、これは神功皇后の方がよろしかろう」
「あぁ、そうですか。それじゃ、どうも」
「待ちなさい。木戸銭を置いていきなさい。同じ長屋に住むのも何かの縁。50銭におまけしよう」

と言うわけで、せっかく人形題を浮かせたものがすべてパァ。とぼとぼと人形を神道者の家に届けに行くと、

「あたくしを神職と見たてて、神功皇后様の人形とは、誠に結構でございます。そも神功皇后様と申し奉るは、人皇14代仲哀天皇の后にて、御名を息長足姫と申し奉り……」
「待った、待った。先生のところもずいぶん長そうだね。あいにく、2人とも、もう一文なし。なにも払えませんよ」

 昔から先生と名前がつく人は、話が長いというお噺でございました。


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猫久

 (ねこきゅう)
 間抜け落
 出典:古典落語6 小さん集 (ちくま文庫)

 僕はまだ当分の間、結婚するつもりはありませんが、というかその前に恋人さえいないというのが、正直なところで、大変さみしい毎日を送っているのですが、それはさておき、やはり、「いい女性と結婚する」というのは、男性にとって重要なことのようです。もっとも、ギリシャの誰かさんは、愚妻の方が人間性が豊かになる旨の言葉を残しておりますけれど。

 ともあれ、どうもこの「良き妻」には、古今東西を問わず、ある一つのパターンがあるようでして、この猫久に出てくる女性も、その1人のようです。

 ある長屋に久六という、人柄のいい、温和な方がおられまして、何を言われてもにこにこ笑っている、大変おとなしい方でございました。知人なんかは、「あいつは、どうもおとなしくって、まるで猫みたいなやつだ」なんて言いまして、猫の久だから、猫久さんなんて呼んでおりました。中には、「猫さん」なんて呼ぶものもいたのですが、当人は、そんなふうに呼ばれても、にこにこしておりました。
 このおとなしい猫久さんが、ある日、真っ青な顔して家に帰ってきて
「今日という今日は勘弁できない。相手のやつを殺してしまうから、刀を出せ
と怒鳴っておりました。普段めったに無いことですから、それはもう長屋中大騒ぎ。おしゃべり好きの江戸の下町っ子ですから、寄ると触るとその話で持ちきりとなります。

「いやぁ、びっくりしたね。あの猫久でも怒ることがあるんだ。しかも刀を出せってのは、穏やかじゃない。それにしても、猫久のかみさんも変わった人だよ。夫が殺気立ってりゃ留めるのが普通なのに、それを留めもしないで、押し入れから刀を持ち出してくるとはねぇ。それで神棚の前に坐って、なにかしきりにぐずぐず口の中で言って、ぺこぺこ3度ばかりお辞儀したと思ったら、そのまま猫に刀を渡してしまうなんてのは、やっぱり普通じゃないねぇ」
「いや、なかなかできた妻だ。日ごろ猫とアダナされるほど人柄のよい男が、血相を変えて我が家に立ち帰り、刀を出せとは、よほどのことがあったのであろう。それを察して、否とは言わず渡すのみならず、これを神前に三遍抱いてつかわしたるは、先方に怪我のないよう、夫に怪我のないよう神に祈り、夫を思うため。天晴れ、女丈夫というべき賢婦人である。いや、あっぱれだ」

 この話を聞いた、熊さんが、さっそく自分の妻に説教をするのだけど、うまく言葉が出てこずにやきもきするところが話の山場。

 落ちは、奥さんをひっぱたこうと擂り粉木を持ってくるよう言うが、「今使っている」と断られるというもの。


【注釈】
刀を出せ
 江戸時代、町人は刀を持てなかったわけではなく、旅をする場合、脇差しは護身用に持てた。水戸黄門で用心棒と称する2人が刀を持っていても怪しまれないのは、そのため。ちょっとした裏技として、江戸市内でもワラジ履きであれば、旅に行く支度という口実が通用し、脇差しを持ち歩くことができたのである。あと、裃姿であれば、堂々と脇差しを差すこともできたのである。

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猫の皿

 (ねこのさら) 別名:「猫の茶碗」
 途端落
 出典:古典落語1 志ん生集 (ちくま文庫)

 古いものの値打ちを鑑定するテレビ番組もありますが、こういう掘り出し物やお宝というのには、昔も今も心ひかれる人が多いようです。もっとも、こういうのは欲をかくとロクなことがないものでして……。

