古典落語は、ご存じの通り幕末から明治にかけて成熟しました。そのため、古典落語の中には忠臣蔵を扱ったものが意外と多かったりします。歌舞伎の忠臣蔵に夢中になって……みたいなものまで含めると、かなりの数があるのだそうです。
この赤垣源蔵も、そんなお噺の一つでございまして、主人公の赤垣源蔵は、脇坂淡路守様のご藩中で、柴田伊左衛門様のご舎弟でございました。本名は赤埴源蔵と申したのだそうです。
ともあれ、この源蔵様、浅野内匠頭お家繁盛の時分には、大変忠義な家来だったのですが、お家滅却の後は、八丁堀卵屋新道というところで世帯を構えておられたのだそうです。九尺間口に戸が一枚と申したそうですから、有り体に言えば手狭なところでございます。
もちろんのことながら、この時分、一度浪々の身となってしまうと、なかなか次の主に仕えるというわけにはまいりません。
幸いなことに柴田様はご舎弟とはいえ弟思いの方でございまして、弟の窮状を不憫に思い、嫌な顔一つせずにいろいろと用立てておられたのだそうです。
そんなある日のことでございます。
源蔵様がいつものように柴田様のところにやってこられました。あいにくなことに柴田様は所用で家を空けておられたのだそうです。今日はおられませんからと家中のものが帰そうとするのですが、源蔵様は持参していた徳利で一人で酒盛りを始めました。
それが元禄15年12月の14日のことだそうでございます。
翌朝。
江戸市中が騒がしい、何があったのかと柴田様が家来に尋ねると、吉良家に赤穂の家来が敵討ちに入ったとのこと。しまったそれなら昨日、会ってやれば良かったと柴田様は悔やむものの、後の祭りでございます。嘆いても仕方ないと柴田様は、家来の半助を呼び、雪中を戻って来るであろう源蔵を含む赤穂の家来を迎えにやります。
このお噺はくすぐりも少なく、オチもないまま、きちんと忠臣蔵のお噺を演じる珍しいお噺。
伊勢町の文屋検校の倅、康次郎が若くして亡くなりになりました。まさにその日、小日向水道町松月堂のお朝さんも、やっぱり若くしてお亡くなりになりました。同月同日に亡くなったわけですから、あの世への道程でばったりと出くわしました。
生前から思いを寄せていた二人です。あの世になってしまったけれど、一緒になろうと約束を交わします。
ところが。
閻魔大王が、お朝さんに惚れ込んでしまいました。しかし、お朝さんは、自分には好きな人がいるので、たとえ閻魔大王様であっても、その人を裏切る事はできないと言い切ります。
これに腹を立てた閻魔大王は、お朝さんを三途の河原で松の木に縛り付けてしまいます。それでもお朝さんの気持ちは変わりません。困った閻魔大王は、邪魔な康次郎を亡き者(と言っても、もう亡くなっているのですが)にしようと、生き返らせてしまいます。
とぼとぼと康次郎さんがこの世への道を歩いていると、松の木に縛られたお朝さんを発見。一緒に連れて帰ってしまいます。
こうして無事に生き返ったお朝さん。両親は驚くやら喜ぶやら。そんな両親にお朝さんは、かくかくしかじかで、ついては康次郎さんと結婚したいと申し出ます。
そんなこと言っても、先方様にも都合があるだろうにと、おろおろする両親に、僧侶が呵々として、
「なに、心配はいらない。幽霊同士の約束だ。足はない」
江戸っ子三人組が京見物へと出かけました。
明日は明日の風が吹く。宵越しの金は持たないのが信条の江戸っ子です。ましてや旅です。いつも以上に気分が大きくなった三人組は、商才長けた上方商人にとってはいいカモです。
大イタチを見せてもらえると入った小屋では、大きな赤い板を見せられ、当時としては珍しいラクダが見られると喜んでいったら、ご隠居さんが縁側でのんびりと「あ〜楽だ」なんてを見せられるわけです。
さすがの三人組も、もうちょっと財布の口を堅くしようと心に誓い、旅籠に泊まります。
この旅籠には、およくさんというお客さんにねだるのが大変上手な仲居さんがおりました。およくさんの特技は、お客さんの仕事をたずねて仕事にあった物をねだるというものです。そこで三人組は、およそねだられそうにない仕事をしていることにします。
ところが。
「ねぇ、お客さんはどんなお仕事されてるの?」
「あー、俺っちは、石屋だ。だから、あげる物はないよ」
「あら、ちょうど良かったわ。親戚のおじさんが亡くなったところなのよ。墓石造ってくれないかしら? そちらのお客さんは?」
「俺、もとい、拙僧は僧だ」
「まぁ。じゃあ、タダで焼いておくなさい」
えー、毎度馬鹿馬鹿しいお噺を。
ここ数日、まともな食事にありついていないこともあって、それでなくても普段からボーっとした与太郎が、輪をかけてボーっとしてふらふらと町を歩いておりました。
どこをどう歩いたのか、ふと気が付くと門構えの大きな家の前。中からは何やらいいにおいがしてまいります。誘い込まれるように与太郎が中に入ってみると、まるで用意されていたかのように、おいしそうな食事と徳利が並んでいます。こうなると止まりません。ぱくぱく、むしゃむしゃと料理を食べ、合間にきゅっと酒を飲む。また食べる。なんて事を繰りかえしておりますと、すっかりできあがってしまいました。
しばらくして、誰もいないとばかり思っていた奥座敷から、よちよち歩きの子供が不思議そうな顔をしてのぞいているのを見つけた与太郎は、酔っぱらっていることもあって、
「ほ〜ら、坊。こっちおいで、あんよは上手、こけるは下手」
なんて、子供をあやし出しました。
最初こそ知らない人なので顔見知りをしていた坊やの方も、与太郎がおどけた顔をするものですから、ついつい与太郎の方に這っていきます。与太郎も、坊やに捕まらないように、ゆっくりと後ずさりしながら、手拍子をまじえて坊やをあやします。
ここまでは坊やと与太郎のほほえましい一幕だったのですが、与太郎が後ずさったところには、ぽっかりと穴があいていたからたまりません。あっという間に与太郎は穴の中に真っ逆様。
そこへ家の者が戻ってまいります。
「誰だい、井戸のふたを開けっぱなしにしていたのは。坊やが落ちたらどうするんだい。まったく。おや、穴の中に誰かいるよ。ちょっと、みんな来ておくれ。泥棒が穴の中にいるよ。誰か引っ張り出してくれ」
さぁ大変です。すっかり泥棒だと間違えられたことに驚いた与太郎を井戸の中から引きずり出そうと、屈強な男が集まってきます。引きずり出されたら何をされるか分かったものじゃないと、さすがの与太郎も察し、「降りてきたら股ぐらにかじりついてやる」とかなんとか言って脅します。
穴の中にいるのはしょせん、与太郎なのですが、そうとは知らない若い者は、この与太郎の脅しにすっかり腰が引けてしまいます。困った旦那が、1両出すから引きずり出せと言われても、2両出すから引きずり出せと言っても、若い者達は互いに顔を見合わせるだけ。
たまりかねた旦那が、
「よし、泥棒に追い銭。3両だそう」
すると、与太郎が
「えっ、3両くれるのなら、あっしの方から出まさぁ」
定吉が小遣い稼ぎに旦那のところにやってきました。
「えへへ、旦那。肩こってませんか。もみますよ」
「へー、珍しいこともあるもんだね。どういう風のふきまわしだい?」
「やだなぁ、旦那。おいらはいつだって、旦那のために毎日頑張ってますよ。毎日毎日、安いお給金で、朝から晩まで寝る間も惜しんで頑張って、それでも給金は上がらず。働けど、働けど、楽にならぬ我が暮らし。じっと手を見る」
「やなこというなぁ。いいよ、肩なんか叩かなくったって。休んでな」
「そんなこと言わずに、叩かせておくんなさいよ。こうやって、ちょっとずつでも小遣いを稼がないと、やってられないんすから」
「なんだい、小遣い稼ぎかい。だったら、横丁の医者に行って、お喜代の薬を取ってこい」
「えー! お喜代どんは下女ですよ。下女の使いに行くのは気が進まないや」
「これ。よく聞きなさい。確かにお喜代は下女だが、それは表向きのことだ」
「へぇ? 表向き? じゃあ、裏向きはなんです?」
「よけいなこと言わずに、主人の言いつけだ。さっさと行ってこい」
定吉は、ふてくされながらお医者さんのところに行きます。
「先生。先生はいなさるかい。お喜代どんの薬を取りに来た」
「あぁ、定吉か。お喜代さんの通じは、どうだい」
「は?」
「裏向きはどうです」
「はぁ。裏向きは知らないけど、表向きは下女です」
最近の子供は視力が落ちて……なんて言われておりますが、その昔は、風が吹けば桶屋が……なんて諺もあるくらい、眼病というのは恐い病気の一つでした。そのためか落語には盲人を扱ったお題も比較的多ございまして、このお噺もそんなお噺の一つです。
さて、ある男が目を患いました。いろいろと医者にかかるのですが、いっこうに良くなりません。心配した友人が、名医と評判のお医者さんを紹介します。
さすがに名医と言われるだけあって、お医者さんは奇抜な治療法を男に施します。医者は男の目を取り出し、薬湯につけて洗浄します。ブラックジャックも真っ青です。
ところが。
医者がちょっと目を離した好きに野良犬が男の目を食べてしまったから、さぁ大変。困った医者は、犬の目をくりぬいて男に入れます。
とにもかくにも治療が終わったからと医者が男を帰そうとすると、
「先生、表へは出られません」
「どうしてだい。まだよく見ないのかい?」
「いえ、もう目の方はいいんですが……まだ鑑札を受けてないもんで」
戦国時代も遠い昔。江戸も中期になりますと、武士といえども毎日毎日武術の稽古というわけではございません。特に下級武士の中には、庶民の娯楽を生活に取り入れて、のんびりと暮らす人も多かったようです。