 鑑定士が、古い茶店で一服していると、皿がございまして、これが高麗の梅鉢という、実に素晴らしい皿です。売れば300両はくだらないというもので、何でこんなところに、こんないい皿があるのだろうと思って、しげしげと見ていると皿に飯粒がついています。その側で猫がアクビをしているものですから、

「ははぁん、どうやら猫にこの皿で飯を食わせているようだ。そうすると、あの爺さん、この皿の価値が分かってないんだなぁ。ようし、なんとかふんだくってやろう。(猫を嬉しそうに抱き上げ)おお、よしよし。かわいい猫だ」
「お客さま、その猫は駄目ですよ。しっぽばかり長くって」
「しっぽが長くったっていいじゃないか。それで首を絞める訳でもないんだし。なぁ。(猫を顔のところに持ち上げて)『長くて悪いか』って言ってやれ。へへへ、ゴロゴロ言ってやがる。可愛いもんだねぇ。なあ爺さん、この猫くれねぇか。まだ他にもいるんだろう。1匹くれよ。ただで貰おうってんじゃないよ。鰹節代置いておこう。小判3枚で、これを売ってくれ」
「そんなに!」
「いいんだよ。気に入ったから買うんだから。(猫に話しかけて)なぁ、いいよなぁ。これから宿に帰って、うまいもん食わしてやるからな」
「どうも、この猫は幸せものでございますな。どうか、うんと可愛がってください」
「あぁ、可愛がるよ。子供もいないし。(そこで初めて気がついたかのように)この皿で、猫に飯食わせていたのかい?」
「えぇ、そうなんです」
「あ、そうかい。猫っていうのは神経質な生き物だから、皿が変わると食わないっていうから、この皿持っていって、これで食わせてやろう」
「それは駄目です。それは、こんなところに置いてありますが、高麗の梅鉢と言いまして、300両くらいにはなるんです。こっちの茶碗でも食べますから、これを持っていってください」
(いまいましそうに)知ってたのか。それじゃあ、どうしてそんな高価な皿で猫に飯なんか食わせるんだい」
「へぇ、そうしておくと、時々猫が3両で売れますんで」


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猫の茶碗

 (ねこのちゃわん)別名:猫の皿

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鼠の懸賞

 (ねずみのけんしょう) 別名:薮入り

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寝床

 (ねどこ) 別名:「寝床義太夫」「素人浄瑠璃」
 途端落
 出典:古典落語集2 文楽 (ちくま文庫)

 カラオケなんかで、素人の方でも非常に上手に歌われる方がおられます。そうかと思うと、なんと言いますか、できればお一人だけの楽しみにしておいていただきたい方もおられるわけで……。

 ともあれ、日本人のカラオケ好きは今に始まったことではなく、昔はカラオケのかわりに浄瑠璃が盛んでございました。困ったことに、ああいうのは、うまい人はめったに歌わないもので、むしろ下手な方の方が、何かというと人に聞かせたがるようです。

 日本橋は横山町に呉服屋のご主人がおられて、実に温厚な方だったのですが、ただ一つ問題は、義太夫がお好き。好きなのは構わないのですが、お世辞にもお上手とは言えない。ところが、困ったことに、ご自分では免許皆伝だと思われているものですから、夜になると、店のものを集めてお聴かせになる。その夜も、声を張り上げていると、店のものがシーンとなる。感に堪えて聴き入っているのだろうと、ひょいと見ると、みんな寝てしまっている。怒った主人が、ふと見ると、12、3の小僧さんがしくしくと泣いています。

「お前は偉いねぇ。だいの大人が、不作法にも寝ている中で、お前だけが義太夫の悲しいところに身につまされて泣いているんだね。もう泣くんじゃない。どこが悲しかった? 『馬方三吉子別れ』のところか?」
「そんなとこじゃない」
「それじゃ、『宗五郎の子別れ』か? そうじゃない? どこだい?」
「あすこです。あすこなんです(と、左手で前方をさす)
「あそこは、あたしが義太夫を語ったところじゃないか」
「あたくしは、あそこが寝床なんです」


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寝床義太夫

 (ねどこぎだゆう) 別名:寝床」「素人浄瑠璃」

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とみくら まさや(vzx01036@nifty.ne.jp) $ Date: 1998/09/27 $