松平丹波守が参勤交代の折、碓氷峠で休憩をとっておりました。
そこへ当地の松平伊賀守の家臣、竹本久蔵と豊沢大助が二人して義太夫を演りながら歩いてきました。
丹波守は、なかなかに洒落っ気の分かる人で、二人の義太夫を面白がり、目の前で演じさせます。これがなかなか素人とは思えないうまさ。すっかり気に入った丹波守は、二人に褒美を取らせます。
江戸に着き、丹波守は、伊賀守にこの二人のことを話して聞かせようと声をかけたのですが、伊賀守が堅物で有名なことを思いだし、はたと困ります。二人が義太夫がうまく……なんてことを言おうものなら、腹を立てて二人を切腹させかねない。そう思った丹波守は、伊賀守に道中で猪に襲われたところを二人に助けてもらったことにします。
この話を聞いて、伊賀守は大喜び。国に帰った際に早速二人を呼び出し、その方らが猪を倒すほどの武芸を持ち合わせていたとは知らなかった。しかも、そのことを自慢するでもなく、何もなかったかのように普段通りの振る舞いをしていたこと、まったくもって天晴れである。感動した。ついては褒美を取らせよう。なんなりと申すがいい。
びっくりしたのは、竹本と豊沢の両人です。褒美なんて畏れ多い……と辞退すると、ますます伊賀守は喜び、是非にと言います。そこで二人は、これまでご恩に預かっておりましたが、これを機に町人にならせてもらいたいと申します。
この二人の意外な申し出に伊賀守は首をかしげたものの、なんでも褒美を与えるといった手前、二人の願い出を聞き入れます。
こうして竹本は義太夫語り、豊沢は三味線弾きとなりました。
あきんどは損と元値で蔵を建て……なんて言われますが、商人にもいろんなタイプがあります。
「定吉、ちょっと向かいにいって金槌を借りてこい」
「へーい。すみませーん。金槌をお借りしたいんですが……」
「あ、定さんかい。金槌を借りたい? 貸してやってもいいけど、何に使うんだい?」
「へぇ。釘を打つんで」
「それは分かる。その釘は、竹の釘かい? それとも鉄釘かい?」
「鉄だと思います」
「それじゃダメだ。鉄釘を打ったら、金槌の頭が減る」
「へぇ……」
「おう、定吉。金槌は貸してもらってきたか?」
「それが、鉄釘打つなら頭が減るからダメだと……」
「なんだい。ケチだねぇ。仕方ない、うちのを使おう」
なんて、しぶちんで成功する方もおられるようです。
とにかく、このご主人、ケチで有名で、出すものはとにもかくにも出したくない。もらえるものは、もらえるだけもらうという方でございまして、そんな主人の下で働いているうちに、定吉さんも、それなりに商売気というものを学んできました。とは言うものの、定さんのことですから……。
「旦那様、位牌屋に行ってまいりました」
「あぁ、ご苦労。それで、ちゃんと買ってきたか?」
「はい。もちろんです。言われたとおり、みすぼらしい位牌を買ってきました!」
「やなこと言うなぁ。みすぼらしいじゃなくて、質素なとか、なにか言い方があるだろう」
「えへへ。今日は旦那様に誉めてもらいたいと思います」
「どうしたんだい」
「はい。おまけをもらってきました」
「ほぉ。それは良くやった。で、どんなおまけをもらってきたんだい」
「隅っこにほってあったちっちゃい位牌をもらってきました」
「位牌をもらってきた? 馬鹿だなぁ。だからお前はダメなんだよ。位牌のおまけをもらってきて、どうしようって言うんだい」
「なーに。先日産まれた坊ちゃん用ということで」
向島の須崎の先にうそつき村という小さな村がありました。名前の通り、住人が嘘ばかりつくということで知られておりまして、中でも弥八という男は、鉄砲のようにポンポンと嘘をつくため、鉄砲弥八とあだ名を付けられるほどで……。
その弥八に神田の千三とあだ名される人物が挑もうとやって来ました。
とは言うものの、うそつき村で人を捜すことほど難しいことはありません。あっちこっちさまよわされたあげく、ようやくたどりついたものの、子供が出てきて、
「お父さんは今いないよ」
「どこ行ったんだ」
「富士山が傾いているから、つっかえ棒をしに楊子を持って出かけたよ」
「それじゃあ、おっかさんは?」
「おっかさんなら、この雨で洗濯物がたまったんで、琵琶湖まで洗い物に行った」
子供がこれじゃ、親にはかなわないと、ほうほうのていで逃げ帰ります。
落ちは父親が帰ってきて、世界がすっぽり入るくらい大きな桶を見てきたと言われ、子供も負けじと自分も大きな竹を見たと言い返します。そんな竹があるわけないだろうと父親に言われ、
「だって、それぐらいの竹じゃないと、桶のたがに困るじゃないか」
下谷は御徒町に太兵衛さんという大変そそっかしい方が住んでおりました。類は友を呼ぶと申しましょうか、同居している武兵衛さんもこれまたそそっかしい方でございました。 その武兵衛さんが深川の八幡様のお祭りに出かけました。永代橋まで来たところ、ものすごい人でございまして、武兵衛さんが人混みを避けつつ見物をしていると、ドンと男がぶつかってきました。
少々むっとしつつも、常日頃からそそっかしいと自分でも分かっている武兵衛さんは、男に詫びを入れます。ところが、男はキッと恐い目をして武兵衛さんをにらみつけ、足早に去っていきます。なんか妙だなと思って武兵衛さんが懐を探ってみると、紙入れがない。しまった、スリだ! と思ったが、なにしろすごい人です。男を追いかけるどころの話ではありません。
仕方なくとぼとぼと歩いていると、ご隠居さんと出くわします。事情を聞いたご隠居さんは不憫に思い、武兵衛さんを自宅に招いて食事を振る舞います。
捨てる神あれば拾う神ありと武兵衛さんが機嫌を直して食事をしているところに、太兵衛さんが血相を変えて飛び込んできます。
なんでも、永代橋が見物客の重さに耐えかねて落ちてしまい、折からの増水で大勢の人が死んだとのこと。その中に武兵衛さんの紙入れを持っていた死体があり、今から遺体を引き取りに行くんだ。
そこまで言って、太兵衛さんは暢気にご飯を食べている武兵衛さんを見つけます。
「なに暢気に飯なんか食ってんだ。今からお前の死体を引き取りに行くんだから、さっさと来い!」
なんて言って、食事中の武兵衛さんを引っ張り出します。武兵衛さんとしては何となく腑に落ちないものの、太兵衛さんに引きずられ、とにもかくにも自分の死体を引き取りに行きます。
落ちは、人違いだと気がついた二人が、喧嘩を始め、それを仲裁した奉行が
「これこれ、喧嘩をやめろ。この喧嘩、武兵衛に勝ち目はない。太兵衛(多勢)に武兵衛(無勢)はかなわないというではないか」
えー、世の中にはうらやましい方がおられるわけで、もててもてて困ってしまうなんて人がおられます。33歳、引き続き連敗街道まっしぐらな独身としては、本当にうらやましいわけです。
僕のプライベートな話はともかくとして。
さて、旗本の次男坊の野呂井照雄が、なにやら浮かない顔をして、美濃屋の半六さんのところにやってきました。聞くと、結婚しなければならないと言います。そりゃ、お前さんも、もう32歳だ。結婚してもおかしい歳じゃない。むしろ遅いくらいだ。めでたいことじゃないか、と半六さんが言うと、野呂井照雄は、さらに浮かない顔になって、それが……と申すには、結婚しなければいけない相手が二人いる。一人目は、芸者の小いよで、もう一人が、幼なじみの おとめ。小いよは、明るく話も上手で、しかも美人。おとめの方はと言えば、気だてが良く、しっかりしていて、しかもこれまた器量よし。どちらと結婚すればいいか決められず、困っているとのこと。しかも、小いよに別れ話を持ち出すと、別れるくらいなら、死んだ方がましと泣き出され、おとめに別れると告げると、出家して尼になると言い、それも不憫で、やっぱり別れられない。どうしたものか。
何のことはない、二股なわけです。
しかし、気のいい半六さんは、それなら板橋にある縁切り榎の皮を使うと、死ぬだの出家するだの、そんな穏やかじゃない事態にならずに、自然と別れられるからと親身に相談に乗ってやります。
いいことを聞いたと、野呂井が縁切り榎の場所を訪れると、なんとばったりと、小いよと おとめに出会います。あー、この二人もそれぞれお互いに他の女との仲をさいて、自分と結婚しようとしているのだろう、ありがたいことだと言うと、小いよと おとめは、声をそろえて
「いえ、あんたと縁を切りたい」
東京に出てきてなんだかんだで7年。そろそろ東京の暮らしにも慣れてきたと言えるのですが、いまだに慣れないのが床屋さんとタクシー運転手の方々との意思疎通です。依然としてうまくありません。
それはともかくといたしまして。
「駕籠屋さん、ちょっとそこまで行ってくれるかい」
「いやー、それが……」
「頼むよ、急いでるんだ」
「そう言われましてもねぇ、出るんですよ」
「出るって、何がだい?」
「ご存じないんですか? 追い剥ぎが出るんで。こちらもねぇ、命あっての物種ですから」
「困ったなぁ。こちらも急いでいるんだよ。じゃあ、こうしよう。酒代はずむから」
「でもねぇ……」
「一両出すから」
一両といえば大金です。現金なもので、駕籠屋は客を乗せ、勢いよく走り出します。日本橋から神田を過ぎ、蔵前に通りかかった時に、案の定、追い剥ぎの一団が現れました。駕籠屋は客をそっちのけで一目さんに逃げ出します。
追い剥ぎの頭領が、駕籠を開けると中には、素っ裸の男が腕組みをして座っています。それを見て、
「先客にやられたか」
明治初年頃まで、麻布飯倉片町におかめ団子という名物がございました。このおかめ団子を病身の母親に食べさせてやろうと、大根屋の太助さんは、毎日一盆分だけ団子を求めます。
そんなある日、その日は風が強く、店の者が早めに店じまいをしようとしているところに、太助さんがやって来て、いつものように一盆分団子を求めようとしたのですが、店の者は、たった一盆だけ売れるかと、太助さんを追い返します。
それを見ていた店の主人が、一盆であれ、お客様はお客様、大切に扱いなさいと小僧を叱り、太助さんに謝罪します。太助さんが恐縮しながらも、一盆分だけの団子を買い、店を出ようとしたところ、その日の店の売り上げを見てしまいます。それは、太助さんが一年かけても届かないような額でした。
家に帰り、寝ようとするのですが、今日見たおかめ団子の一日の売上げ金が頭の中から離れません。
気がつくと、太助さんはおかめ団子の裏口から屋敷の庭に忍び込んでいました。もちろん太助さんにしてみれば、盗みに入るなんて大それたことは、これっぽちも考えていません。団子屋の庭先でオロオロしていると、植え込みの方に人影があります。見つかったら大変ととっさに石灯籠に隠れ様子をうかがっていると、人影は庭木に綱をかけ、踏み台のようなものに登ります。
あ、こりゃいけねぇ、首吊りだと太助さんは、あわてて石灯籠から飛び出し、今まさに踏み台をけり出そうとしている人物を抱きとめ、見ると、店のお嬢さん。早まったことをしちゃいけねぇ、訳を話しなせぇとなんとか自殺を思いとどまらせようとします。お嬢さんが訳を話すには、好きな人がいるのに親の縁談で明日結婚しなければならない。親不孝だとは思うが、好きでもない人と結婚するくらいなら死んだ方がましと、お嬢さんは泣き崩れます。
庭がなにやら騒がしいと人が出てきて、とにもかくにもお嬢さんを部屋の方に連れ戻し、残った太助さんに店の主人は、いぶかしく思いつつも、理由は聞かず、娘の恩人だからと、何かお礼をしたいと言います。
それを聞いて、太助さんは、恥ずかしいのとおそれ多いのとで、穴があったら入りたい気持ちになるのですが、主人はそんな太助さんに、こちらで出来ることならなんでもするので、欲しいものを言ってほしいと優しく言います。
太助さんはおずおずと「もしよければ、母親に団子を持って帰ってやりたい」と言います。主人は、破顔一笑して
「さすが、大根屋。孝行だ!」
信州善光寺は、その昔、聖徳太子が中国からもらってきた仏像を本多善光が発見し、信州に運んだのが始まりなのだそうです。
その善光寺のお血脈を持っていると必ず極楽に行けると噂になりました。そんなわけでございまして、善光寺は大繁盛。かわりに地獄は閑古鳥が鳴く始末。
困った閻魔大王が、石川五右衛門に相談したところ、五右衛門は「拙者に盗み出せないものはござらん」と大見得を切ります。
夜遅く、善光寺に忍び込んだ五右衛門は、首尾良く血脈を盗み出します。そこで洒落っ気のある五右衛門が
「首尾よく善光寺の奥殿に忍び込み、奪い取ったるお血脈のご印。これさえあれば大願成就。かたじけねぇ」
その瞬間、五右衛門も極楽へ行ってしまいました。
えー、忌み言葉というものがございます。
ポピュラーなところでは、「し」や「く」でしょうか。受験の季節になると、「落ちる」「滑る」なんてのも、いやがられますね。迷信と言えばそれまでなのですけれど、鰯の頭も信心から。気にする人は気にするわけです。
「し」や「く」、「落ちる」「滑る」なんて一般的なものなら気のつけようがあるので、まだいいのですが、困るのはローカルものです。「まんじゅう」なんかも、地方によっては、あまり人前では口に出さない方がいいのだそうで。
さらに困るのが、自分ルールで忌み言葉を決めている場合です。
ある大店の主人は、12の時に5円札1枚を握りしめ、東京に出てきて、身を粉にして働いた結果、一代で身代を築き上げた、まさに立身出世の人なのですが、天は二物を与えずとはよく言ったもので、男ぶりの方がよろしくない。有り体に言ってしまえば、猿に似ているわけです。
若くてまだ貧しかった頃、そのためにさんざんからかわれたこともあって、このご主人は猿という言葉が大嫌い。猿という言葉が聞こえてきただけで不機嫌になり、長いつきあいのあった取引先を出入り禁止にしたり、店のものに暇を出したりなんてこともあるわけです。
そんなある日、古くからつきあいのある道具屋の甚五郎さんが上方の旅行から帰ってきました。その時の話を面白おかしくしていたのですが、奈良の話になったところで、ついうっかり「猿沢の池」と言ってしまった。当然、主人は機嫌を悪くする。甚五郎さんは泣きたい気持ちになりながら、あれやこれやと言葉をつぎ、なんとか主人の機嫌を治します。
落ちは、すっかりご機嫌になった主人から、もう一杯と酒を勧められて、
「いえ。この辺にしておきやす。出入り禁止に出もなってしまったら、あっしは木から落ちた、さ、さ、さ」
「ん? 木から落ちた? 何が落ちたんだ」
「さ、さ、えっと、サクランボウでございます」
「ねぇ、あなた」
「なんだい」
「あのね、できたみたいなの」
「できた? なにがだい?」
「やーね、相変わらず鈍感なんだから。月のものが、こないのよ」
「なんだい、そんなものうっちゃっとけ。おおかた大家のやろうがさぼってんだろ。なーに、かまうこっちゃないよ。来月まとめてなんて言いやがったら、先月来やがれって俺っちが追い返してやるよ」
「そんなんじゃないわよ。もう。本当に鈍感なんだから。あのね、子供ができたの。あなたの子供よ」
「本当かい! やった。でかした。それで、いつ産まれるんだい。明日? 明後日?」
「そんなに早いわけないじゃない。まだ3ヶ月よ。産まれるのはもう少し先ですよ」
ということで、熊さんのところに子供ができました。熊さんは、すっかり有頂天になってしまっています。お腹を冷やしちゃいけないと聞くと、帯を買い込んできたり、体を温めた方がいいと聞くと、唐辛子がたっぷり入った鍋焼きうどんを作ってみたり……。気持ちが空回りして、しばしば奥さんから叱られるわけですが、とにもかくにも嬉しくて仕方がないわけです。
そして、いよいよ出産当日。
気が気じゃなく、かといってできることもなく、ただただオロオロするばかりの熊さん。まだかまだかと祈るような気持ちで待っていると、元気な泣き声が。
「産まれましたよ。お母さんも、赤ちゃんも元気です」
「やったぁ。それで、男? 女?」
「元気な男の子ですよ」
「男の子か! 俺に似て元気な子だろうな。それで、もう立ったかい?」
今ではすっかり見かけなくなりましたが、その昔、幇間持ちなんて職業がありまして、この方々はいってみれば、お世辞のプロなわけですが、お世辞というのは、なかなかに難しいものでございまして、世辞の一つも言えないと、何かと角が立つものでございます。かといって、あまり世辞を言いすぎるのも人間関係を悪くするわけで、嫌みにならない程度の世辞というものが良いわけですが、これがなかなか難しいわけです。
「ご隠居さん。ご隠居さんはいるかい」
「権助さんかい。どうしたんだい」
「どうもこうもあるかい。えぇ、吉蔵の野郎だよ。今日は勘弁ならない」
「また喧嘩でもしたのか。何が原因なんだい」
「あの野郎が向こうから歩いてくるから、よぉって声をかけたんだ。そしたら野郎、『今日は寒いですな。この分じゃ山は雪ですな』と言いやがる。野郎、俺が多摩から出てきたこと当てこすってやがるんだ」
「そりゃ、お前さんの勘違いだよ。それは挨拶みたいなもので、別にお前さんが多摩から出てきたことをどうこう言っているわけじゃない」
「へぇ挨拶なのかい」
「そうだよ。お前さんも言ってみな」
根は素直な権助さん、ご隠居さんに言われたとおり、「山は雪」と言っておりました。とは言うものの、そうそう毎日寒いわけではありません。ある日ぽっかりと暖かい日がありました。
「権助さん、今日は暖かいですねぇ」
「暖かいな。この分じゃ……山は火事だな」
馬喰町の刈豆屋吉左衛門という旅籠屋の番頭善六さんが、お座敷を見ると、徳利が落ちている。「お千代のやつ、また仕事もしないで油売ってるな」と腹を立てつつ、ちょっとお灸を据えてやれと善六さんは、徳利を洗い場の水瓶の中に入れ、フタをしておきました。
ところが、この徳利が、上様からの貰い物で、店の家宝だったことから、事態は思わぬ方向に動きます。旦那様は、ご先祖様に合わせる顔がないと真っ青な顔になり、お千代さんはオイオイ泣き出す始末。ただの悪ふざけでしたなんて、言い出せる雰囲気ではありません。
困った善六さんが、これまた真っ青な顔をして家に帰り、おかみさんに事の次第を相談すると、頭のいいおかみさんは、それならと、善六さんに知恵を授けます。
「いいかい。明日の朝、まだみんなが起き出す前に店に行って、徳利を見つけるの。どうして徳利のある場所がわかったのかって聞かれたら、元は占い師をしていたことがあり、夕べ観音様がお告げをしてくれたって言うのよ」
善六さんは、おかみさんの言葉通り、朝早くまだ暗いうちから店に行き、徳利を瓶の中から取りだして、観音様のお告げ云々と言います。
大切な徳利が見つかったのだから、旦那様は大喜び。お千代さんも、これまたオイオイうれし泣き。とにもかくにも、見つかって良かった、良かったと店中安堵の声が上がります。
これで一件落着かと思いきや、その夜、旦那様が善六さんを部屋に呼び出します。さては、ばれたかと善六さんが再び真っ青な顔で旦那様の部屋に行くと、
「今日は本当に助かった。いや、ほんと、よく見つけてくれたよ。ところで、ものは相談なのだが……」
旦那様が言うには、紙入れをなくしたとのこと。お金はたいした額入っていないからいいのだけど、そこに芸者からの恋文が入っている。それを奥様に見つかると、少々具合が悪い。どうにかして、奥様に見つかる前に紙入れを探し出したい。ついては、観音様に相談してもらえないだろうか。
今更、徳利は私が隠したなんてことは言えない訳で、なんとか探してみますなんて事になります。
ところが、ついているときは、ついているものでして、たまたまこの紙入れを小僧さんが拾い、落とし主を確かめようと中身を確認したところ、恋文が出てきて、旦那様に渡すに渡せず困っていることを耳にします。そこで善六さんは、小僧さんに紙入れを庭の松の木の下に置いておくように言い、それを観音様のお告げで見つけたことにして、旦那様に渡します。
こうなると善六さんの噂が噂を呼び、なくしものをした人が、次から次へと善六さんのところに相談にきます。そのたびに善六さんは右往左往しつつも、とにもかくにも幸運によって、なくしものを見つけていきます。
落ちは、そろそろ限界と思った善六さんが夜逃げして、
「誰ぞ、善六の行方を占えるものはいないか」
吉原のお噺でございます。
昔は写真なんてありませんでしたから、お店の窓際にずらっと女性が並び、その中から気に入った女性を選ぶという仕組みになっていて、これをお見立てと言ったのだそうです。オランダの飾り窓と同じような仕組みになっていたといえば、分かる人には分かってもらえるでしょうか。
もちろん、吉原の噺と言えば、売春なので、健全な方は顔をしかめられることと思います。実際、当時の吉原は華やかな反面、この種の仕事に付き物の暗い影もあったことも事実です。
とは言うものの、一番人気ともなれば、その辺の大名にも負けないほど羽振りがよかったのだそうです。そこまでいかなくても、そこそこ人気があれば、客を選ぶこともできたのだそうです。
さて、喜瀬川のところに、田舎のお大仁が訪ねてきました。喜瀬川は、このお大仁があまり好きではありません。しかも、しょっちゅう訪ねてきてくれるわけでもないので、必ずしもいいお客さんでもありませんでした。
そこで喜瀬川は、久しぶりなのをいいことに、自分は死んだことにしてくれと店のものに頼みます。店としても、喜瀬川は稼ぎ頭。このお大仁一人を逃しても、それに勝るお客さんを呼んできてくれる喜瀬川の方が大切です。口裏を合わせて、喜瀬川は死んだことにしました。
だまされているとも知らず、お大仁は、喜瀬川が死んだと信じ込み、大いに泣きます。ここまではいい。ところが、お大仁は喜瀬川の墓参りをしたいと言い出します。この辺の野暮天さが嫌われる理由なのでしょうけれど、それはともかくとして。
店の者がお大仁を谷中に連れて行き、適当な墓を喜瀬川の墓だと言って、さっさとお参りを済ませて帰ろうとするのですが、お大仁は少々疑り深い性分。墓碑銘を読み、生年月日が違うと言い出します。
店の者は、久しぶりに来たので墓を間違えたと、別の墓に連れて行くのですが、お大仁は納得しません。
広い谷中の墓地を練り歩き、さすがに疲れたお大仁が「本当の墓はどれなんだ」と言い出すと、店の者は、たくさん立ち並ぶ墓を見渡して
「この中からお好きなものをお見立てください」
昔のお話しでございます。
新聞の三面広告に「親売ります」との掲載がありました。何かの間違いでは? と孝吉さんは何度も読み返してみるのですが、やっぱり「親売ります」と書いてあります。孝吉さんは考え込みました。と言いますのも、孝吉さんは産まれて間もない頃に親に捨てられ、孤児院で育ったために、親というものを知りません。今さら親の愛情を受けたいとは思わないものの、親孝行というものはしてみたい。そんな風に常日頃考えていた孝吉さんは、広告に書いてあった住所を訪ねます。
「すいません。こちらで親を売っていると聞いてきたんですが。そちらの縁側でひなたぼっこをされている方が、売り出されている親で?」
「いやいや、違いますよ。これはうちの親父です。買ってもらいたい親は別のところにおりまして……」
そういって連れていってくれた先は、まさに典型的なあばらや。壁にあいた穴から中をのぞいてみると、火の気のない部屋でおじいさんが一人布団の中で横になっています。
「でも、あんたも奇特な人だねぇ。なんでまた親なんか買いたいんです?」
「えぇ、まぁ……」
「まぁ、いいです。色々事情もおありでしょうから。こちらといたしましては、買い手がつけばいいんです。ただ、最初にお断りしておきますが、生半可な親じゃないですよ。病気持ちで、かんしゃく持ち。おまけに頑固者。こんなお人ですが、それでもよろしいですか?」
「はい。それはもちろん。それくらいの方が親孝行のしがいがあるというものです」
「それでは、お代は5万円ですが、今すぐお支払いして頂けますか?」
「5万円……。すいません、今、持ち合わせがないもので……。一度帰って、お金を作ってきます」
家に帰って孝吉さんは、とにもかくにもお金をかき集めます。しかし、孝吉さんが工面できたお金は、1万円とちょっと。とても5万円には届きません。
そこへ奥さんが買い物から帰ってきました。普段、温厚な孝吉さんが難しい顔をして腕組みをしているのを見て、心配になり事情を聞くと、孝吉さんは、5万円必要なんだと言ったきり、黙り込んでしまいます。何しろ当時の5万円といえば大金です。奥さんは、孝吉さんがだまされているのではないかとわけを聞きます。孝吉さんは、新聞で親を売り出しているのを見つけたこと、値段が5万円なこと、そして、まねごとでいいので親孝行をしてみたいことを奥さんに話します。
奥さん自身もみなしご。孝吉さんの気持ちは痛いほど分かります。これまでこつこつ貯めていた貯金を引き出し、大事にしていた着物を質に入れ……。それでも、二人合わせて2万5千円にしかなりません。
「貧乏人は親孝行すらできないのか……」
とガッカリする孝吉さん。そんな孝吉さんに奥さんは励ますように言います。
「こうしたらどうかしら。このお金を持って、先方様に行ってらっしゃい。事情をよーくお話しして、1日だけ親御さんをお借りしなさいよ。今のうちの家計じゃ、親御さんを譲り受けても、かえってご迷惑をおかけするだけ。だったら1日だけ。ね、そうなさいよ」
それもそうだと納得した孝吉さんは、お金を持って店に行きます。話を聞いた店の人は、まぁ先方に伝えてみましょうと孝吉さんを車に乗せ、向かった先は先日行ったあばらやとはうってかわった大邸宅。何がなにやら分からず、驚いている孝吉さんは大広間に通され、ここで待っているようにといわれます。
待つこと数十分。
ふすまが開いて、出てきた人は紋付き袴を着た立派な老人。その後ろから、やはりまたそれぞれ立派な着物を着た親族一同がぞろぞろついてきます。
狐につままれたような顔をしている孝吉さんに老人は、
「お前さんをワシの跡取りにする」
慌てたのは親族です。
「こんなどこの誰とも分からぬものを跡取りだなんて、とんでもない。直接血をひくものがいないとはいえ、私ら親族がいるではございませんか」
「このものは、見ず知らずの赤の他人の面倒を見ようと、なけなしのお金をかき集めてきたのだ。お前達にこれだけの孝行心があるか。孝行に限らず、商いは真心、誠心誠意をもってお客の役に立とうとすることが大事なのだ。それがお前達にはない。人を敬う心。その基本は、親を敬う心だ。お前達の両親に聞いてみろ。なあ、孝吉。そうだろう?」
「この人達には両親がおりなさるんで?」
「おいおい、誰にだって両親はいるよ」
「へぇ。あっしは、たった今、片親ができたところです」
今でこそ日本の識字率は100%ということなのですが、一昔前は日本でも読み書きできない人が多ございました。
「お父っあん、この字、なんて読むの?」
「ん? そりゃお前、んー、最初が『一』だろ。次が『八』。それでもって『十』だ」
「へー。じゃあ、その次は?」
「次は……。『木』だよ」
「でも2つ並んでるよ」
「だからさ、『木』が2つで『もくもく』って言うんだ」
息子の方は、いつも威張っている父親がしどろもどろになるのが面白くて、ニヤニヤしながら聞いています。
「お父っあん、本当は字が読めないんだろ」
「馬鹿言うな。字くらい読めるよ」
「でも、書けないだろ」
「親を馬鹿にするのも、たいがいにしろよ。字くらい書けるよ」
「へー、じゃあさぁ、『にかぽきんしろうやど』書いとくれよ。うちだけないんだよ」
「にかぽきんしろうやど」というのは、「仁加保金四郎宿」と書きまして、当時流行した魔除けです。半紙か何かに「仁加保金四郎宿」と書いて軒先に貼っておくと、災いが寄りつかないと言われていました。
さて。
息子には大見得を切ってはみたものの、お父さんは字が書けません。奥さんからは正直に書けないと言った方がいいよとアドバイスをもらうのですが、そこは江戸っ子。一度、できると言ったことを今更できないなんて言えません。困ったお父さんは、一計を案じ、近所の貼り紙をちょろまかしてきて、軒先に貼ります。
「ぼうず、軒先を見てこい。父ちゃんだって字くらい書けるんだ」
「うーん、お父っあん、あれは違うよ」
「何が違うっていうんだい」
「だって、『貸家』って書いてある」
「それでいいんだよ。空き家だったら、疫病神も寄りつかねぇ」